表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ジュゲツナルムの姫君  作者: 上津野鷽
33/93

皇帝 李春雷

 雲一つない青空だった。

 今日という日を天が嘉している――ついそんな錯覚に陥ってしまいそうなほど、双眸に眩いばかりの澄んだ蒼が上空一面に広がっていた。


「やっとだな。俺がどれほどこの日を待ち望んでいたことか……!この天候、天もお前の即位を歓迎しているんだろうな。」


 気が昂っているらしい徴夏の声を受け、空から彼へと視線を移した春雷は軽く肩を竦める。徴夏がいかに春雷の即位を切望していたか、嫌というほど解っていた。そのための足掛かりとして先帝の暗殺まで目論むような男なのだ。彼の執念は察して余りある。

 片や己はといえば、帝位に固執はしていないというのが率直なところである。本来なら帝位に就くはずだった皇太子を蔭から支え、目立たぬ立場でいたかった。が、それは今更口にしたところでどうにもならない感傷に過ぎない。態々徴夏の興奮に水を差してまで口にするものでもない。況してや今日――即位の日に、新帝がそのような振る舞いをすべきものではないのだ。


 即位の儀はここまで順調に進んでいる。

 早朝、朝廷に出向くと劉司徒を始めとする群臣が整然と並んでいた。圧巻ともいえる光景を前にしても春雷の胸中には何の感慨も湧かず、彼らから即位を要請する長々とした文書が読み上げられるのを、ただ右から左に聞き流す。

 先帝の崩御に対する嘆きから始まり、帝位の空白期間に政が滞り予断を許さぬ状況に陥っている状況を切々と訴え、春雷の高貴なる血筋や徳の高さを称賛し、どうか帝位に就いていただきたいと懇願する――飽くまで群臣が春雷を万乗の君と仰ぐことを望んでいるという体裁を取る形式的な内容は、現実主義の春雷にとって無意味な言葉の連なりにしか感じられなかった。


(――果たしてこの中で真実私の即位を望み、或いは嘉する者など、一体如何ほどいるだろうか。)


自ら爪を隠し続けた結果とはいえ、所狭しと居並ぶ群臣は自分をこれまで蔑ろにしてきた者ばかりだ。


 全く以て良い評判のない春雷などに皇帝が務まるのかと疑念に満ちた顔。

 皇帝は賢しくない方が御しやすくて良いとばかりの不敬を隠そうともしない表情。

 今まで軽んじて来た報復をされはすまいかと恐れ慄く面持ち。


 ――そのような輩がほぼ全員と表現しても大袈裟ではない。ここまで即位を歓迎されない新帝というのも珍しいのではなかろうかと、苦い笑いが零れそうになる気持ちを押し隠して神妙な雰囲気を醸し出さねばならなかったのは、なかなかに難儀であった。

 そして何よりも滑稽だったのは、そのような群臣たちの請願に心揺さぶられ、即位を受け入れるという芝居を打たねばならぬ己自身だ。とんだ茶番ではあるが、皇帝たる者は我欲によって自ら立つのではなく、その徳や人柄により人々から推戴されるべしという理念に基づく演出が必要であることは理解できなくもない。そのパフォーマンスこそが儀式というものなのである。


 一段落した所で、春雷は群臣を解散させて一旦奥に下がった。

 そして天子の正装に着衣を改め、歴代皇帝の位牌を安置している宗廟に詣でて天命を受けたことを報告する。次に祭祀儀礼を行う宮殿に移動して帛を焼いて捧げて天と社稷を祀り、儀礼の前半部分を終えた。

 後半の開始まで休憩を取っていたところでの、この徴夏の来訪である。まだ半分しか儀式を終えていないというのに、春雷は気疲れから座したまま深く息を吐き出しつつ、徴夏に傍らの席を示した。彼は遠慮なくそこに腰を落ち着ける。


「天の意思など推し量るのも憚られるが、そなたの言う通りこの陽気は有難い。雨が降ったら礼装が汚れて宮女が洗濯に苦労しただろうし、涼しい微風が時折吹いて来るお蔭でこの暑苦しい衣装にも耐えられる。」

「お前なあ……もうちょっと何かないのかよ。皇帝になるんだぜ、皇帝。」


 大物感の片鱗すら感じられない春雷の発言に、徴夏が笑う。皇帝になるからといって人格が急変するわけでもない。変わらない春雷の言動は彼にとって面白くもあり、安堵すべき点でもあるのだろう。


「そうだな、強いて何か言うとするなら……長いようであっという間だった、ということに尽きる。」

「そうか?俺はあっという間のようで長かった、って感じだけどな。……まさかお前の即位にここまで時間が掛かるとは思わなかった。」

「本来箸にも棒にも引っ掛からぬ存在だったのだ。即位させてもらえただけでも良しとせねば。」

「……俺は納得いかねえけどな。」


 今度は徴夏が深く息を吐く。苦々しそうな表情を浮かべているのは、今日を無事に迎えるまでの紆余曲折を思い起こしているのだろう。


 通常なら、皇帝が没すれば皇太子が即位する。それは既定路線であり、誰も異論を差し挟む余地もない。そしてこの国の服喪期間は一年なので、皇太子は即位はすれど華々しい儀礼は先送りとなる。

 しかし今回は、皇帝と同時に皇太子と第三皇子も亡くなった。とすれば、唯一残っている第二皇子の春雷に帝位が転がり込んでくるのが自然の流れ――そう徴夏は踏んでいたが、些か楽観に過ぎたようだ。


「ご存命であれば皇太子が即位なさっていたはず。ならばその忘れ形見であるお子様に帝位をお継ぎいただくのが筋ではないか?」


 そう主張したのは劉司徒だった。春嵐には数名の子が生まれたが、相次いで早世し、皇太子妃――即ち劉司徒の娘の所生である女児が一人健在なだけである。その幼い少女を女帝に据えれば、劉司徒の専横は益々手が付けられなくなるだろうことは火を見るより明らかだった。春雷としては、個人的な意見を述べるなら彼女の血統にも女帝という斬新な試みにも肯定的ではあるが、背後に劉司徒がいるとあっては、政を正したいという志が叶わなくなってしまう。この女帝案は到底受容できるはずもなかった。

 こんな時、皇后が皇帝の代理として強い発言力を有するのだが、生憎と王皇后は我が子の進退が掛かる状況においても頑なに沈黙を貫いているため、頼りにすることは不可能。

 流石最大派閥なだけあって劉司徒の影響力は凄まじく、女帝即位に流れが傾きかけ、春雷と徴夏も手の打ちようがなくなりかけたその時、思わぬ援軍が現れた。治泰である。彼は官職を剝奪されていたので朝廷に列席する権利はないが、皇子、そして皇族の長老という立場を振りかざして、劉司徒派以外の貴族たちを煽り味方につけたのである。


「皇位は代々皇子に伝えられるものであり、女帝など史上前例がない。よってこの度も皇子を即位させるべきに決まっておる。――皇族の男子が一人もいないような非常事態ならさておき、れっきとした皇子がいるにもかかわらず、よくもそのような愚かしい案を出せたものよ。崇高なる皇位継承に私利私欲を持ち込むなど、恥を知れ!」


 伝統を重んじる前例踏襲主義の治泰が顔を真っ赤にして劉司徒を責め立てる。

 無論、劉司徒も黙ってはいない。


「とは仰いましても、恐れながら第二皇子殿下は余り世評が芳しくなく……天子たる者、人々の模範とならねばなりませんからなあ。それに、皇帝陛下に加え皇太子殿下も第三皇子殿下も同日にお亡くなりあそばされたなか、第二皇子殿下だけがご無事というのも、世間では良からぬ憶測を生んでいるようで……。いやいや、私が申しているのではありませんぞ?飽くまで風の噂でございますが……。」

「うぬ、根拠もなく不敬であるぞ!――それにもし仮に春雷に皇帝に相応しくないほどの瑕疵があったとしても、他の皇子に継承させれば良いだろう!女帝など有り得ぬ!」

「いやはや……、それは流石に血筋が遠いのでは?」

「血縁の近さを重視するなら尚のこと、春雷が最も相応しいではないか!それを証拠のない噂だけで排除するとは何事か!」


 他の皇子といったら治泰しかいない。幾ら王氏との関係が深く罷免された過去があったとはいえ、彼自身が罪を犯したわけでもなく、世評が悪くもない。尤も世評云々については、無位無官となって以降、それを恥じて遁世に近い生活を送っていたため、取り沙汰されることもなく世の中から忘れられかけていただけなのであるが。

 しかし理由はどうあれ、血縁的に遠いという点以外に治泰の即位を阻む理由を見つけられない劉司徒に、治泰は益々食って掛かる。

 自分も継承権があると態々口にしたのは、あわよくばという下心があったというより、先例に則り春雷の即位を認めざるを得ない状況に追い込むべく、絶対に劉司徒が承服しないだろう皇位継承候補者として自らを引き合いに出しただけだったらしい。

 嘗ては即位の機を失い性格が捻じ曲がってしまった老人ではあるが、信念と野心を天秤にかけると前者に傾いたものとみえる。寧ろ歳を取って余計に頑なになり、信条を貫かずにはいられなかったのかもしれない。

 治泰のそういう性格は、ある意味で清々しいものであった。


 さて、予想外の登場を果たした治泰に押されに押された劉司徒は、一先ず春雷の即位に同意することとなった。そもそも女帝を立てようとしたのも本心ではなく、駆け引きのためだったのだろう。

 まず無理ではあろうが、もし女帝案が通れば勿論それはそれで良し。

 通らなければ春雷を即位させるしかないが、決してすぐに賛同するのではなく、即位に否定的な態度を示してから頃合いをみて譲歩する、そんな駆け引きによって貸しを作ろうとしただけなのだ。新帝の御代になっても先帝時代と変わらぬ影響力の維持――それこそが劉司徒の真の目的だったに違いない。


 こうして次期皇帝は春雷ということで落ち着いたものの、良からぬ噂が人口に膾炙していることに配慮して、ほとぼりが冷ますためという名目で即位は数ヶ月先延ばしされることになった。

 劉司徒としてはこの期間に先帝・皇太子暗殺の証拠を探し出し春雷の継承権を剥奪することも視野に入れていたかもしれず、即位の儀を迎えた今日この時まで、春雷の立場は不安定だったといえる。しかし幸いにも、春雷が暗殺を目論んだ事実もなく、徴夏が真相を知る者を全て抹殺してしまっていたので、そのような尻尾を掴ませるには至らずに済んだ。


 一方、服喪期間の方は、一年では長すぎるということで短縮することになった。

 喪に服している間、華々しい儀礼のみならず、婚姻や男女の営みも控えなくてはならない。そうなると、一年という長期間、嬌麗だけが春雷の妻として後宮に君臨することになり、自然と皇后に最も近い女性になるだろう。

 劉司徒や治泰としてはそれを看過できようはずもなく、この点に関しては二人は共同戦線を張った。つまり、先帝・皇太子急死という非常事態に鑑みて服喪期間は短縮し、即位に伴い喪が明ける扱いにする。そして春雷には新たに妃嬪を迎えさせ、早々に子を成させようという魂胆なのだ。


 即位は延期するが喪は早く終えるなど、随分と都合よく物事を推し進めるものである。

 とりわけ服喪期間の短縮については、先帝の同志であり腹心だったはずの劉司徒ですら、主の死を悼むより権力闘争に重きを置いているとしか解釈しようがない決定だと、春雷は思った。

 そして同時に、いかに権力者といえどもその力の源泉が皇帝の寵や信に依拠している以上、皇帝の代替わりは生死に関わる一大事であるのだから、主君の死に悲嘆にくれるより生き延びるための活路の模索に必死になってしまうことも十分に理解できた。


(……悲しいものだな。無二の友であっても、皇帝や臣下といった立場が人間らしい感情の発露を許してくれない。)


 今日という日を迎えるまでの慌ただしく綱渡りのような日々を思い返し、春雷は徴夏に視線を投げた。

 何だ、と問いたげな表情を返され、春雷は静かに頬を緩める。


「……身勝手な願いだが、そなたには私が死んだら少しくらいは悲しんでほしいものだと考えていた。だが決して引き摺らず、私の死すらも糧にして進んでいってほしいとも思っている。」

「――はあ!?めでたい日になんつーこと言ってんだ、お前は!ふざけるなよ!」


 微笑みながら自らの死について口にする春雷に、徴夏は一瞬唖然とした後、頬が染まるほどの怒りに打ち震えながら怒鳴り声を上げる。

 仮定の話ですらこの様子なら、徴夏は自分の死を悲しんでくれるだろう――そう確信した春雷は嬉しげに笑みを深めるばかりで、徴夏は本気で憤っていることが徐々に馬鹿らしくなってきた。


「……死なせねえよ。寿命なら仕方ねえが、それ以外の理由でなんて、俺が絶対死なせねえ。」

「それは頼もしいな。だが、私も同じ思いだと忘れずにいてくれ。……――さて、そろそろ行くか。群臣も再度集まった頃だろう。」


 気付けば儀礼の後半が開始する時刻が迫っていた。再び朝廷に戻り、皇帝の礼装姿を披露してその威光を文武百官に見せつけ、印璽を受け取って即位を宣誓し、群臣から延々と言祝ぎを受け万歳三唱で締め括られる――そんな茶番の第二弾に向かわねばならない。

 先程までは億劫だった春雷の気持ちも、徴夏と話したことで解れたように感じられた。それは体の動きにも表れて、すっと椅子から腰を上げると軽やかな足取りで歩み出す――儀礼の続きに、ではなく、皇帝として進むべき道の出発点へ。


 ――この日、春雷は皇帝となった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ