偽りの侍女
※死亡、軽暴力表現ありますのでご注意ください。
霞琳をはじめとする侍女たちは、後ろ手に縛られた状態で暴室に幽閉されていた。
シャムナラ姫の宮殿にいた者たちだけではなく、見知らぬ宮女たちも一緒だった。恐らく、嫌疑のかかる者を一斉に収容したのだろう。
(さすがは李徴夏、手際が良い。)
罪を犯した宮女が閉じ込められるこの部屋は、煌びやかな後宮の敷地内にありながら、装飾のひとつもない無機質で冷たい壁に囲まれたそっけない空間だった。脱走を警戒してか、背伸びをしても到底届かないほど高い位置に、たった一つだけ小さな窓がある。
そこから差し込む月明かりに照らされた床には、血や汚物と思しい痕が点々と残っているのが見て取れた。
過去に幽閉された宮女たちに与えられたのであろう惨い仕打ちが想像され、霞琳は静かに視線を伏せる。まるですぐ直前にも誰かがここで死に至らしめられたのではないかと思うような、重く淀んだ空気で肺を満たさざるを得ない状況に、気分が悪くなりそうだった。
「……あの。」
「どうかしましたか?」
隣にいた侍女が、掠れた声で霞琳に囁きかける。彼女はシャムナラ姫に命じられて茶葉を取りに行った一人で、ジュゲツナル王国の有力貴族の出身だった。名をラシシュ・ドウシャグラ・チャワデュラルという。
まだ幽閉されて間もないというのに、泣きはらして崩れた化粧が妙に窶れを感じさせた。自分が用意した茶で主人が亡くなったという衝撃の大きさがうかがえる。
「……厨で、私の対応をした宮女がいません。」
「え?」
霞琳は眉をしかめた。シャムナラ姫が持ち込んだ茶を管理していた厨にいて、ラシシュにその茶を渡し、今は姿を消した――客観的に見て、最も疑わしい人物である。
もし彼女が別室に拘束されているならともかく、既に逃走した後であるとすれば――。
(李徴夏、やっぱり手際が良くない!)
「……なーに考えてやがんだ、あんた?」
「うえっ!?」
内心で悪態を吐いた相手が眼前にいた。素っ頓狂な声を上げ、霞琳は動揺の余り後方に転がった。したたかに背中を床に打ち付けたが、警戒心が上回るあまり、痛みを感じる余裕もない。
「おーおー、斬新優雅な転倒のしかたですねー。いやー、やっぱ張家の御令嬢はそんじょそこらの貴族の御令嬢とは一味違うようで。」
「……何用ですか。」
あからさまな揶揄を聞き流し、どうにか身を起こした霞琳は冷たい視線を徴夏に投げる。
「何用、ってねえ。そりゃ俺がここに来る理由は一つでしょうよ。」
徴夏が片手を上げると、背後に控えていた衛兵たちが即座に動く。それぞれが宮女や侍女のもとに向かうなり、ある者は襟を、ある者は裾を掴み、乱暴に着物の中を検めはじめた。
あちらこちらで悲鳴が上がる。
霞琳の背筋にぞっとしたものが走った。
「お止めください!無礼にもほどがあります!」
「ああ、安心してください。張家を敵に回すと厄介なんで、あんたの検査は別室で俺が直接やりますから。特別待遇で。」
「そういう問題ではありません!」
まだからかってくるつもりなのか、横柄な態度に不釣り合いな敬語で話を続ける徴夏の手が伸びてくる。身を捩ってささやかな抵抗を示し、霞琳は叫んだ。
「……毒を持っているか調べるのでしょう?」
「まあ、そうだな。」
「調べるにしてもやり方というものがあります。無実の者がただ辱められるだけになったら、どう責任を取るおつもりですか。」
「正当な調査だ。責任などない。」
「月貴妃様がお連れになった侍女は、いずれも戎月国の有力貴族出身の者です。戎月国の女性は夫以外の男性に肌を見せてはならない慣習があります。それを破れば――……」
「――徴夏様!」
必死に徴夏を制止しようとする霞琳の声は、衛兵の焦った叫びに掻き消えた。
「なんだ、騒々しい。」
「徴夏様!この侍女、舌を噛みました!」
「なんだと!」
徴夏が血相を変え、数歩先にいた侍女に掴みかかる。乱暴に揺すられた体は力なく、人形のように頭ががくがくと上下に動き、それに合わせて鮮血が一滴、二滴と散った。
(なんと惨い……。)
その侍女は、シャムナラ姫のためラシシュと共に茶を用意した女性だった。彼女がシャムナラ姫を大層慕っており、シャムナラ姫もまた彼女を信頼して重用していたことを、霞琳は知っていた。
そんな彼女がシャムナラ姫に毒を盛るわけがない。確実に無実であろう彼女は、半裸にされた状態で事切れたのである。
止められなかった霞琳は、自分の無力さに目頭が熱くなる心地を覚えた。
室内が静まり返る。誰もが動きを止め、こちらを凝視していた。徴夏でさえも。
「……お解りになりましたか?」
霞琳が辛うじて絞り出した声に、徴夏がぴくりと反応するのが分かった。
「皇帝陛下に献上した姫が毒殺され、その侍女である貴族令嬢は辱められて自決しました。……あなたは戎月国の恨みを買い、大青華帝国に対する敵意を悪戯に煽るおつもりですか?」
「……。」
徴夏は静かに手を上げる。衛兵たちは即座に女性たちから離れ、彼の背後に整列した。
「……男でなければいいのか?」
「はい。……戎月国出身の侍女だけでなく、他の宮女たちも同様の対応をお願いいたします。品位ある大青華帝国の女性もまた、このような扱いは良しとしないでしょう。」
「なら信頼できる女官を呼ぶ。そいつらが検めるなら問題ないな?」
どこか重い声色で、徴夏が問う。霞琳が頷くと、女性たちが安堵の息を吐き出す気配がした。すすり泣く声まで響き渡る。
(勝った……!)
勝ち負けの問題ではないのだが、霞琳は思わず心の中で叫んだ。先程からいいように扱われていた立場から、徴夏に一矢報いることができた。くだんの侍女の犠牲を思うと苦しさで胸が張り裂けそうになるが、彼女の命と引き換えに、他の女性たちを守ることができたのだ。
ほっとしてへたり込む霞琳の腕を掴み、徴夏が強引に立たせる。そしてそのままどこかへ向けて引きずっていこうとする。
「行くぞ。あんたは特別待遇だってのは、変わらないからな。」
「は、はい……。」
特別待遇とは、この男が直接うんぬんとかいう内容に変わりはないのだろうか。いや、決して女性に脱がせてほしいということではないのだが。
誰に身体検査をされても、非常にまずい。まずすぎる。死ぬ。
「そら、着いたぞ。」
冷や汗だらけの霞琳を個室に放り込むと、徴夏は床に片膝をつき目線の高さを合わせてきた。
「……悪かったな。」
「え……?」
今、何と言った?この尊大お坊ちゃんが、「悪かった」と謝った?聞き間違いではないか?それとも、霞琳が悪かった、という意味か?――という疑問の数々が表情に丸出しだったらしい。
ばつが悪そうに視線を外し気味にしていた徴夏は、擬音が聞こえてきそうなほどにイラッとした様子で霞琳の頭を片手で鷲掴みにした。
「素直に受け取れねえのか、あんたは!」
「痛っ、いたたた、っつー!」
割れる、割れる!(頭が)。
砕ける!(頭蓋骨が)。
弾けちゃう!(脳髄が)。
「なんだその叫び声、あんた本当に名家の娘かよ!つーか俺がこんなこと言うなんて、珍しいんだからな!十年に一度あるかないかなんだからな!」
「それは威張ることでは……」
「威張ることなんだよ、謝罪が必要になることなんざ俺はしねえって意味でな!」
「…………。」
さすがお坊ちゃま、いろんな意味で凄い――と、霞琳は思った。いつも自分に自信がない霞琳と、自意識の強い徴夏は対極に位置する存在なのかもしれない。
傲慢な男だが、己の言動に信念を持っているのだろう彼が、少しだけ羨ましくなった。
「まあとにかく、あんたにも宮女を呼んでやる。少し待って――……。」
「――それが張家の女か。」
突如割って入った声。
徴夏は弾かれたように体ごと振り返り、恭しく頭を垂れて拱手の姿勢を取った。
霞琳もまた、腕は背中で縛られているために正式な礼の形はとれないものの、額を床に擦り付けるほど深々とお辞儀をする。
(皇帝陛下……!)
シャムナラ姫のもとに通ってきた時、その玉顔を拝し、鳳声を聴いた。
かつてはさぞ美しい容姿と声を誇ったのではないかと推測されるが、昨今の荒淫や過度の飲酒のせいか、実年齢よりも大幅に年嵩に見える顔は浅黒く窶れ、声もしわがれてしまっていた。
そんな特徴的な声だから、数度しか面識のない霞琳でも即座に反応することができたのだ。
「陛下、ご機嫌麗しゅう。……いかがなされましたか。このような不浄の場、陛下が足をお運びになるには相応しくございません。」
「よい、面を上げよ、徴夏。……月貴妃の件を聞いた。張家の女にも嫌疑がかかり、ここにいると聞いたので来てみたのだ。」
「は、……この者に、何か?」
顔を上げた徴夏が首を捻る。皇帝がわざわざ暴室にやってきてまで、亡き妃嬪の侍女に用事があるとは考えにくい。
くひ、と皇帝は下卑た笑いを零し舌なめずりをした。
「その女、朕が自ら検めようと思ってな。」
「「!?」」
徴夏と霞琳は絶句した。
検めるという名目で、一体何をする気なのだろうか、皇帝の真意が掴めない。
霞琳の容姿は皇帝の好みとは異なる。仮にそれでも気に入ったというのなら、解放するよう命じて、しかるべき場所で手を付ければいいだけの話である。
それを、敢えて暴室ですることといったら――。
霞琳の顔から血の気が引いた。頭を下げ続けているのに、まったく血が上ってこない。
「というわけだ、徴夏。お前は下がれ。」
「はっ!」
徴夏は恭しく礼をすると、霞琳を振り返った。
「……せいぜい陛下のお情けに縋っとけ。」
小さく吐き捨てた徴夏がどんな表情をしているか、平伏しているために見えなかった。やがて足音が響き渡り、徴夏が出て行ったことを察する。
(……終わりだ。)
蹲り震え続ける霞琳に、靴音が近づいてくる。止まった、と思うと、肩に衝撃を受けた霞琳は仰け反るように転がった。
(……今日は転がってばかりだな。)
シャムナラ姫に抱きつかれて一回目、先程徴夏に驚いて二回目、今回のこれで三回目――そんなことを頭の片隅で思い出す。極限状態に陥ると、人間はどうでもいいことを考えてしまうらしい。現実逃避なのだろうか。
虚ろな双眸で見上げた皇帝の形相は異様だった。まるで死体が動いているのではないかと錯覚するほどに骨と皮しかないような不健康な顔、頬まで裂けたように大きな口が至極愉快そうに笑みを象り、落ちくぼんだ両目は目玉だけがぎょろりと動き鋭い光を爛々と宿している。
(……これが陛下か。天下を統べる無二の存在なのか。張家がずっと忠を捧げ、崇敬の対象としてきた皇帝なのか。)
どこか他人事のように、不敬な考えが脳裏に浮かぶ。
さすが扱いには慣れているようで、手が伸ばされるや否やあっという間に帯が解かれる。着物が緩む感覚に、霞琳は反射的に腰を捩った。意識がどれほど現実から目を背けようとも、たとえ無駄な抵抗だと理解していようとも、体は本能的に動くもののようだった。
それを赦さぬとばかり裾を払いのけられ、皺だらけの手が強引に脚を掴む。そこで、皇帝の動きが止まった。
「お前。」
一瞬の沈黙。
「……男、か。」
ぐひひひひひひ!と、次の瞬間、狂気じみた高笑いが室内に響き渡る。
すべてを諦めた霞琳は、焦点の合わなくなった瞳をそっと閉ざした。




