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ジュゲツナルムの姫君  作者: 上津野鷽
34/93

女官長 張霞琳

「霞琳様、こちらご確認お願いします!」

「はい!」

「霞琳様、こちらご用意が整いました!」

「はい!!」

「霞琳様、お時間です!」

「はい!!!」


 春雷の即位から一夜明けた今日、朝廷では付随儀礼が行われている。

 まず詔が頒布され、天下万民に新帝の即位を知らしめた。

 続いて、本来ならば皇后や皇太子の冊立が行われるべきところであるが該当者がいないため、三名の妃嬪の冊立がそれに代えられている。それは後宮の関与が深い部分なので、何かにつけて霞琳の差配が必要になる。忙しなく動き回る女官たちからひっきりなしに声を掛けられ、彼女たちの隙間を縫うように駆け回りながら仕事をこなす霞琳は、既に目が回り倒れ込みそうなほど疲弊していた。


「い、忙しすぎる……!」

「霞琳様、もう少しですわ。頑張りましょう!」


 補佐をするラシシュが励ましながら、水で濡らした手巾を差し出してくれる。霞琳はそれを受け取ると、涼しい秋の気候に不釣り合いなくらい滴る汗を拭った。ひんやりとした感触がじわじわと肌に広がり癒される心地がした。


「――霞琳、入るわよ!見なさい、私のこの燦然と輝く美しさを!」

「ああ嬌麗様、本当にお美しい……!」


 一息入れている霞琳の元へ、休憩など許さぬとばかり扉をばーんと開けて現れたのは嬌麗だった。

 先触れもなければ扉を開ける前の声掛けもない、そんな無遠慮極まりない登場の仕方に妙なデジャヴを覚えるが、霞琳には最早突っ込む気力もなく涙を飲みながら相手を持ち上げるのが精一杯だ。しかしこれが単なるヨイショではなく、嬌麗が真実美しいのだからもうどうしようもない。

 おほほほほ!と上機嫌に高笑いを響かせながら、煌びやかな正装の重さを感じさせぬ軽やかさでくるくると回ってみせる嬌麗は、これから朝廷に向かい正式に昭儀の地位を与えられる予定である。

 その前に着衣に関する最終確認を取りに来たのだろうが、舞のような動きのお蔭で細かい部分が良く見えない。また、妊婦に万一があってはいけないと、霞琳は慌てて腰を上げるや無礼を承知で彼女の両肩をがしっと押さえて動きを制した。友人になって以降、しょっちゅう呼びつけられてはお茶やら雑談やらに付き合わされてきたなかで、どういった行為までなら許してもらえるかというボーダーラインを見極める目が培われている。このくらいなら大丈夫なはずだ。

 嬌麗に従って来た侍女たちもほっとした顔で、彼女を止められる霞琳のことを神か何かでも崇めたてるような視線を送って来る。きっと彼女たちが何を言っても、浮かれきった嬌麗が聞き入れずに困り果てていたのだろう。その苦労の程は想像に難くない。


「うっふふー、今日の私はいつも以上に綺麗でしょう!やだわ、そんなまじまじ見詰められたら恥ずかしいじゃない……。でも霞琳の目を奪うくらい美しいってことよね?ああ、私ったら罪作り!」


 絶好調な嬌麗はきゃっきゃっと満更でもなさそうにはしゃぎながら、ぽっと赤らむ両頬に手を添えて首を傾ける。

 まじまじ見詰めているのは美しさに目を奪われたわけではなく、単に髪型や化粧、衣装の確認のためなのだが、霞琳としては重要な儀礼を前にして態々彼女の機嫌を損ねる必要もないので素直に頷くことにする。

 とはいえ、繰り返しになるが嬌麗が元より美貌を誇っているのは紛れもない事実であり、今日という大切な日のために侍女たちが一段と力を入れて整えてくれたのだろう装いが尚のことその容色を際立たせ、自意識過剰な発言すらもその通りだと納得できてしまう感があるのは流石というべきか。


「はい、本当にお美しくて……皇帝陛下は勿論、本日ご出席なさっている群臣の皆様も、嬌麗様の御姿に釘付けになられることでしょう。」


 一通り確認を終えた霞琳は、疲れを滲ませぬようにっこりとした表情を取り繕いながら正直な感想を述べた。

 途端、嬌麗はぱあっと顔を輝かせる。時にあどけなさを覗かせるところは出会った時から相変わらずで、思わず微笑ましい気持ちにさせてくれる彼女の魅力の一つだ。


「霞琳が太鼓判を押してくれるなら間違いないわね!――そうだわ、群臣といえばお兄様も上京なさって昨日から儀礼に参列しているのよ。後でお前にも会わせてあげる。楽しみにしていなさい。」

「それはそれは、鄧将軍の御目に掛かれるとは光栄でございます。」


 鄧将軍――征北将軍鄧魯範については春雷や嬌麗から度々話を聞いてはいたが、その職務柄北部の本拠地に常駐しているため、これまで姿を見る機会はなかった。生粋の武人でよく軍を従えている猛将であり、皇家への忠誠厚い人物というので、霞琳は勝手ながら正蓋(父親)に似た人物を想像して好感を抱いている。


(……あれ、鄧将軍が都にいらっしゃっているということは、父上もいらしているんじゃ――。)


 霞琳の鼓動が大きく跳ねた。

 新帝の即位を嘉するため、文武百官が集まる。ならば正蓋も上京しているはずだ。そんな当たり前のことに、どうして今まで気付かなかったのだろう。多忙にかまけて、無意識に頭の外へと追いやっていたのだろうか。

 身勝手にも妹と共謀してシャムナラ姫の侍女として張家を出て以来、全くの音信不通状態だった正蓋と対面できるかもしれない。合わせる顔などないという思い、謝罪をせねばならないという自責の念、しかしやはり家族が恋しい望郷の気持ち――様々な感情が積み重なって、霞琳の表情に影が差す。


「――霞琳様、霞琳様。」


 焦ったような小声が耳元で響き、霞琳は仄暗い思考の渦からはっと意識を浮上させた。振り返るとラシシュが唇を動かして、時間です、と伝えてきている。


「嬌麗様、そろそろのようです。」

「あら、もうそんな時間?じゃあ行ってくるわ、私の美しさで全員驚かせてやろうじゃない!」


 おほほほほ!とまたもや高笑いを上げながら、嬌麗は侍女を引き連れて霞琳の部屋を後にする。それを見送ってほどなく、昭光、栄節が入れ替わるようにやって来た。用件は無論、儀礼前の最終確認のためである。

 

 嫋やかな美を備えた昭光が正装を纏った姿は優美そのもので、妃嬪ではなく皇后の冊立の方が相応しいような気持ちにさせられてしまう。

 劉司徒が選定したのだろう侍女たちの手腕も見事というほかはない。唇や頬に乗せられた紅がほんのりと上気したような艶やかさを醸し出しているが、決して派手さはなく、色白で儚げにすら見える彼女に瑞々しい生気を加味しているかのような化粧。都で流行の少し崩れたような形に結った髪がしどけない色気をうっすらと滲ませているのに対し、衣装がきっちりと一分の隙もなく着こまれている姿が清廉さを主張して、全体的に品よく纏まっている。

 儀礼を前に緊張していると口にはするが、落ち着き払った態度の彼女から気負いのようなものは全く感じられない。一体彼女は何者なのだろうと改めて疑問に思うものの、先日劉司徒に噛み付きそうになったところを助けてもらった立場である手前、霞琳はにこやかに当たり障りのない応対に努め、昭光を春雷の元へと送り出した。


 そして次に現れた栄節を前にして、霞琳は内心で安堵した。何もかもが平凡で他の二人に比べ見劣りがしてしまうことに加え、小柄で存在感も薄く幼い印象のある栄節のことを霞琳は密かに心配していたのだが、正装を身に着けた姿は相応の淑女に見えた。

 おとなしい性格でもじもじと顔を伏せがちにしているところは妃嬪として頼りなくもあるが、多数の男性から注目される場で恥ずかしそうに振る舞う姿は慎み深い令嬢として彼らの目に映るだろう。女性に貞淑さを求める世の風潮も後押しして、むやみに見下されることはあるまい。

 長く政界から遠ざけられていた治泰が世話してくれたのだろう侍女たちは、良く言えば古風、悪く言えば時代遅れで、質も劣る。霞琳はラシシュに頼み、栄節の地味に過ぎた化粧を手直しさせた。淡い色の頬紅を乗せて血色が良さそうな顔色を作り、ちんまりとした小粒な瞳が少しでも大きく見えるよう目の輪郭を幅広に描き足してやると、顔立ちに明るく可愛らしい印象が加わった。元が元なので世辞にも美女とは言えないのだが、それでも本人は吃驚した様子で鏡を見詰めている。

「あ、ありがとうございますと仰っています!」と侍女が栄節の隣で畏まっていたのに苦笑し、時間が迫っているからと急かして朝廷へ向かわせた。


 妃嬪たちを次々に送り出し、漸く霞琳は一息入れる。しかし余り休んでいる暇はない。何故ならば、霞琳にとってはここからが山場なのである。


「さあ、霞琳様。お支度なされませ!」


 意気揚々と声を掛けて来たのはラシシュだ。きらきらと瞳を輝かせ、腕に女官の正装を引っ掛け、両手には櫛やら簪やらをかかえている。

その姿を見て、霞琳は微かに頬を引き攣らせて観念するしかなかった。



******************



 妃嬪の冊立が終わると同時に儀礼も終了し、休憩時間を挟んで始められたのは官職の任免だった。

 新帝の即位に伴い人事異動が行われるのはよくあることだが、先帝が新帝を補佐する者を予め選定しておき、その遺志をもとに正式な任免がなされることが一般的だ。しかし春雷の即位は既定路線ではなかったこともあり、父帝時代の体制を踏襲するのか、はたまた要職に就く者を入れ替えて国政を一新するのか、少し前まで注目が集まっていたのだという。

 先帝が急死した際、己の官位官職がかかった群臣たちはさぞや緊迫した雰囲気に包まれたことだろうが、春雷が出した答えは“ほぼ踏襲”だった。その意向は彼自身により非公式ながら敢えて早めに拡散されたため、この場に居並ぶ人々は心安く儀礼に参列できたという。

 霞琳はそれを聞いた時、急激な改革を望まない春雷らしい方針だと感じた。徴夏は劉司徒らを罷免する絶好の機を逃すことに反対したようだが、官職だけ剥奪しても実力を削げぬままでは寧ろ危険だと春雷に説得され、最終的には不承不承ながら同意したらしい。

 なお、“ほぼ踏襲”の内容はといえば、大きな人事が二件、その他に各部署の要員調整を目的とした配置転換が数件であった。この程度なら国政に何ら影響はなく、不平不満も特段起こらないだろう。春雷の目的は、飽くまでも平穏なスタートを切ることにあった。


 さて、大きな人事のうち一件は、治泰が太師に任じられたことである。太師とは最高位の官職だが、実権のない名誉職であった。皇帝の師という職務内容からも分かるように、通常は幼帝が即位した際にしか置かれない。加冠の儀を既に済ませている春雷が皇帝になるにあたり、本来ならば必要なものではないのだ。

 ただ、彼が有力派閥を形成し妃嬪を送り込むほどの重要人物であることや、最大派閥の頂点に君臨する劉司徒への対抗馬を要すること、先帝の時代に理不尽な扱いで官位官職を失ったことなど、諸々の事情に鑑みて、春雷は治泰の太師就任を決定したのだった。

 恐らく治泰は“皇帝の師”という権威を振りかざし、過去の皇帝にもそうであったように、春雷の施策にもあれこれ口出しをしてくることだろう。彼を太師に任じた以上はそれも已むを得ないものとして引き受けるしかないが、引き換えに劉司徒に対する牽制役として存分に働いてもらおうという肚である。


 そしてもう一つの大きな人事が、正に今公示されようとしていた。

 ラシシュの手により実年齢よりも些か大人びた化粧を施され、品がありながらも全体的には控えめに整えられた霞琳が、春雷の御前で跪きながら恭しく頭を垂れる。


「張霞琳、女官長に命ずる。」

「謹んで承りましてございます。」


 与えられた女官長の印を丁重に両手で包み込み、それに視線を落とす。

 これまでは何事も前女官長に判断を仰ぎ公文書にはこの印を捺してもらっていた。これからは己が女官たちからの上申を受け、判断を下し、印を捺す立場になるのだ。今までも事実上は女官長と同等の権限を保証されていたが、この掌のなかの物理的な重みが、改めて全ての責任を負う重圧を実感させてくるかのようだった。


 更に悪いことには、群臣たちの好奇の視線が余計にプレッシャーを与えてきている。

 張家はただでさえ一目置かれる名家で人々の注目を集めているが、代々征西将軍を務める家柄であればこそ中央や他地域を拠点とする貴族との関係が薄い。

 況してや()となると、良家の令嬢は深窓に育つものなので人前に姿を見せることなどそうそうない。故に、あの張家の()の姿を拝める貴重な場だというので、このたびの霞琳の任官が文武百官の間で妃嬪冊立よりも大注目の的になっていたのだが、当の本人はそんなことなど露知らず、この場に臨んでしまっていたのだった。


(思ったよりも平凡な外見だな。猛将の娘っていうから逞しい感じを想像してたのに……。)

(いやいや、月貴妃様が亡くなった衝撃で暫く体調を崩していたらしいぞ。それを聞いて、さぞ繊細でか弱そい可憐な美少女なのだろうと思ってたが、……まあ、普通の女の子だな。)

(後宮で精力的に活動しているという話もある。余程仕事ができるのだろう。……見た目からは全く想像できないが。)


 ひそひそとした不躾な品定めの声が響いてくる気がするのは、きっと気のせいではあるまい。霞琳はすっかり気後れしつつ、この場から下がるべく後ずさりをする。

 竜顔を拝するのは無礼になるため顔をずっと俯かせていたのだが、不意に鼓膜を震わせた優しい囁きにぴくりと動きを止めた。


(――自信を持つのだ、霞琳殿。何も知らぬ者には言わせておけばいい。そなたの良さは私がよくよく知っている。だからこそ期待もしている。)


 霞琳は失礼を承知で、視線だけを上向かせちらりと春雷の顔を見た。彼はそれはそれは優しげで、霞琳を力づけるような笑みを浮かべている。会場内の面々もそれに気づいたようで、とりわけ美しい彼の面持ちに見入ってしまう者もあれば、皇帝が特別な表情を向ける霞琳に対し畏怖の念を持った者もあり、場内は感嘆の溜息に包まれた。

 霞琳は春雷の心遣いに勇気をもらうと、意識して背筋をすっと伸ばし姿勢を正して、誰に恥じることもなく堂々とした振る舞いで場を下がっていく。その姿に再び人々の視線が集まったが、霞琳は中でも強い眼差しが背中に向けられていることに気付きはっとする。

 振り返りたい気持ちを堪えつつ冷や汗をかきかき朝廷を出ると、漸くほっと息を吐いてさり気なく肩越しに目をくれて先の視線の主を求める――と、存外直ぐに見つかった。正確には、まだあちらも場外に出た霞琳の姿を追いかけ続けていたので、目が合ったのだ。


(――叔父上!)


 霞琳は瞳を真ん丸にして叫びそうになるのを堪え、ぱっと前方に向き直った。

 正蓋が来ているだろうとは考えていたが、燈蓋が来ていたとは完全に予想外だった。久方振りに目にする懐かしい顔に、霞琳の鼓動は弾む。しかし彼の表情は決して再会を喜んでいるとは言い難く、険しいものだったことに一抹の不安を覚える。とはいえ燈蓋は元よりにこやかな表情を浮かべているタイプではないので、寧ろあれが通常ではなかったか――様々な考えが浮かんでは消え、霞琳の頭の中はぐちゃぐちゃになりかけていく。

 だが今は思案に暮れている場合ではない。今宵は妃嬪冊立を祝した宴席が開かれるのだ。後宮に戻ったらその準備に追われなくてはならない。


(しっかりしろ、霞琳。陛下のご期待に応えなくては――!)


 霞琳はぺちんと頬を掌で叩く。燈蓋のことはまた後程考えればよい。今はまず眼前の成すべきことを成すが第一。

 表情を引き締め、霞琳は後宮へと歩を速める。その足取りに、もう迷いはない。


 ――この日、霞琳は名実ともに女官長となった。


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