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ジュゲツナルムの姫君  作者: 上津野鷽
30/93

鄧嬌麗

「――お前が張霞琳?」

「然様にございます。どうぞお見知りおきを。」


 最後の目的地――嬌麗の宮に到着した霞琳は随分と長い時間待たされ、漸く通された部屋で膝を着いて頭を垂れた。そして挨拶のため口を開こうとするや否や、まるで名乗りを遮ろうとするかのごときタイミングで、しかも初対面であるというのにやたらと高飛車な第一声を浴びせられたことに面食らいながらも、動じることなく丁重に礼を以て返す。

 こういう場面で態度だけは平然としていられるようになったあたり、どうも後宮に来てから心臓が強くなったようだ。きっと毛がもじゃもじゃに生えまくっているに違いない。張家にいた時分ではありえないことばかり起こる後宮の日常に馴染んできた証だろう。それが良いことか悪いことか、判断はしかねるのだが。


「ふん、顔を上げていいわよ。」

「恐れ入ります。」


 やはり尊大な調子で出された許可を受け、霞琳はゆっくりと顔を上げる。そこで初めて嬌麗の顔を正面から仰ぎ見ることとなった。

 といっても、扇で下半分が隠されているため、確認できたのは猫のように釣り気味で切れ長の瞳、緩やかに美しい弧を描く眉、すっと通った鼻筋だけなのであるが、すべてが互いに互いを引き立て合うような絶妙な大きさと位置取りをしている。

 自分より年上だと聞いていたが、大きな目がぱっちりとしているせいか童顔気味で、同い年くらいに見える。そんなあどけなさを残してはいるものの、彼女を見ているとまるで美人画の傑作を鑑賞しているかのような心地に陥った。


(……ああ、こういう美しさもあるんだな。)


 霞琳にとって美女といえば、真っ先に思い浮かべるのはシャムナラ姫である。彼女が纏っていたのは周囲を惹きつけるような異国の独特な雰囲気であったのに対し、嬌麗には一種の清涼剤とでもいうべきか、さっぱりとした空気を連れているような清々しい美しさがある。艶のある漆黒の髪と瞳の強い印象からやや勝気に過ぎる嫌いはあるが、それさえも彼女の魅力を更に増す材料になっているようだ。

 一段高い場所に配置された椅子に悠然と腰を下ろし、珍しい鳥の羽で装飾された扇で口許を覆い隠す所作は彼女の気位の高い雰囲気もあって妙に様になっており、若干の幼さを感じさせる言動をカバーして余りある年齢相応の淑女に見えた。


「それで、用件は?」


 事前に訪問許可を得る際、当然用件も伝えていたはずなのだが、敢えて知らぬ振りをしているのか、或いは侍女から聞いていたのに忘れたのか。どちらともつかぬ悪びれた風が一切ない様子で堂々と問い掛けて来る姿には心の裏表があるように感じられない。

 後宮に入ってからこの方、先程の劉司徒との息が詰まるような遣り取りの他、陰謀やら策略やらを見聞きする機会が増え、どろどろとした空気を吸い込み過ぎていた霞琳にとって、嬌麗の率直な振る舞いは澄んだ空気を与えてくれるような新鮮さがあった。


「はい。このたび畏くも後宮における女官長を拝命することになりましたので、そのご挨拶に伺った次第でございます。まだ宮中に入って日も浅く、不慣れなところも多くございましょう。宜しくご指導ご鞭撻のほどお願いいたします。」

「……女官長?」

「然様にございます。」

「張家の娘が?本当に?」

「はい。私が嬌麗様に偽りを申し上げることなどございましょうか。」


 ぴくりと眉を跳ね上げ、あからさまに訝しがっている嬌麗の真意が掴めない。

 元はシャムナラ姫付きの侍女であり、後宮に入って僅か三、四ヶ月程度しか経っていない霞琳が、いきなり女官長に抜擢されるというのは確かに異例であろう。現在の女官長も王皇后の侍女上がりではあるが、後宮に入ってから数年の時を経てから任命されている。

 しかし霞琳の場合は、張家という強大な後ろ盾があることに鑑みて、女官長という立場が決して分不相応ということでもないのだと、春雷からも説明を受けていた。

 それでもこれほどに執拗に念押しされるということは、彼女にとって自分ごときが女官長だとは烏滸がましいとでも思われているのだろうか。


(嬌麗様に認めてもらうには、もっと下手に出て自尊心を擽った方が良いのかな?それとも――……。)


 思考を巡らせながら嬌麗の様子を視線のみでちらりと窺い見る――と、こちらを凝視している彼女と眼差しがぶつかった。


(しまった!)


 反射的に目を逸らしそうになるが、それではかえって本心を隠しているように疑われまいか。ならば顔を背けてはならぬと自分を叱咤して目を合わせたままでいると、嬌麗のつぶらな瞳に輝きが宿っていることに気付く。


(――これはもう、一か八かだ!)


 何事もなかったように、にこ、と双眸を細めてみせる。悪意がないのは無論、貴女の胸の内を探るような不躾な真似などしていませんよ、とでもいうように。極力自然に、柔らかく。

 途端、嬌麗は表情をぱあっと輝かせ、


「良かったあ!」

「!?」


 高座から飛び跳ねるような軽やかさで駆け下りてくるや否や、霞琳の前に膝をつくなりぎゅっと両手を握り締める。

 唖然として目を離せずにいると、きらきらきら、と擬音が聞こえてきそうなほどに好意を全開にした煌めく黒に自分の姿が映っているのが見えた。


「あ、あの……?」


 貴人としてありうべからざる振る舞いに、周囲の侍女達は呆れと諦観が入り混じった様子で溜息を吐いている。


(……あ、これが嬌麗様の通常運営ってこと?そういうこと?)


 ははは、と苦い笑いを零したくはなったが、霞琳の表情は尚も穏やかな笑みを貼り付けたままを保っている。

 その外面を真に受けてか、否、もしかしたら霞琳の気持ちなど全く意に介していない自分本位さの表れなのか、嬌麗は弾んだ声で一気に話し始めた。


「あのね、あのね、私、お前が女官長になるって聞いて嘘だと思ったの!だってそうでしょう、お前の父親はあの有名な征西将軍――征北将軍である私の兄上と同格だって建前だけど、実際には張家の方が圧倒的に格上だって私も皆も知ってるわ。それにお前は春雷様のお気に入りって噂も聞いてる。だからね、女官長なんかじゃなくて妃嬪として正式に後宮入りするものだとばかり思ってたいたのよ。もしそうなったらお前は私より上位の妃嬪になるに決まってる。ううん、妃嬪どころかいきなり皇后になってもおかしくないわ。私が今身籠っている子が皇子だったとしても、後からお前が皇子を産めばその子が皇太子になるに決まってる……。」


 言葉尻が消え入りそうな声になっていき、嬌麗はまるで大輪の花が僅かにしゅんと萎んだような様子を見せる。

 強気な女性の弱気な一面は何ともいじらしい。いまだ残っている男心を擽られるようで、霞琳の庇護欲がむくむくと湧き上がってくる。


(大丈夫、私は本当に女官長だから!妃嬪でも皇后でもないから!子供なんて産まないから。ていうか体の構造上、絶対産めないから。自信持って、嬌麗様!)


 決して口にはできない真実を心の中で叫び悶えながら、彼女に対する激励の想いを込めてぐっと手を握り返す。

 すると嬌麗はすぐに明るく艶やかな、しかしどこか無邪気さを残した笑みを満面に咲かせた。


「だから私、お前が女官長でほっとしたわ。新しい二人の妃嬪もそうだけど、後宮の女官達も文官の家柄の出ばかりで、私、なんだか独りぼっちのような気がしていたの。武門出身で、しかも私の恋敵にもならない、年の近いお前が女官長としていてくれるなんて……仲間が出来たみたいで嬉しい。ねえ、私達仲良くしましょ!」

「……仲間、ですか?私の事をそんな風に思ってくださるのですか?」


 霞琳が戸惑いを込めて問う。

 妃嬪と女官長――上下関係が明白である互いの立場を考慮すれば対等な関係性など受け入れるべきではないのだが、霞琳の耳に「仲間」という単語が魅惑的なことこの上なく鼓膜に響いたのだ。

 霞琳の問いかけが悪い意味ではないことは、ほんのり上気した頬が証明しているだろう。

 拒否されないことに気を良くした嬌麗の破顔ぶりは、今日一番だったに違いない。


「うっふふ、勿論よ!――だってほら、私にこんな広々とした宮を宛がってくれたのはお前だって、春雷様から聞いたわ。これから生まれる()()()()がのびのび遊べるように配慮してくれたんでしょう?」


 高い天井、建物の幅や奥行きの広さを表現するかのように、嬌麗は両手をぱっと大きく広げてみせる。

 ここは古くもなく新しくもなく、豪奢でもなく素朴でもなく、これといった特徴はない宮である。ただ、かつて皇子や公主を多く生んだ妃嬪が主だったお蔭で、増築や敷地内に別棟を追設されるといったことが繰り返された結果、床面積がずば抜けて広大な宮であった。

 霞琳は当初、栄節の由緒ある宮、昭光の煌びやかな宮とのバランスを取るためだけに、広大さが取り柄のこの宮を嬌麗に割り当てようと考えた。しかし果たしてそれが正解なのだろうかと悩んでいたところに、嬌麗が懐妊していることを春雷から聞き、子が生まれるならば狭いより広い方が良いと、己の差配に意味づけをすることができたのだった。


 そしてもう一つ、霞琳には思うところがあった。

 春雷は、政敵である劉司徒、そして些か煙たい存在である治泰のこれ以上の台頭を望んでいないので、栄節や昭光を身籠らせる可能性は極めて低いはずである。であれば、彼が皇帝になる以上儲けねばならない後嗣――その母親に成り得るのは、嬌麗しかいないのだ。

 現在嬌麗のお腹にいる子が皇子だったとして、その子が立太子されたとしても、万が一に備えて二人目、三人目の子がいるに越したことはない。子沢山だった妃嬪が使用していた宮を嬌麗に住まわせたのには、彼女に何人もの健やかな子を産んで欲しいという密かな願いを込めていたのであるが、それはきっと暗に伝わっているのだろう。「子ども達」と口にしたのだから、嬌麗は子を複数人生む気満々に違いない。

 春雷の子が幾人も生まれ、この宮を賑やかに駆け回る――そんな想像をして、霞琳は頬を緩めた。その表情を、嬌麗は自分の問い掛けに対する応と捉えたようで、満足そうに大きな瞳を細める。


「ほら、こんなに私のことを想ってくれるお前は、私の仲間として認めるに相応しいわ!お前に異議も無いようだし、私達、たった今から友達よ!」


 友達という関係を約した後、嬌麗は霞琳を離したくないようで、あれやこれやと話題を変えてほぼ一方的に話し続けていた。

 しかし流石に見かねた年嵩の侍女が「霞琳様もお忙しいのですよ!ご自重なされませ!」と一喝して彼女を引き剥がしてくれたお蔭でようやく解放された霞琳は、嬌麗の宮を辞した後、自室に向かうべく回廊を歩んでいた。


(……友達、かあ。)


 後宮に入るまで、同年代の近しい者といえば兄妹とシャムナラ姫しかいなかったが、兄妹は当然ながら家族であり、シャムナラ姫は従兄妹かつ恋慕の対象であったため、霞琳にとっては「友達」という括りに入らない。

 後宮に入ってから親しくなった者たちは、切っても切れない上限関係があったり、無知な霞琳を教え導いてくれる存在であったりするので、対等な関係として捉えることは如何せん難しい。「友人」というよりは「同志」と表現する方が適切に思える。

 つまり、霞琳にとって嬌麗は初めての「友人」なのだった。

 ふふふ、と無意識に顔が緩む。自然と足取りは軽やかに、霞琳は自室へと向かっていくのだった。


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