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ジュゲツナルムの姫君  作者: 上津野鷽
32/93

新たな波紋(後編)

「それで、そなたはあの三人をどう見た?」


 霞琳の部屋でラシシュが淹れてくれたお茶を飲み、一息吐いたところで春雷が切り出した。

 あの三人とは、無論妃嬪となる女性たちのことである。嬌麗はさておき、あとの二人については春雷もまだほとんど知らない。彼女たちの後ろ盾となっている有力者の思惑も含め、春雷にとっては大きな関心事であるはずだ。だからこそ、自分とは異なる形で顔を合わせる機会を得た霞琳から多少なり情報を得ておきたいのだろう。


「そうですね……栄節様は本当におとなしく、恥ずかしがりやな方とお見受けしました。とても控え目で質素な御方という印象です。」

「そうか。――大伯父上にはお会いしたか?」

「はい。……少し難しいところがおありですが、心根は良い御方かと。」

「はあ?あんた、あの口煩い爺に何を言われたんだよ?」


 気の置けない仲間しかいない場なので、霞琳は無礼講のつもりで率直な感想を述べた。

 途端、徴夏が驚きを露わに興味津々といった様子で詰め寄って来る。霞琳には知る由もないが、朝廷での治泰はいつもしかめっ面で髭を撫でながら高慢に踏ん反り返っており、昔はこうだった、あの頃は良かった、それは前例がない、過去に倣うべき――そんな発言ばかりを繰り返し、意欲溢れる若者である春雷や徴夏の気を削ぎ、端から相手にする気もないような真似ばかりしているのだ。

 春雷も常より双眸を丸くしていることから、霞琳の返答が意外だったらしい。徴夏を片手で制しつつ、視線で続きを促してきた。


「ええと、栄節様の宮をお気に召したようで、私のことを評価してくださいました。」

「あの爺が評価!?矢でも降って来るんじゃねえの?」

「矢が降るかどうかは兎も角、大伯父上が人を褒めるのは私も見たことがない。霞琳殿の努力の賜物だな。」


 信じられないと言わんばかりの徴夏、そしてまるで我が事のように嬉しげに頬を緩める春雷を目にして、霞琳は改めてじわじわと面映ゆさが蘇る心地を覚えた。

 気難しく嫌味な治泰が素直に他者を認めるのは相当希少な例であるらしい。春雷から与えられた任務に悩み抜いた日々が思い返され、近しい人からは勿論、そうでない人からも評価されることがこんなにも喜ばしいことなのだと、初めて知った。自分にもできることがあるのだと、改めて自信を得られた気がする。


「それで、心根が良いというのは、どうしてそう感じたのだ?」

「ああ、俺もそれが気になる。まさか自分を褒めてくれたから良い人!ってわけじゃねえだろうし。」


 徴夏の軽口に対し、態と口をへの字に曲げむっとした視線を向けることで当たり前だと言外に示す。彼はそんな不躾な態度にもおかしそうに笑うばかりで、シャムナラ姫暗殺の真実を教えてもらった一件以降、霞琳は自分たちの関係が随分と気安いものになったと感じている。


「これは私の推測なのですが……栄節様のことを大切に思われておいでではないかと。言動の端々から、そのような気がいたしました。」

「そうか。……言い方は悪いが、貴重な妃嬪(手駒)として大切にしているだけの可能性もある。その辺りは今後見極めていく必要があるだろうな。」


 宮を優しげに見詰めていた治泰を思い起こしながら所見を述べた霞琳だったが、春雷の言も尤もだと頷きを返す。栄節のおとなしい態度とて、演技ではないと言い切れるほど彼女のことを知っているわけでもない。何にせよ様子見は必要なのだ。


「――では、昭光の方はどうだった?」

「はい。昭光様はとても優雅でお美しく、ご聡明であらせられ、私に対してもご配慮くださる御方でした。」

「べた褒めだな。話だけ聞くと、妃嬪っつーより皇后に相応しいくらいだ。」

「そうだな。劉司徒のことだ、当然それを見据えて養女を選定しているに違いない。」

「私もそう感じました。正直なところ、血縁関係にある御方を養女にされたとは思えません。」


 徴夏が憎々しげに吐き捨てるのを受け、同感だとばかりに春雷と霞琳が相槌を打つ。


「権力のためなら何でもする奴だ、妾にするつもりだった女でも養女にしたんじゃねえの?後宮に入れた以上、流石にまだ生娘だとは思うけどよ。」

「それなら寧ろ我らにとって好都合だと受け止めよう。彼女の素性を偽っているなら、その証を掴めればこちらのもの。とはいえそう上手くはいかぬだろうから、私も彼女と接する時には細心の注意を払わねばならんな。」


 劉司徒が昭光にずっと鼻の下を伸ばしていたことには言及しなかったにもかかわらず、あの場を目にしていない徴夏も似たり寄ったりの思考を巡らせているところから、世の中に疎い霞琳にも劉司徒に対する世評が見えてくるように感じられる。

 そして春雷もまた霞琳と同様の考えに至ったらしいことを確認したからには、可能な範囲で彼女の出自を探ってみようと、霞琳は心密かに決意を固めた。


 昭光と劉司徒の話が一段落したところで、霞琳はずっと燻ぶらせていた懸念を遠慮がちに切り出す。


「……あの、春雷様。戎月国の内乱が激しくなっているという話は真実でしょうか?」

「ええっ!?」


 劉司徒から聞いた話を口にするや否や、真っ先に反応を見せたのは傍らに控えていたラシシュだった。霞琳、春雷、徴夏は反射的に彼女を振り返ると、ラシシュは恐縮しきって謝罪を口にしながら深々と頭を下げていたが、私的な場という状況もあって、三人はそれを咎めるほど狭量ではない。故国の話なのだから当然だと、皆が彼女の心中を思いやる。


「……劉司徒から聞いたのか?」

「はい。劉司徒のご令嬢と我が兄・褒琳の縁談について話が及んだ流れで、そう伺いました。劉司徒は戎月国との外交関係を軽くお考えのようですね。」

「そうだな。本来なら戎月国は我が国を宗主国と仰ぎ朝貢を行うことによって、我が国の庇護を得られる。それが国内の混迷により朝貢が滞り、父上の崩御に当たっても使節の派遣もなかった。それどころか張将軍が王家を救うために出兵を繰り返し、我が国の兵や糧食、戦費諸々が消費されていくばかりとあっては、劉司徒のように戎月国を切り捨てる政策を主張するものが出て来るのも自然の流れだろう。」

「そんな……。」


 霞琳は言葉を失う。

 春雷の説明は一切の私情を挟まず、理論と事実とが淡々と並べられているだけだ。だからこそジュゲツナムル王国と大青華帝国の関係性が本来あるべき形から逸脱している現実が突き付けられるばかりで、止むを得ない状況とはいえ完全に非のあるジュゲツナルム王国を庇いようがない。

 ラシシュも霞琳と同じ思いなのだろう。心痛を耐え忍ぶように下唇を噛み締めたまま、悲しげに曇った淡い色の瞳を伏せている。


「――だが、我が国と友好関係にある王家が反乱勢力に屈すれば、当然戎月国との外交関係は悪化するだろう。そこから国家間の戦争にでも発展しようものなら、今より被害が甚大になるのは明らか。私はそれを回避するためにも、王家を助け、戎月国の内乱という規模のまま鎮圧してしまう方が得策だと考えている。」

「……はい、私もそう思います!月貴妃様の代わりには到底なれませんが、私も戎月王家の血を引く身、何かお役に立てることがございましたら何なりとお命じください。」


 春雷の意見を聞くに及び、漸く霞琳とラシシュは生きた心地を取り戻す。皇帝となる彼がジュゲツナルム王国を庇護する方針を変えないつもりなら、ジュゲツナルム王国の平和を願う自分たちにとって十分に望みはあるはずだ。

 反乱軍をどうにかしたいが効果的な打開策がない、すまないが張家にはまだまだ苦労を掛ける――そんなことを申し訳なさそうに続ける春雷の心遣いを嬉しく感じながら、それは仕方のないことだから気にしないで欲しいと、霞琳は首を左右に振った。

 そんななか、月貴妃という名が上がった際、思うところがあるように視線を外し会話の輪から静かに離れる素振りを見せた徴夏の態度に気付いたのは、恐らく春雷だけだったろう。

 それを誤魔化すかのように、春雷が言葉を続けて話題を変える。


「さて、最後になるが――霞琳殿、嬌麗についてはどう思った?」

「はい。嬌麗様はとても素直で可愛らしい御方ですね。私を友人にしてくださいました。」

「はあ!?あいつが可愛い!?」

「……友人?」


 瞬時に輪に戻り頓狂な声を上げる徴夏と、唖然としながらぽつりと疑問形で単語を復唱する春雷の対比が凄まじい。

 そんな反応もお構いなしに、霞琳は嬌麗とのやり取りを嬉々として話し続ける。徐々に二人の表情が無へと変化を遂げていく様子が見て取れた。


「あー……なんつーか、あんた、あれか?自由奔放な我儘女子に振り回されて、仕方ないなあとか思いながら世話を焼いて幸せを感じる性格か?そんでもってそいつの構ってちゃん傾向を悪化させていくやつ?」

「……言葉選びはどうかと思うが、私も概ね徴夏と同様の所感を得た。初めて友人ができて舞い上がっているだけならば構わないが。」

「ちょっ、ええっ!?徴夏様の意地が悪いのはいつものことですけど、春雷様まで!?」


 春雷から珍しく身も蓋もない反応を示され、霞琳は衝撃の余り表情が完全に崩れ切っている。唯一の友人である嬌麗に対し、その夫である春雷さえ好意的な評価を下してくれない現状に、涙が滲みそうだ。


「……私は皇子とはいえ、三族誅殺の憂き目を見た王皇后(母上)の所生。同母兄でも皇太子という揺るぎない地位に在った兄上とは異なり、世間からの評価も低く後ろ盾もない不安定な立場の私には、誰も娘を嫁がせたがらなかった。

 都では軽んじられる私のような者でも、地方の者からすると高貴な血筋として崇めてくれるものらしい。皇室への崇敬と忠義に厚い鄧将軍は皇族である私を軽視する中央貴族たちに憤り、その状況を憐れんで、溺愛する嬌麗()を嫁がせてくれたのだ。見返りを求めず義心から私に尽くしてくれる彼には本当に感謝している。故に私も嬌麗を大切にしようと思った。……今でも思ってはいる、が。」

「出会い頭の第一声が、『どうせ嫁ぐなら皇太子殿下が良かったのに!』だもんな。でも結局、嬌麗は春雷の顔面に絆されて、今では独占欲剥き出しのべた惚れ状態……『春雷様、春雷様~』って甘ったるい声で纏わりついてくるもんだから、春雷はあいつの相手に一苦労ってわけだ。」


 徴夏の中途半端に裏返った声色で繰り出される全く似ていない物真似を前にして、今度は霞琳の表情が無になっていく。


 そもそも鄧家は、本来なら皇子の正妻を輩出できるような家柄ではない。ただ、相応の家柄の貴族が誰も春雷に娘を差し出さなかったので、嬌麗は鄧家の娘であっても春雷の正妃になれたのだ。

 そのあたりの事情を承知しておらず、鄧家の家格を見誤り、自分が皇族に嫁げる立場の人間だと勘違いしたが故の『皇太子殿下に嫁ぎたかった』発言なのだろうが、嬌麗を大切に迎えようとしていた春雷にとってとんでもなく失礼であることは疑いがない。

 尤も嬌麗が皇太子妃になりたかったのは、単に女児がお姫様に憧れるようなもので、春嵐に懸想していたわけでもなんでもないのだろうことは、今や春雷にぞっこんである辺りから明白だ。

 嬌麗の奔放で率直なところは、そんな振る舞いなど到底できぬ霞琳からすると眩しく愛らしい。が、時と場、とりわけ相手を弁えずにそれが発揮されてしまう点に鑑みれば、彼女は間違いなく爆弾である。

 後宮とて、春雷にとっては劉司徒や治泰を相手取っての戦場であることに変わりない。その戦いにおける切り札であるべき嬌麗の自爆リスクが高いことは、正に痛恨事だ。

 

「……だが、悪い娘ではない。私も妹のように思っているので、霞琳殿が友人として、女官長として、嬌麗を支えてくれるなら喜ばしい限りだ。彼女にとってもそなたが初めての友達だからな。」

「え、嬌麗様にとっても私が初めてですか?」

「当たり前だろ。あの性格で誰が友人付き合いなんてしてくれんだよ。あんたが物好きなだけだって自覚しろよ、なあ?」

「あ……。」


 嬌麗に認められた初めての人間が自分なのかと喜びかけたのも束の間、割って入った徴夏の言葉に現実をまざまざと理解させられる。つまり嬌麗に今まで友人がいなかった理由は、霞琳のように身近に同世代の者がいなかったという不可抗力でも、周囲に碌な人間がいなかったという恵まれない状況だったわけでもなく、単に本人の性格により誰も近寄って来てくれなかったという自業自得なのだ。

 そしてさり気なく流してしまったが、春雷が嬌麗を妹のように思っているという発言は、彼女が知ったらさぞかし悲しむことだろう。心の底から好いている男性に、それも子まで儲けながら、女性として見られていないというのは恋する少女には酷な話だ。

 しかし妃嬪のなかで唯一春雷側の人間であるという意味では、嬌麗は春雷にとって紛れもなく特別な存在であることは間違いない。たとえ春雷が男女間の愛情を持っていないとしても、せめて嬌麗がいずれ皇后に立ち幸せな日々を過ごせるよう、精一杯補佐をしようと霞琳は胸に誓った。


 そんな話をしているうちに、大分時間は過ぎ去っていたようだ。

 陽も暮れたので戻るという春雷を送るために外に出た霞琳の傍らに、徴夏が留まっている。彼もまた春雷を送り出す立場だとでも言うように。


「――徴夏、戻らないのか?」

「ああ、俺はもう少し用があるんでね。」


 いつもなら二人で連れ立って帰るところだというのに、明らかに不自然だ。

 春雷が眉間に皺を寄せるのを目にした徴夏は、愉快そうに口角を上げる。


(その気持ちが嫉妬だって、早く気づけよ、春雷。)


 にやにやと笑みを浮かべる徴夏の心の声などなど聞こえるはずもない春雷は、女性の部屋に余り長居するなと一言残して、志文を連れて戻って行く。

 霞琳はその背中が夕闇に溶けるまで恭しく頭を垂れて見送った後、改めて徴夏に向き直った。


「それで、ご用件とは何でしょう?後で、と仰っていた件ですか?」

「ああ、ちゃんと伝わってたようで何よりだ。――あんたも気付いてるだろうが、俺は春雷の新たな護衛を快く思っていない。あんたも気を付けた方が良い、ってことを伝えようと思ってた。」


 部屋に入る前、徴夏が霞琳に物言いたげにしていたのは志文のことだったようだ。その名を紡ぐのも嫌悪している様子を目にするにつけ、彼を取り立てた春雷の前でとやかく言うのを避けたのも頷ける。


「気を付ける、とは一体どういうことでしょう?志文様に何か問題が?」


 春雷が自らの傍に置くと決めた人間だ。妙な人選をしているとは考え難く、霞琳は首を捻る。

 すると徴夏は不意に真顔に戻り双眸を険しく細めながら、ゆっくり重々しく口を開いた。

 

「問題どころの話じゃねえ。あの男――范志文は、范淑妃の弟だ。」


 信じられない言葉を耳にした瞬間、霞琳は目を見開き絶句する。

 シャムナラ姫の死の光景が蘇って息が詰まり、たった瞬き一つ分の時間が永遠に感じられるほどに、悪夢に引きずり込まれたようだった。


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