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ジュゲツナルムの姫君  作者: 上津野鷽
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可能性の探求

 霞琳は紙と睨めっこをしていた。

 その用紙には五人の名が記されている。うち四人については、二人ずつになるように組が作られていた。

 残る一人の名の隣には空白が残ってしまっている。――いや、正確には空白ではなく、書いては消してを何度も繰り返した結果、墨で塗り潰した黒い塊が幾つも並んでいた。


 霞琳は考え込みながら筆を手に取り、一度ゆっくりと目を閉ざす。

 僅かな間の後、ぱっと瞼を開くと同時、少ない余白に一気に名前を書き上げた。それは幾度も塗り潰した人物の名前と同じだったけれども、もう霞琳の瞳に迷いはなかった。ただ、微かな不安の色は帯びていた。


(――この役が務まるのは、やっぱり彼女しかいない。)


 こちらの意図をきちんと説明して、彼女の言い分にも耳を傾ける。そのうえで頼むべきでないと判断したら素直に引こう。

 そう決めて、霞琳はラシシュを呼んだ。すぐに姿を現した彼女に、宮女との面談の予定を組むよう指示をする。万事承知した様子で立ち去るラシシュの後ろ姿を見送ると、小さく息を吐いて筆を置き、霞琳はどさりと背凭れに身体を預けて天井を見上げた。

 気は重かったが、やるしかないのだ。春雷の協力を得て手筈は既に整っている。自分がここで躓いてなどいられない。――霞琳は自分を奮い立たせて、その日に備えることにしたのだった。


*********


「霞琳様~!お会いできてすっごく嬉しい!です!」

「私もですよ。いつも明るく元気な白維の顔を見ると、私も頑張ろうって思えるんです。」

「やだ、霞琳様ってばもう十分頑張ってるのに。働き過ぎは駄目ですよ?」


 場所は例の大きな柳の木の下。

 まだ昼前の時間帯なので、宮女たちは忙しく働き回っているはずであり、休憩に訪れる者はいない。

 言葉通り喜色満面の笑みを浮かべ、諸手を上げて霞琳を迎える白維と二人きり。仲良く横に並んで、太い幹に背を預ける。

 

「それで、一体何のご用事ですか?」

「今日は白維とお話ししたくて呼んだんです。とても仲良くなったつもりでいたけれど、改めて考えたら、私、白維のこと全然知らないなって気付いてしまって……白維のこと、色々聞かせてくれませんか?」

「えー、私の話なんて面白くないと思いますよ?……まあでも、霞琳様のご希望なら喜んで!」


 完全に予想外だったようで双眸を丸めはしたものの、白維はすぐに気を取り直してにこやかに頷いた。

 最初こそ遠慮がちではあったが、もともとが一を聞けば十五を答えるくらいにはお喋り好きな少女である。更にはいつも仲間と休憩時間を過ごしている場所とあって、気持ちも徐々にリラックスしてきたようだ。

 

 両親は豪商の家で使役されていた奴隷で、自分も生まれながらに奴隷だったこと。

 物心つくかつかぬかの頃、主家が罪せられて財産没収の罰を受けたこと。

 自分はその没収された財産のひとつであり、後宮での下働きを命じられたこと。

 最初から今までずっと洗濯の担当で、洗い物には自信があること。

 洗濯上手で仕事のできる憲樹に憧れていること。

 洗濯の時に糸のほつれを見つけることがあるので、その処理にも関心が湧いてきたこと。

 洗濯仲間とは仲がいいので、これからも一緒に過ごしていきたいこと。

 直接の上長にあたる女官はいつも偉ぶっていて、洗濯を一度もしたことがないくせに仕上がりに対する難癖や無謀な指示ばかり言ってくるので腹が立つこと。

 物凄く偉いのに偉ぶったところが全くなく、一緒に洗濯までしてくれて、自分たちをいつも気遣ってくれる霞琳のことを心から尊敬していること。

 

 話しながら双眸をきらきら輝かせたり、唇を尖らせて不満をぶちまけたり、百面相を繰り広げる白維の姿は裏表がなく微笑ましい。

 自分について言及された部分は気恥ずかしくなってしまうが、宮女に慕われているのはやはり嬉しい。霞琳はほっこりと表情を和ませる――が、本題は此処からなのだ。自分が気持ちを緩めていけないと、唇をきゅっと引き締める。


「白維は望んで後宮に来たわけではないけれど、ここでの仕事や暮らしが気に入っているんですね。」

「はい!……っていっても前の暮らしを覚えていないから、ここしか知らないんですけどね。でも皆と一緒に洗濯するのも楽しいし、満足してます。」

「今の立場のまま、今の仲間と、今の仕事を続けていきたい、と?」

「んー、……まあ、そうですね。」


 白維が首を捻りながら答える。微妙に歯切れが悪くなった気がするが、彼女にとってそれが既定路線だからこそ、それ以外の将来のビジョンを特段考えたことがないが故の反応だろう。

 霞琳は先日の炎益とのやり取りを思い出しながら、慎重に次の言葉を選ぶ。


「さっき、糸のほつれの直し方に興味があるって話してくれましたね。繕い物もやってみたいという気持ちがあるのですか?」

「どんなふうにやるのかなって、気にはなります。でもやるのは無理ですよう、やったことないですもん!」


 白維は勢いよく頭を振って否定するが、好奇心の色が宿る瞳は隠しきれていない。興味はある、しかし仕事となると未経験なので自信がない――そういうことだろうか。

 霞琳は口許を押さえ、くすくすと笑い声を立てる。白維はきょとんとして首を傾げた。


「それを言うなら、洗濯だって初めてやる前はやったことがなかったでしょう?」

「え?えーと、……そうですね。」

「読み書きの勉強も始めたばかりですけど、とても早く上達している。ルェイホマが白維の覚えの速さについて、いつも嬉しそうに報告してくれるんですよ。」

「ルェイホマが?えへへ、嬉しいです!」

「ということは、他のことだって今から始めても遅くないと思うんです。」

「え?えーと、……そうです、ね?」


 困惑を露わにする白維は、すっかり霞琳のペースに巻き込まれているようだ。

 ここだ、と狙いを定めた霞琳は真面目な表情を向ける。


「これは私の勝手な思いなのですが、白維には色んなことを経験してほしいんです。今、自分の仕事である洗濯に誇りを持って、精を出してくれているのはとても嬉しい。でももしかしたら、他にも白維に向いている仕事、やってみたら大好きになれるような仕事があるかもしれません。だから、できるだけ様々な仕事を経験してみて、白維が一番得意でやりがいを感じられる仕事を探してみてほしいなって。」

「霞琳様……。」

「勿論、色々やってみた結果、洗濯が一番向いていてやりがいがあるというなら、それでいいんですよ。」


 霞琳はにこやかに微笑む。すべて本心だった。

 器用で賢い白維に、既知の世界である洗濯だけにこだわって、未知の可能性を潰してほしくないのだ。

 白維はいつになく戸惑った様子で眉を下げ、何か言いたげに唇を開きかけては閉じて躊躇を見せる。無理強いをされるわけではないと理解し、心が動いているのだろう。


「で、でも、もし他の部署に異動になったら、そこの人と上手くやれる自信はないです!それに、今の仲間と離れ離れになってしまうし……。」

「今の仲間とは仕事場が離れてしまうので、共にいる時間は確かに減りますね。でも自由時間は一緒に過ごすことができますし、なかなか会えなくなってしまったとしても、折角文字を学んだのだから手紙のやり取りをしてみてはどうでしょう。

 異動先でも、白維はとても素直で社交性もあるから大丈夫だと思いますが、……もし上手くいかなかったら、無理にそこに留まらせる気はありません。――例えばルェイホマも、最初に配属された場所とは相性が悪かったようなので、そこから離す意図もあって厨の応援に送ったんですよ。」

「ルェイホマが?」


 白維の目が真ん丸になる。よもやルェイホマにそんな過去があったとは微塵も知らなかったのだろう。

 そして宮女となってこのかた洗濯一筋だった彼女にとって、別の所属に移ることは不安以外の何物でもなかったのだろうが、仕事が向いていなくても人間関係に馴染めなくてもフォローをするから大丈夫だという霞琳の言葉は大きく響いたに違いない。況してや口だけでなく、実際に前例があるのだから。

 すっかり絆されそうになっていた白維だが、ふと先日の会話を思い出したらしい。はっとした様子で表情を引き締めると、両手をぐっと拳に握り声を上げた。


「霞琳様、ずるいです!そうやって私のことその気にさせて、偉くしようって魂胆ですね!?」


(あ、気付いちゃった?)


 この前の宮女たちとのやり取りの中で、洗濯を続けたい、仲間といたい、出世したくないとの三拍子を最も頑なに主張していたのは紛れもない白維だった。

 気付かれてしまっては仕方がないが、既に三点のうち二点について攻略が完了した今更ではもう遅いのだ。

 心の中で舌を出しつつ、表面上はすっとぼけてみせる。


「え、何のことでしょう?」

「えっ?こ、この前、立場がどうのこうのって……。」

「そうですね、言いました。才能に見合った立場に就いてほしい、と。――白維は自分の才能が偉い立場に見合っていると思っているのですか?」

「!」


 途端、白維の顔が真っ赤になった。当然だろう、霞琳の問い掛けが白々しく意地が悪すぎるのだから。これでは白維は自意識過剰も同然だ。

 とはいえ、白維が間違っているわけでは全くない。最下級の白維たちにとって立場や身分が変わるというのは、最下級以外の階級になること――即ち、昇進することと同義だと受け止めるのが自然である。霞琳自身も先達てはそのつもりで話をしていたのだが、後で改めて思索に耽り考えを改めた。

 頬を赤らめて泣き出しそうに顔を歪める白維に、霞琳は双眸を細めて優しく質問を続ける。


「――白維にとって、“偉くなる”ってどういうことですか?」

「え?そ、それは……洗濯係の宮女に命令する立場になるとか、官位をもらうとか、そういうことかと……。」

「そうですね、私も最初はそういうことを考えていました。でもそれは浅慮だったと、今では反省しています。」

「……え?」


 零れそうになっていた涙は驚きの余り引っ込んだようで、白維はぽかんとした顔になる。偉くなるという言葉に、それ以外に何の意味があるのかと怪訝そうな様子だ。


「この前、白維は書置きを仕事で活用しようと言ってましたね。実際にやってみましたか?」

「はい、皆も賛成してくれたので。直接会えない時でも書置きをすれば連絡が取りやすくなったので、前より順調に仕事が進んでます。」

「それは良かった。白維は洗濯係の中で、とても“偉い”のですね。」

「ええ!?どこがですか!?」


 無位無官という点では対等な洗濯仲間のなかでも、ただ与えられた役割を果たすだけの受動的な宮女もいれば、白維のように仕事の改善を提案し皆の理解を得て効率化を実現する推進力を持つ者もいる。

 後者は周囲に対し強い影響力を有する実質的なリーダーだ。考えようによっては十分に“偉い”。更にいうと、それは自らの資質や行動力によって自然と付随してきた“偉さ”である。官位官職のように他人から与えられた地位や権力に依存する“偉さ”ではないだけに、寧ろ価値があるかもしれない。

 そんなことを霞琳が説明しているうち、白維も何やら考え込むような顔つきに変わっている。


「……霞琳様の言う偉いとか偉くないっていうのは、身分とかだけじゃなくて、周りの人たちとの関係性も含めたものってことですか?例えば色んなことを知ってて仕事のできる憲樹さんの指示に皆が従うのも、憲樹さんが“偉い”ってこと?」

「そんな感じですね。例え身分が同じでも、実質的に上下関係ができているのでしょう。そして憲樹さんには、他の宮女達の手本になるような能力や適性があったということだと思います。それをもっと活かせるところがあればそちらに異動して一層励んでもらいたいし、功績に見合った官位官職に就けるようにしたいし、褒賞も与えたい。

 どうせ働くのなら皆さんだってやりがいやご褒美がある方がよくはありませんか?私としても、それぞれの才能を最大限に発揮してもらうことで後宮が素晴らしい場所になったら、とても喜ばしく思います。」


 そこで一度口を閉ざした霞琳は、逡巡の末に思い切って言葉を続ける。


「――あと、ですね。ここだけの話なのですが、後宮では人員が余っているので削減をするつもりでいます。各部署の必要な要員数を確認して、余剰の人数に暇を出すんです。」

「えええ!?じゃ、じゃあ私も、追い出されるかもしれないってこと、ですか……!?」


 白維が顔面蒼白になる。外部に頼れる身内のいない彼女にとって、衣食住が保障された後宮を出ていくことは死活問題だ。

 霞琳は彼女の疑問には敢えて答えない。ただ、方針のみを補足した。


「後宮に残るか出るか、基本的には本人の希望に沿いたいと考えています。ただ、出ていきたい方が少なければ、残りたいと希望した方にも出ていってもらうことになるでしょう。出ていく方のその後の身の振り方は、必要に応じて援助するつもりです。例えば次に働く場所を紹介したり、結婚したいなら嫁ぎ先を探したり。」

「……その場合、後宮に残すかどうかの基準は能力や適性だってことですか?」


 霞琳は尚も答えない。が、不安に揺れる白維の双眸を真っ直ぐ見据える。

 暫く黙っていた白維だったが、やがて小さく頷いた。そして突然距離を詰め、にんまりとした表情で霞琳の顔を覗き込んでくる。


「霞琳様の言いたいこと、何となくわかった気がします。――それで、私に何をしてほしいんですか?態々呼び出してこんなに熱心にお話ししてくれるなんて、私に新しい仕事をさせたいんでしょう?」

「……受けてくれるんですか?」

「そりゃあ、ここまでされちゃったら断れませんよね。なんてったって尊敬する霞琳様からのお願いだし。それに私も後宮に残りたいわけですから、自分がここで何をしたいのか、何ができるのか、洗濯以外にも何かないか考えてみなくちゃ。……もし他の仕事をしてみて向いてなかったり、周りの人と上手くいかなかったりしたら、助けてくれるんでしょう?」


 茶目っ気たっぷりに片目を瞑る白維の姿には、渋々といった雰囲気はない。飽くまで彼女自身の意思で前向きに考えたのだと、輝く瞳が伝えてくれている。

 霞琳は自分の誠意が通じたことに喜びを覚え、漸く心からの安堵で破顔した。


「ありがとうございます、白維。貴女にお願いしたいのは――……」


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