三者三様
“霞琳様へ。今日から鄧昭儀様にお仕えしてます。鄧昭儀様にご挨拶をしたら、ふんってされました。偉そうで感じ悪かったです。むかつくけど霞琳様のために頑張ります。”
“霞琳様へ。今日は鄧昭儀様に呼びつけられて一日中雑用をしてました。命令がころころ変わるし、後出しは多いしで凄く疲れました。侍女の方がこっそりお菓子をくれて労ってくれました。鄧昭儀様以外はみんな親切です。”
“霞琳様へ。今日は侍女の方と霞琳様の話をしていたら、鄧昭儀様がどこからともなくすっ飛んできて、一緒にお喋りをしました。鄧昭儀様も霞琳様のことが大好きなんですね。少し親しみが湧きました。”
“霞琳様へ。今日も鄧昭儀様に呼びつけられました。何を命令されるのかと思ったら、霞琳様について知っていることを教えるように言われました。一日中お話ししたら、満足してもらえたみたいでした。”
“霞琳様へ。今日は鄧昭儀様がお茶に誘ってくれました。とても美味しいお茶でした。霞琳様の話で盛り上がりました。凄く楽しかったです。私、鄧昭儀様のこと好きになれるかもしれません。”
たどたどしさはあるけれど、一文字一文字丁寧に記された手紙。そこから伝わる一生懸命さに、霞琳は頬を綻ばせた。
自分について一体何を話していたのか、宮女として仕事に励むというよりも単なるお喋り相手になっているのではないか等々、突っ込みたい部分は山ほどある。しかし宮女の間で性格が悪いと専らの噂だった嬌麗に対して、その風聞のせいで彼女にいい印象を持っていなかったはずの白維が天性の才能で距離を縮めていく有様が目に浮かぶようで、微笑ましい気持ちになった。
無論これは白維の気質だけでなく、気に入った相手に対しては身分や立場を気にせず接する嬌麗の自由奔放な性格との相乗効果である。二人の相性がよさそうだと確信し、白維を嬌麗の専属宮女に抜擢した自分の判断に問題がなかったらしいことに安堵する。
霞琳がにこにこと満足げにしている表情に興味がそそられたようで、その手のうちにある白維からの手紙を、隣に腰掛けた春雷が覗き込んだ。
霞琳と春雷が腰を下ろしているのは、シャムナラ姫の住まいだった宮の例の階だ。先日ここで遭遇して以来、二人は時折示し合わせて時間を共有するようになっていた。内容は単なる休憩だったり、仕事の話だったりと様々である。女官長の執務室で話してもいいのだが、皇帝が女官長の部屋を度々訪問するのは少なからず人目につく上に公式的な雰囲気がつきまとう。それよりは互いの職務とは無関係なこの場所で、春雷と霞琳という一個人として、公私の別なく気楽に言葉を交わし合う方が両者の性に合っていたようだ。
春雷はしげしげと文面を見つめた後、感嘆混じりの息を吐いた。
「嬌麗に新たな友人ができそうで驚いた。……それにしてもこの手紙、まるで日記のようだが。毎日の出来事を報告するように指示したのか?」
「いえ、何かあった時に知らせてほしいと頼んだのですが……。」
霞琳は視線を逸らして口籠る。
“何か”とはどんなことを想定しているのか、はっきり言わなかったのは事実だ。そういう意味で、命令する立場にありながら指示の出し方が下手だったということは、白維からの手紙を初めて見た時に自覚していた。
だが敢えてそのままにしておいたのは、文字を覚えたての白維にとって文章を書く訓練になると考えたことと、直情型の白維に対しては“何か”の内容をこのまま伏せておき、日々届けられる報告から察しうる些細な変化をこちらで読み取る方がよかろうと判じたためである。
歯切れの悪い霞琳の反応には何を言うでもなく、春雷は少し考えるように黒曜の瞳を伏せ、ややあってから口を開いた。
「まあ、これはこれで嬌麗の様子が把握できるので問題はないだろう。報告の仕方に下手な口出しをすると、白維なる宮女を委縮させかねぬ。その結果報告を躊躇われ、肝心な時に何も掴めないという事態になっては元も子もない。望まぬ役目を折角引き受けてくれたのだから、その気持ちに態々水を差す必要はないな。」
「はい、私もそう思います。」
――少し前、春雷は三人の妃嬪の宮を順番に通う期間を無事に終えた。
そして予てからの計画に則り、妃嬪に専属宮女を与えることとなった。栄節の侍女が少ないことを気にかけつつ、しかし彼女だけが特別扱いにならぬ配慮した――という体を取っている。
この件について妃嬪の後援者に対し事前説明を行ったところ、予想通り魯範に否やはなく、治泰は春雷が栄節を尊重している証と解釈し諸手を上げての賛成を示した。
劉司徒は思うところはあったようだが、反対をするわけでもなく粛々と受け入れた。恐らくはスパイを送り込まれるものと警戒したのだろうが、たかだか宮女一人の下賜を辞退すれば、昭光の宮には春雷に知られたくない何かがあるのだと遠回しに宣言するようなものである。そのような悪手を選択しないのは当然だった。
また、与えられるのは最下級の宮女だというのもあって安心したのだろう。身分の低い宮女ごときが、出自の良い侍女を多数抱える昭光の身の回りの世話をすることなどありえない。それどころか昭光と宮女が顔を合わせる機会自体がそうそうあるまい。ならば仮に宮女が間諜であったとしても探れる範囲などたかが知れているから、然程警戒する必要はないと踏んだものと思われる。
そういうわけで、事は霞琳たちの思惑通りに運んだ。
昭光には憲樹をつけた。生真面目で黙々と任務に臨む憲樹に対する霞琳の信頼は厚い。本人も読み書きを学んだこともあって、宮女としてより上位の仕事をしたいと望んでいたようだ。厨で記録をつける任務も丁度完了したところだったので、タイミングもよかったのである。
昭光の宮に行ってからというもの、憲樹からの報告はほとんどない。一、二回だけ、劉司徒が面会に来たという、日常ではない特別な出来事があったときにだけ知らせがあった。自分の役目をきちんと心得ているのだろう。
霞琳にとっては憲樹を敵地に送り込んだも同然であるため、その待遇を懸念していた。しかし噂によると、憲樹は命じられたことを素早く的確にこなす上に口数が少ないので、昭光が実家から引き連れてきていた下女たちよりも重宝されているらしい。昭光の宮においては新参者だが、宮女としては古参という経歴が物を言ったようだ。悪い扱いは受けていないようで、霞琳は一先ず安堵している。
栄節につけたのは関季望という宮女で、元は厨の担当であった。ルェイホマと憲樹が厨で仕事をしていた時、季望は厨のルールを教えてくれたり、自分の手が空くと手伝いに来てくれたり、何かにつけてと世話を焼いてくれたのだという。
ルェイホマからそんな話を聞いていた霞琳は、面倒見がよく働き者の彼女のような人物こそ栄節に必要だと感じたのだった。というのも、栄節は後宮入りしてからただの一度も霞琳と関わったことがなかったからだ。
嬌麗からの呼び出しが頻繁なのはさておき、昭光からも後宮生活における不明点の質問や要望を受け、その都度対応している。しかし栄節からはとんと音沙汰がない。そこで霞琳は自分から栄節に対し後宮生活に不都合がないかさりげなくお伺いを立ててみたのだが、問題ないとの返事が届き、それ以上何も言えなくなってしまっていた。
恐らくそれは、かつての貧しい暮らしに比較すれば十分に満ち足りているという意味で彼女の本心に違いないのだろうが、妃嬪として相応の物が揃っているかといえば否であろう。挨拶に出向いたあの日、嬌麗や昭光よりも格段に質が劣る衣類を纏っていた姿や、宮に物が少なくがらんとしていたのを覚えている。平民同然の生活に慣れ切った栄節はその事実に気付いていないのだろうし、それをどうにかしようという気働きのできる侍女もいないのだ。
そこに季望を投入するや否や、彼女から霞琳に連絡が来た。曰く、衣類も調度品も何もかもが足りないのではないか、と。先帝の御代に数多くの煌びやかな妃嬪を見て来た季望の目に、栄節の状況は異様に映ったに違いない。質素倹約自体は美徳といえようが、信念を持って意識的にそうすることと、妃嬪としてのあるべき姿を理解しておらず無意識にそうなってしまっているのとでは訳が違う。
霞琳は待ってましたとばかり商人を手配して栄節の宮に送り込み、彼女の好みや意見を取り入れつつ必要そうな物を見繕わせた。栄節が手つかずのままにしていた――というよりも存在すら把握していなかったらしい、妃嬪が自由に使える予算を存分に活用したのである。世間慣れしていない栄節や侍女たちが商人の口車に乗せられて不要な物まで購入させられたり、法外な価格で売り付けられたりすることがないように、現場にはラシシュを立ち会わせた。かくして栄節が妃嬪としての威容を誇ることができ、かつセンスのいい衣装や調度品の調達に成功したのである。
霞琳は、季望が期待どおりの働きをしてくれたことに満足した。スタートでこれなら、今後も安心してこの仕事を任せられるだろう。
霞琳が妃嬪の専属宮女に求めるのは、間諜紛いの行為だけではなかった。主となる妃嬪に誠心誠意仕える心もまた必要だと考えている。
妃嬪の行動を探るのはあくまで後宮の平穏のためである。平穏が乱されさえしなければ、妃嬪に幸せに過ごしてほしいという気持ちがあるのも事実だった。彼女たちとて自ら望んで後宮に入ったわけではなく、政治的な駒として利用されているに過ぎないのだから。
このように、憲樹も季望も上手くやってくれていた。最も人選に難儀した嬌麗の宮でも、白維が前向きに働いているようなので、滑り出しは順調といえよう。
後は先日のように騒動が起きそうな時、即座に情報が入って来るのを願うばかりだ。
「――そういえば霞琳殿。後宮は人員整理の話題で持ち切りのようだが、この噂はそなたが流したのか?」
「いいえ。その話は白維にだけしました。“ここだけの話”だと。」
「……それは問題ないのか?」
春雷が軽く眉根を寄せる。彼の懸念はすぐに理解できた。
公式に発表していない内容が後宮中に広まっている現状、そして嬌麗の専属宮女として引き立てたのが内々の話を広めてしまう白維であることについて、問題がないのか心配しているのだ。
「ご懸念には及びません。例え非公式の場であっても私の口から話してしまうと、それは事実上の公式発表となり撤回が難しくなります。ですが、私と親しくお喋り好きな白維から発せられる情報ならば、確定ではないけれど信憑性の高い噂の域を出ません。前代未聞のこの施策に対する反発の程度によって対策を練らないといけませんから、宮女がどのような反応をするか事前に様子を見たかったのです。
――それと白維が噂好きなのは事実ですので、鄧昭儀様の宮女として抜擢するに当たり重要事項については何一つ話しておりません。」
にこりとしながらなんでもないことのように言ってのける霞琳を前に、春雷は双眸を丸めた。ややあって、徐々に細められる瞳が笑みを形作る。
「そなたもいつの間にか人の使い方が上手くなったようだ。」
「恐れ入ります。」
真正直なままでは生き抜くことすら困難な後宮。そんな場所を治めるのに正攻法ではやはり無理がある。だから霞琳は状況に合わせて攻略方法を考えることにしたのだ。
そうして霞琳は、目論見通り宮女たちの反応を観察することができた。反発もなくはないが、実家に帰れることを喜ぶ者、諦めていた結婚ができると聞いて舞い上がる者も少なからず存在しているようだ。
宮仕えを続けたい者には動揺が広がっているものの、追い出されまいとしてか突如働きぶりが良くなった者も多いという。これなら宮女向けの教育も遠くない未来に正式に開始できそうだ。憲樹と同様に厨の仕事を終えたルェイホマは現在霞琳直属の部下となっており、講義や教材の準備を進めている。
「そういえば陛下、私も気になっていたことがあるのですが。」
「何だ?」
「近頃徴夏様の御姿を見かけておりません。お元気でいらっしゃいますか?」
霞琳は眉を下げた。
暇さえあればふらっとやって来る徴夏の姿を、もう何日も見ていない。声もかけずに堂々と室内に入って来られる行為すら懐かしく感じかねないほどだ。
多忙なだけで壮健に過ごしているなら構わないが、もし体調を崩しているのなら見舞いの品くらい届けたい。
心配そうにしている霞琳の頭をぽんと撫で、春雷が柔らかく微笑んだ。
「徴夏なら元気にしているだろう。――実は私が内々に命じた任務のため、暫し都を離れているのだ。」
「そうでしたか。では無事のご帰還をお待ちしようと思います。――一体どちらへ行かれているのか、お伺いしても差し支えないでしょうか?」
霞琳の問い掛けに、春雷の唇が楽しげに弧を描く。そして与えられた答えに、霞琳の目は真ん丸に見開かれたのだった。




