劉司徒と劉昭光(前編)
霞琳は昭光の宮にやって来ていた。
最も新しい時期に追設されたこの宮は、上流階級で現在も人気のある派手な色遣いや装飾がそこかしこに施されている。
都の流行が十分には伝播してこない西方の、質素を美徳とする生家で人生の殆どを過ごしてきた霞琳にとって、この建物の自己主張ぶりは強烈に過ぎるようだ。赤、青、黄――幾種類もの原色が互いに張り合っているかのように、これでもかとばかり塗りたくられている門扉や柱が精神に掛けて来る圧は尋常でなく、げんなりとする霞琳は宮に入る気力を振り絞るのも一苦労であった。
(初めて来た時も思ったけど、目に痛いんだよなあ。私だったらこんな部屋、落ち着かなくて嫌だけど……。)
侍女に昭光への取り次ぎを依頼し待たされている間、外観同様に煌びやかに飾り立てられた内装に視線を巡らせ、霞琳は居心地の悪さを覚えて小さく息を吐き出した。人の好みはそれぞれなので、この類の美的センスを否定するつもりは毛頭ない。ただ、こういった嗜好の者とは決して気が合わない自信だけはある。
この宮を昭光に宛がった理由は、無論、建築年数が新しく現代的な華やかさがあるからだ。
いわば成り上がりといって差し支えないだろう劉司徒は、贅を尽くした品々で広大な邸宅を飾り立てているという。
劉司徒の娘と褒琳の婚約が成った時、両家で多少の交流を持ったことがあったが、劉家からは都で持て囃されている画家某の作品だという掛軸が届いたのを覚えている。やはり視覚に対する暴力とでも称したくなるような、鮮やかに過ぎて目がチカチカするような色彩が苛烈な印象の作品であった。それのみならず、掛軸の天地も原色の裂地に金箔がふんだんに散りばめられ、ほとんど露出していない軸棒にさえも最高級の象牙を使用するなど、最早主役が絵画なのか装丁の方なのか判別のつかない有様のそれは、当然ながら正蓋の趣味や張家邸の内装に合致するはずもなく、蔵にしまい込まれてそのままになっていると記憶している。
このようなエピソードから、劉司徒はきっと新しいものや華美なもの――ひいては財力や権力の誇示に繋がるものを好むだろうと、霞琳は推測したのである。
だとすれば、後宮一絢爛豪華なこの宮が彼には最も合うはずだ。
築年数が若い分、古くからある宮と宮の隙間を利用して設けられた建物であるが故に狭さもまた後宮随一であるのが難点だが、妃嬪の住まいとして設計されているので暮らしに困るようなレベルではない。比較するのも烏滸がましかろうが、一般庶民の家と比べれば十分過ぎるだけの広さはあるのだ。問題はないだろう。
そういうわけで、ここは劉司徒にばかり配慮して割り当てた宮であった。正直なところ、昭光の好みについて霞琳は全く把握していない。彼女の美意識が劉司徒と懸け離れていたら可哀想なことをしてしまったかもしれないが、そればかりは止むを得ないとして許してもらうしかない。
――そんなことを考えていたが、杞憂だったことは直ぐに解った。
「わたくしめには勿体無い程の美麗な宮を賜り、誠に畏れ多いことですわ。どうか殿下にも御礼を申し伝えてくださいませね。」
やがて霞琳の前に現れた昭光は、挨拶を交わした後、嫋やかな笑みを湛えながら真っ先にそう口にしたのである。
それが本心かどうかは判じかねるが、少なくとも表向きは満足している体を取っている。ならば敢えてそれを言葉通り受け取ることに決め込もう。
「いやいや、この劉家の娘が入るのだ。本来ならばお前のためにもっと豪奢な宮を新設してくださってもよいはずなのだから、この程度で恐縮することはない。まあ、後宮の中では最もましな建物を用意してくださったところからすると、殿下はお前を相当気に掛けてくださっているようだな。」
傍若無人が人間の形をしているかのような劉司徒が、ぐわははは!と品のない笑い声を昭光の隣で立てている。
昭光は依然として微笑を浮かべながらも軽く眉を下げ、劉司徒をやんわり窘める言葉を掛けていた。
霞琳が覚悟していた通り、劉司徒も後宮に来ていた。失礼にならぬ程度に眼差しを注いで、霞琳は彼を観察する。
まず、先程の発言から察するに宮の割り当てについては一応及第点をもらえたようだ。霞琳は一先ずほっとする。
次に気付いたのは、気位の高さを剥き出しにした言動の尊大さという点では劉司徒も治泰も同レベルだが、気難しささえもある意味で品位の顕れと捉えることが出来る治泰に対し、劉司徒からは自信過剰を通り越して傲岸不遜で気品の欠片も感じられないことだ。
横だけなら巨漢といえるほどにでっぷりと贅肉を纏った体格が妙なプレッシャーを周囲に齎すが、だらしなく弛みきった腹回りは隠しようがなく、高価で良質な布地を使用している衣類が憐れに思えるほどだった。
顔立ちは特段これといった特徴はないが、一重の目がいやに細いのは元々なのか、太っているせいで埋もれかけているのか、はっきりしない。ただ、昭光を見る眼差しはでれでれとして、鼻の下が伸びきっている表情に、霞琳は胸の中で生理的な嫌悪がむずむずと首を擡げる心地を覚えた。
視線を隣の女性に移す。
――確かに、昭光は文句のつけようがない美女だ。
形が良くやや垂れ気味の眉と目は見る者に安らぎを与えてくれるような穏やかさがあり、身じろぐ度にふわりとした質感の長い髪が揺れる様は、つい手を伸ばして触れてみたくなるような心地にさせる。
春雷と同い年らしいから妃嬪のなかで最年長、霞琳よりも年上ということを差し引いても、淑女と称するに相応しい大人びた落ち着きがあり、一方で緩やかな所作からはどこか艶めいた空気が醸し出されている。
劉司徒とは似ても似つかぬ気品漂う麗人――妃嬪どころか皇后として春雷の隣に立つのが似合いだと感嘆してしまう優美さに目が眩みそうになるが、ふと霞琳の中に疑問が浮かんだ。
(まるで生まれながらに良家の令嬢みたい。慌てて養女に迎えられた人が、たった数ヶ月でこんな風になれる……?)
昭光は劉司徒の遠い血縁に当たる娘で、事実上平民として生まれ育ったと聞いている。
劉司徒自身、皇帝の側近として頭角を現すまでは最下級貴族の端くれに過ぎず、貴族と平民の中間のような暮らしぶりだったらしい。その血縁者、それも本家の当主である劉司徒から遠ければ遠いほど、家格はより一層落ちていくはずだ。
春雷の話では、劉司徒曰く、昭光は彼の高祖父の又従兄の祖父が跡継ぎに恵まれず養子として迎えた妹の息子の実父の大叔父の孫の――などという終わりの見えない壮大な系譜を図示したら一番片隅に位置するくらい遠い遠い関係らしいので、彼女が庶民同然の立場であったということ自体は納得できる。
それが事実であれば満足な教育など受けられなかっただろうから、昭光が妃嬪として恥ずかしくない立ち居振る舞いを学んだのは劉司徒の養女となった後だろう。
(本当は血縁関係なんてなくて、元々礼儀作法を身に着けている美女を養女にしただけなんじゃない?)
そんな偏屈な見方をしてしまうほど、違和感が拭えない。幾ら本人に素質があったとしても、過度のスパルタな指導があったとしても、目の前の昭光は余りにも完璧過ぎたのだ。
加えて、劉司徒が昭光に随分と好色な表情を向けていることからも、血縁関係がないという方が寧ろしっくりくる。もし本当に血縁関係があったとしても、遠過ぎる親戚など事実上は他人であろう。
他人を養女にしてはいけないという法はない。実際にそうしている家もある。
ただ、多少なり関係がある人物を養女にする方が、血筋や家柄を重視する貴族社会の概念に沿っている分、周囲に納得感を与えやすいというだけだ。
だからもし霞琳の推測通り劉司徒と昭光が赤の他人であった場合でも、それ自体には全く問題はない。問題があるのは、赤の他人を一族の者だと申告した劉司徒である。妃嬪の出自を偽ったなら罪に問える。無論、昭光の妃嬪の位も剝奪できる。春雷の政敵である劉司徒を排除するには格好の罪状になる。
(でも証拠がないもんなあ……。)
二人が血縁関係にないという証左を掴むのはまず不可能だろう。何かがあるという証明に比較して、何かがないという証明は極めて困難だ。そのくらいは霞琳にも分かる。
かといって、でっちあげは言語道断だ。他人を陥れることや、真実を覆い隠す虚構が平然と罷り通ることなど後宮においては茶飯事だと、霞琳はシャムナラ姫毒殺の件で身を以て理解している。
霞琳は後宮の現状を変えると決意していた。だからこそこれまで後宮でありふれていたという、不要な悲劇を生みかねない手段を採るという選択肢はない。
今後後宮で昭光の様子を探るうち、二人の本当の関係性を掴めるだろうか。直接的な証拠を握るのは不可能でも、せめて二人が他人であることに起因する出来事でも見つけられたら充分なのに、と霞琳は劉司徒に再度視線を流す。
彼はずっと上機嫌で自分の話を彼是捲し立てており、昭光と霞琳はただ相槌を打ったりうふふと微笑んだりしながら聞き流し続けているだけだ。だからこそ霞琳の頭の中ではこれだけ全く別の思索に耽っていられるわけであるが。
劉司徒の顔は依然として昭光の方ばかり向いている。時折親しげに昭光の肩や腕を撫で、彼女は笑顔のままそれとなく身を引いている。しかし意に介した風もない劉司徒は、鼻息荒く熱心に何か囁き続けている。果たして彼の興奮の所以は、昭光の後宮入りなのか、彼女の美貌なのか――そこまで考え、霞琳はうえっと内心でえずきそうになった。
春雷が自ら望んで後宮に招いたなら兎も角、そうでない女性を妃嬪に推薦して後宮入りさせる以上、やはりその女性は生娘でなくてはならない。幾ら劉司徒が傲慢だといっても、流石に自分が触れた女性をお下がりよろしく春雷に差し出すことはないだろう。劉司徒のこのだらしない態度は、昭光に手を付けたくともできないが、普段我慢や忍耐を不要とする生活を送っているが故に抑えられない欲望が駄々洩れになっている状態ということではないだろうか。
(……うわあ、最低。)
劉司徒のつまらぬ話に興じられないがために脳内で繰り広げられていた霞琳の推測はとうとうそんな妄想の域に達し、元より素直な性格が裏目に出たか、知らず知らず表情が強張ってしまったようであった。




