祭の後始末
その日の夕方、女官長の執務室にて件の出来事に関する緊急会合が開催されていた。
メンバーは例の如く、春雷に徴夏、炎益、霞琳とラシシュ。この場ばかりは上下関係にとらわれぬ無礼講宜しく、円卓を囲んで皆が対等に椅子に座している。
「……――それで、嬌麗が早速ひと騒動起こしてくれた、と。」
「誠に申し訳ございません!」
「何故霞琳殿が謝る?これは嬌麗の短慮が招いたことで、そなたに非はな――…大丈夫か?」
事の始終を耳にして溜息を吐く春雷に対し、霞琳が土下座せんばかりの勢いで頭を下げる。
といっても椅子に腰掛けたままのため、額は地どころか卓までしか下がりようがなく、天板に衝突するゴンっという大きな音に眉を顰めた春雷が顔を上げさせようと手で示すのも、当然ながら霞琳の視界には入らない。
心配したラシシュが肩に手を添え上体を起こしてくれるのに応じて霞琳が顔を上げると、呆れ果てた顔でこちらを見つめている徴夏と、腹を抱えてげらげらと楽しそうに笑い声を響かせる炎益がいた。重要な会議のはずなのに緊迫感のなさはいつもの通りで、安心すべきか不安になるべきか分からなくなる。
赤くなっているだろう額をさすりながら、霞琳は改めて春雷に向けて今度は小さく頭を下げた。
「大丈夫です。……ですが、鄧昭儀様のお力になると心に決めていながらこのような事態を未然に防げず、本当に反省しております。」
「ま、嬌麗が標的にされるのも、あいつ自身が何かやらかすのも想定内だったからな。俺もあんたが気に病む必要はないと思うぜ?」
「そうですよー、霞琳様。女官長であるあなたが鄧昭儀様にべったり貼り付いてるわけにもいかないんですから、未然に防ぐなんて無理ですって。今回は騒動を最小限に抑えられたわけですし、最善手を取れたと思いますよ。」
「皆様……ありがとうございます。」
隣で微笑みながら頷くラシシュの視線もあって、霞琳の表情も徐々に和らぎを取り戻していく。
確かに皆の言うとおりだった。妃嬪もといその後ろにいる人物たちの勢力争いも、嬌麗自身の性格もあって、そもそも何も起こらないわけがない環境なのである。無論、大事が起こらないようにできれば越したことはない。が、それは到底不可能であるから、何か起こった時に対応できる力を養わなければならないのだろう。
そんなことを考える霞琳の傍らで、話はどんどんと進んでいく。
「それで炎益、下賜品を抜いたと思われる宦官の目星はついたか?」
「すみませんが、こればっかりは無理ですね。犯行が可能な宦官の人数が多すぎますよ。」
「だろうな。――春雷、状況からいって黒幕の可能性が高い劉昭容を調べてみるか?」
「……いや、この件についてはもうここまでにしておこう。彼女が疑わしいというのは単なる状況証拠でしかない以上、下手に手出しして何も証拠が出て来なかったらかえって劉司徒を優位に立たせてしまいかねない。それに、物証に成り得る下賜品などとっくに処分されているだろうからな。」
「処分……。陛下のお心遣いである、あんなに貴重な物を……。」
誰もが気分は良くなかろうが、春雷の現実的な判断に反論を唱える者はいない。そうしてこの議題が終了したところで、霞琳の唇から堪らずに呟きが漏れた。
どうせなら皆が喜んでくれそうな物を下賜したいのだと、多忙の合間に春雷自身が品の選定に携わったことを聞いている。妃嬪や宮女を労う気持ちが籠った品を、人を陥れるために利用し、挙句証拠隠滅のために破棄してしまうなど、彼の優しさが踏み躙られているようで悲しみがせりあがってくるようだった。況してや異国から取り寄せた希少価値の高い品なのだ。その調達にかけた費用は、元は汗水たらして労働に勤しむ民たちが収めた税であることを考えると居た堪れない感情に襲われる。
「そういうことが平然とできる者も、世の中にはいるのだ。そして後宮はそういうことが当然のように起こる場所なのだ。そう、心しておいてほしい。――下賜品といえば、今回藍朱のお蔭で事なきを得たが、その結果申し訳ないことになってしまったな。後日、改めて埋め合わせの品を用意しよう。」
「勿体ないお言葉にございます。どうぞお気遣いなきよう――。」
「あははっ。いいじゃないですかー、貰っておきなよ、藍朱さん。陛下のお心遣い、無碍にしたら霞琳様が悲しんじゃいますよ?」
話題を変えるように春雷がラシシュに向き直り、彼女が惜しみもせず自らの下賜品を差し出した行為を称賛する。再度下賜品を用意してくれるという破格の対応を謙虚に辞退しようとした彼女に、炎益が明るい声をかけながらわしゃわしゃと頭を撫で回す。綺麗に整えられていた艶やかな髪は当然ながら乱され、しかもラシシュの育った環境に鑑みれば男性同然の炎益に触れられるなど許されるものではないはずであるから、霞琳はその光景を目にしてあっと叫び声を上げそうになる口を両手で塞いではらはらと二人を見守る。
すると意外にもラシシュは怒るでも卒倒するでもなく、困惑したように、しかし決して不快さは微塵も感じられぬどころか喜色ともはにかみともつかぬものを滲ませた様子で震わせた睫毛を淑やかに伏せ、「それではお言葉に甘えて、陛下のご厚意をありがたく頂戴いたします」とだけ口にしたのだ。
(あれ、ラシシュってもしかして……?)
霞琳は目を瞠った。
いつも傍にいて相手のことを何でも知っているかのような気すらしていたラシシュの秘めた感情を垣間見て、まるで盗み見をしてしまった時のような罪悪感と、それ以上の昂ぶりを覚える。
ラシシュはジュゲツナルム王国の高位貴族の令嬢だ。ただでさえ男女の別に厳しい国で生まれ育ち、いずれは家のために親が決めた男性に嫁ぐことを想定していただろう彼女は、恋愛とは無縁な少女時代を過ごしてきたに違いない。シャムナラ姫に従い後宮に入ってからは、妃嬪の侍女といえども結局は皇帝の所有物である。先帝も春雷も彼女に手を付ける意思がない以上、なおのこと色恋とは縁遠いものになっていただろうことは想像に難くない。
そんなラシシュが恋をしている――これは霞琳にとって重大ニュースであった。後宮という籠の鳥にも似た彼女が、恐らくは人生で初めて手に入れた感情。これまで規律正しく生きてきた彼女が手に入れたささやかな自由を、喜び応援しないわけがない。そう、これは断じて冷やかしではないのだ。
ラシシュが下賜品を受け取ると聞いて、それがいいと笑って炎益は手を引っ込める。春雷も彼のアシストに満足しているようで、双眸を細めていた。
そこで、一段落ついたと判断したらしい徴夏が口を開く。
「――ところでよ、今回の件が劉昭容の企みだったとしたら、第二第三の事件が起こると考えて間違いない。それに対してこっちも備えをしておきたいよな。」
「ですねー。といっても、劉昭容様に接する機会が多い陛下と霞琳様には目を光らせてもらって、徴夏様と藍朱さんは宮女から、僕は宦官から、それぞれ上手く情報を吸い上げるってことくらいしかできなさそうですけど。」
「あと一歩踏み込みたいところではあるがな。……それに、嬌麗の方も手を打ちたい。暴走を抑えるのは無理だろうが、少しでも早くそれを察知して迅速に動けるような手立てが欲しい。」
「いっそのこと、俺が劉昭容と嬌麗のとこの侍女に手を出すか?内通者を作れれば情報入手も確実だろ。」
「それは駄目だ、危険が大きすぎる。嬌麗の侍女は兎も角、劉昭容の侍女はあの劉司徒が人選した者なのだぞ。下手を打てばそなたの方が利用されて、こちらの動きが全部劉司徒に筒抜けになるか、姦通を罪に問われて処断される可能性もある。私はそなたを失うわけにいかない。」
「春雷……!」
皆で頭を抱えながらあれこれと意見を出し合うなか、本気かと色んな意味で突っ込みたくなるような徴夏の提案にも生真面目に検討した結果却下する春雷。じーんという効果音が聞こえてきそうなほどの感動に打ち震える徴夏が、春雷の頭を抱えて嬉しげにぐりぐりと撫で回す。
即位後も非公式の場における春雷と徴夏の関係は相変わらずこの通りで、霞琳はなんとなく微笑ましい気持ちになる。立場は人を変えるとも言うが、春雷は皇帝になっても良い意味で変わらないからこその徴夏のこの態度なのだろう。そしてそれは徴夏だけでなく、自分にとっても同様だ。故に霞琳も、臆することなく自分の考えを口にすることができる。
「……相手側の者を味方につけるのが難しいなら、いっそこちらから人を差し向けてはいかがでしょうか。例えば妃嬪の方々に専属の宮女をつけるとか。」
霞琳の言葉に、皆の動きが止まる。
これは誰もが簡単に思いつくと同時に、まず誰もが口にする前に即座に切り捨てる案だからだ。真正面から人を送り込んでも怪しまれるだけで効果はないどころか、虚報でもつかまされたら寧ろこちらが被害を被ることになるのは、先の徴夏の案と大差ない。
ややあってから、陽気な表情を珍しく引っ込めて思案顔を浮かべる炎益が控えめに口を開いた。
「宮女を送り込んでも、上手く情報を掴めますかねえ……。当たり前ですけど、彼女たちは間諜の訓練を受けてるわけでもないし、徴夏様みたいに口説き文句を装った誘導尋問とかに長けてるわけでもないし。」
「おい、それ俺を褒めてんのか?貶してんのか?」
「炎益様の仰る通り、あまり質の良い情報は掴めないと思います。ですが、例えば今日のように鄧昭儀様が凄い剣幕で宦官の元へ向かったとか、その程度の情報なら迅速に報告を受け取れるようになります。情報の真偽を精査して対処をするのは私達の役目としても、まずは何か動きがあった時に一刻も早く察知することが必要ですから。」
情報の質を精査するだけでも時が掛かる。それよりも、今日のことを踏まえるならば質より速さが優先だと、霞琳は感じていた。
大事が起こった時、後れを取るわけにはいかない。
もし誤った情報だったとしても、何事もなければそれでいい。
仮に虚報を掴まされたとしたら、虚報を流すという行為そのものに相手側の思惑があるはずで、その事実自体が重要な情報に成り得る。
霞琳が自分なりの考えを述べているうち、皆の顔つきも悩ましいものから納得感のあるものへと変化していった。
「……成程な。さしづめ“情報は神速を尊ぶ”ってとこか。確かに俺は職務が職務だから近づくと警戒される可能性も高いが、元々後宮で働いてる宮女たちならその度合いも低くなるか。」
「確かに、質を求めないなら宮女を遣うのもいいかもしれません。問題は時期かなー……今実行すると、明らかに今日の一件を意識してるって思われそうですよね。」
「あ、時期でしたら――。」
「――私が曹昭媛の宮に通った後、だな。」
暫く黙っていた春雷が口を開く。その言葉は正に霞琳の考え通りで、こちらの意図を的確に汲んでくれる彼の頭の回転の速さには毎度驚かされるばかりだ。
春雷は今宵から、嬌麗、昭光、栄節の順に通うことになっていた。新たな妃嬪を迎えたらその女性と数日夜を共にするのがしきたりであるからだ。
これについても例の如く、嬌麗はもともと婚姻関係にあったのだから省くべきだとか、妃嬪としての身分の上下を譲ったのだから通う順番は配慮しろだとか、己が支援する妃嬪を優位に立たせようとする劉司徒や治泰らとの戦いのなかで、嬌麗を蔑ろにすまいとする春雷が強引に押し切って決定したものであるらしい。
劉司徒は昭光に、治泰は栄節に、一日も早く皇子を産んで欲しいと望んでいるはずだ。二人は春雷の姿勢が一貫して嬌麗寄りであることを理解しているはずであり、確実に共寝をすることになるこの機を逃したら彼の足が昭光や栄節の宮に向きにくくなることも想定しているのかもしれない。だからこそ彼らにとっては春雷の訪問の順序も、たった数日の違いであろうと死活問題なのだろう。
もしかしたら本日の嬌麗の一件も、この問題の余波で仕組まれたものなのかもしれない。そうであれば、いずれ彼女の懐妊が公になったら更なる罠や嫌がらせの標的にされることは明白だ。そのなかでお腹の子に万が一のことがあったら――つい不穏な想像をしてしまい、霞琳の身は小さく震える。
そのような恐ろしい未来が現実にならぬよう、霞琳は自分にできるだけのことをしなくてはならない。自身が妃嬪をずっと見張ることが不可能であるなら、信頼できる宮女を貼り付かせて動向を探らせるのが最善の策だ。
「曹昭媛が連れて来た侍女は他の二人に比べてずっと人数が少ない。私が彼女の宮に通い人手不足を感じたから、という名目で専属の宮女を用意してやれば良いと言うのだな。」
「はい、仰せの通りにございます。――曹昭媛様にのみ宮女を与えては不平等になるので、鄧昭儀様、劉昭容様にも同様になさるという建前でなら、皆様方のところに自然な形で宮女を送り込めましょう。」
「ではそのように。宮女の選定は霞琳殿に一任する。」
「畏まりました。」
春雷は決断が速い。徴夏や炎益も異論はないようで、これにて散会となったのだった。




