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ジュゲツナルムの姫君  作者: 上津野鷽
42/93

自分史上最高の得点

「あー、そうそう。僕が来た用件なんですけどね、陛下から霞琳様へのご伝言です。――皇太后様がお時間を取ってくださったから、明日ご挨拶にお伺いするように。以上!」

 

 どうにかラシシュを宥めて誤解が解けた後、唐突にそんな爆弾発言をするや否や「それじゃあ頑張ってくださいねー」と他人事を愉しむようにへらへら笑いながら去っていった炎益の後ろ姿を、霞琳は絶句して見送った。

 ラシシュもまた嵐のように去っていった彼を見送って暫くぽかんとしていたが、一夜明けた今日、彼女の意気込みは尋常ではなくなっている。


「霞琳様、御髪はきっちりと結い上げますね!最近は敢えて崩すのが流行だそうですが、皇太后様はそういった流行り廃りのあるものはお好みでないそうです。」

「霞琳様、こちらとこちら、どちらの簪がお好みですか?どちらも色遣いや意匠はおとなしめですが、細工は手が込んでいて上等なものです。皇太后様のお好みにも合致するかと。」

「霞琳様、お化粧は薄めにいたしましょう。目鼻立ちがはっきりしたお顔なので、血色が良く見える程度で十分かと思います!」

「お召し物は秋らしく情緒のある色で、ですが余り落ち着きすぎると年相応に見えませんから、少しだけ華やかな色も使いましょう!」


「う、うん……全部ラシシュにお任せしますね。」


 霞琳が王皇太后に気に入られるよう、ラシシュなりに情報収集をしてあれこれと試行錯誤してくれているらしい。その勢いに押され、霞琳はされるがままになりながら頷くことしかできない。

 元々が地方生まれ地方育ちの男性なのだ。都の流行や女性の嗜好とは無縁に生きてきた身である。

 後宮で沢山の女性を日々目にしているお蔭でなんとなく現在の風潮を感じ取り、それから外れた装いをしていることの多い栄節やその侍女を心配する程度には審美眼が養われはしたが、自分の外見についてとなるとさっぱりであった。そもそも身支度以外で鏡を見る習慣もないため、己の装いには割と無頓着な方だ。


 だからこそ万事ラシシュに任せておけば安心のはず。――その信頼に、彼女は完璧に応えてくれたようだった。

 薄めとはいえ丁寧に仕上げてくれた化粧は表情に健康的な明るさと大人びた雰囲気をプラスして、きっちりと結い上げて品のある簪を添えた髪型は育ちの良さを窺わせる。陽光を浴びると黄金に艶めく茶がかった黒髪にもしっくりと合う深い赤から黄へのグラデーションが効いた着物に、帯だけは鮮やかな紫がかった紅が存在感を主張して若々しさを添えている。

 会心の出来だと紅潮気味に何度も頷くラシシュを横に、鏡を覗き込んだ霞琳本人も思わず息を吐くほどの少女が鏡面(そこ)に佇んでいた。

 絶賛されるような美少女ではない。流行に乗っているわけでもない。が、寧ろそれが今時の若い女性から隔絶させた雰囲気を生み出して、古風で奥ゆかしく、しかし古めかしさや野暮ったさは感じさせない、垢ぬけた装いの良家の令嬢そのものだった。


(化粧と髪型、服って、本当に人を化けさせるなあ……。)


 自分とは思えない自分と鏡を介して暫し見つめ合った後、霞琳はそんなことをしみじみ思った。

 前女官長から頼まれている以上、霞琳としても王皇太后とそれなりの関係構築を望んでいる。気難しいと評判の王皇太后も、この容姿なら嫌悪感を抱かないだろう。

 王皇太后との初対面に相応しい格好ができあがったことを喜ばしく思い、ラシシュに満面の笑みで礼を言うと、彼女は「これで女性ではないなんて、神はなんと理不尽なのでしょう……!」とよく分からないことを呟いて涙していた。大仰なことである。


 何はともあれ、霞琳は王皇太后の元へ向かう。

 ラシシュ渾身の作品であるこの姿でなら、きっと挨拶も上手く行く――そう気持ちを奮い立たせて御前に進み出たが、深々と下げた頭に降り掛かる鋭く冷たい声色により、瞬時にして気力が奪われた。


「――そなたが張霞琳ですか。」

「はい。こ、この度は皇太后様にお目通りが叶い――」

「口上は良い。顔を上げよ。」

「は、はい!」


 挨拶など聞く価値もないというのか、霞琳の言葉を即座に一刀のもと断ち切るような凛とした声に萎縮しながら恐る恐る顔を上げる。と、これまた力強く鮮烈な眼差しとかち合った。


(――ひっ!)


 心の中で叫び声を上げながら身を竦める。その様子はさぞかし不格好で、蛇に睨まれた蛙よりも怯えきって見えただろう。

 霞琳よりも数段高い場所に座す皇太后とはそれなりの距離がある。故にその顔立ちもつぶさには見て取れぬというのに、かっ!という効果音を生み出しているのではないかと錯覚するほどにきつい眼つきが印象的で、注がれる視線はまるで瞬時にこの身を貫かんと放たれる矢の如くだ。


「……三点。」

「は、……恐れ入りますが、もう一度お聞かせ願えますでしょうか?」


 身体が震えそうになるのを必死に堪えていると、突然王皇太后の唇から漏れた言葉を聞き取り損ねてしまった。

 まずいと思いながらも、無視するわけにはいかない。かといって全くちぐはぐな返答をするわけもいかない。已む無く正直に、聞き返すという手段を採る。

 王皇太后はあからさまに眉根を寄せ、指先で椅子の肘掛けを苛立たしげにとんとんと叩きながら声高に叱責の言葉を投げる。


「そなたの振る舞いが三点だと言ったのです!なんですか、その情けない態度は!」

「え、三点もいただけるのですか?」

「!?」


 すっかり縮こまっていた姿から一転、うきうきとした声で表情を輝かせる霞琳に毒気を抜かれたよう、王皇太后は唖然として言葉を失った。


 霞琳は心底喜んでいた。三点もあれば御の字だ。

 非常に不名誉なことではあるが、かつて燈蓋に出された試験で十点中三点どころか零点も珍しくなかったという実績の持ち主である。

 手厳しい王皇太后から三点も与えられたのは、霞琳にとっては十分に及第点だと感じられるものだった。


 一方の王皇太后はといえば、当然ながら霞琳を褒めたつもりなど毫もない。

 にもかかわらずはしゃぎ出す少女の態度を上流階級特有の嫌味の応酬か何かかと勘繰ったが、幾ら頭を捻ろうとも額面通り以外の意味が見えてこない。況してや嬉々とした面持ちに偽りの色も見出せない。化粧こそ洗練されているが、表情はいかにも素直で朴訥そうな田舎娘のそれである。

 であれば、その台詞も表情も真実として解釈するしかない。裏表がないことは人間として美徳といえなくもないが、三点で喜んでいるのだとしたら、それはそれで問題ではなかろうか。

 悶々と考え込んでいた王皇太后だったが、やがてこれは駄目だとでも言いたげに、片手を額に添えて首を左右に振りつつ聞こえよがしの溜息を漏らした。


「……あの張将軍の娘御というので少しでも期待したわらわが愚かでした。もうお下がり。」

「恐れながら、退室の前に一つだけお聞かせください。父も皇太后様にお目通りしたことがあったのでしょうか?」

「無論です。張将軍は若い頃から落ち着きがあり、貫禄のある方でした。そなたと違って。」


 王皇太后は態々棘のある一言を添え、片目を眇めてちらりと見下すような視線を投げる。普通の小娘ならば、最も崇高な地位に在る女性の底意地悪い言葉を受けたら泣き出しても可笑しくはない。

 さてこの娘はどう出るか――そう期待したが、なぜか双眸がきらきらと輝きを増しているではないか。


「左様でしたか。父の若い頃のお話を伺えるとは誠に幸甚でございます!

 ――お言葉を返すようで恐縮にございますが、子である私からみても父は傑物にございます。その父を基準にされてしまっては、譬え十点中零点でも健闘したといえましょう。

 とはいえ、皇太后様は私めにそれ以上をお求めでいらっしゃったご様子。ご期待に添えず申し訳のうございます。次にお目にかかる際は四点をいただけるよう努めて参ります!」

「何を愚かなことを……もうお下がり!同じことを二度も言わせるのではない!」


 王皇太后の視線がきっと強まる。

 巨大な毒蛇に睨まれたなら小さな蛙の鳴き声など一瞬でなりを潜めてしまいそうな場面だが、霞琳は彼女の視線に妙な既視感があることに思い至った。いつ誰に向けられたものに似ているのか判然としないが、思い出せないが故に気になりすぎて委縮するのも忘れてしまったかのように、霞琳は改めて王皇太后を見つめていた。

 やはり親子だからか、王皇太后は春雷と似て整った造作をしている。しかし穏やかな面持ちの彼よりも、眉や眼が釣り気味できつめの美女といった感があった。

 苦労したせいか眉間は険しく目尻の皺も多い。そのせいで年齢より年嵩に見えることもあってか、滲み出る威厳が尋常ではない。そんな彼女から降り注ぐ圧もまた凄まじいものがあるが、今の霞琳にはもうそれが効果を齎さなくなっている。

 更には敬愛する父の話題が出たこともあり、昂ったテンションが下がらない。いつになく饒舌に、しかしやはり緊張は解けていないせいで訳の分からない誓を口走り、再び深々と頭を下げて御前を辞そうとした。


 最早開いた口が塞がらない状態の王皇太后だったが、霞琳の背中が扉の向こうに消える寸前、はっと我を取り戻したようだ。追い打ちをかけるように荒げた声を投げつける。


「三点というのは、十点中ではありません!百点中の三点ですよ!」


 えっ!という顔をして咄嗟に振り返った霞琳であったが、その視界が王皇太后を捉えるよりも先に静かに扉が閉まる。

 霞琳は呆然として暫しその場に立ち尽くしたが、


「百点中の、三点……思ったよりも酷い点だけど、十点中零点よりは良いか。うん。」


 叔父の試験よりはやはり良い成績である――そう結論付けると、満足げに頷いてるんるんと歩を踏み出した。

 

「……一体何なのですか、あの娘は……。」


 弾むような足取りで帰っていく霞琳の姿を窓から眺めながら、王皇太后は脱力して呟いていた事ことなど、誰も知らない。


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