001 始動
背もたれの固めのクッションが、僕の背中を受け止めたことを伝えるように、ギィッと音を立てた。
そのまま目を閉じて、ふぅと息を吐き出せば、胸の内を達成感が満たしていく。
黒だけの世界で、カチカチと一定の速度で時を刻む秒針の音を聞きながら、ゆっくりと体の力を抜いて、僕は静かな時間に身を預けた。
目を閉じたからといって、クッションが固めの椅子で眠りこけるほど疲れていない僕は、気持ちが落ち着くのを待って、ゆっくりと体を起こした。
目の前のパソコンのモニターには、今、できあがったばかりの動画ファイルが表示されている。
「今のうちにやっちゃいますか-」
作業が面倒くさくなって中断してしまう前に、自分自身にそう言い聞かせて、愛用のブラウザを立ち上げると、お気に入りから動画アップロード用のページのリンクをクリックした。
いつもと変わらない手順で、最初にアップロードする動画を選択する。
それから、適当な名前のタイトルを書いて、動画の説明を書くコメント欄には、動画の中で歌った曲名と制作日付をメモ書きとして入力した。
「アップ……っと」
アップロードボタンをクリックして、動画がアップロードされ始めたのを確認した僕は、今度は上に向けて大きく右手を挙げる。
ぐっと体を伸ばすと、詰まっていた背筋がほぐれ、体が楽になった。
……と、思う。
とりあえず、右手を今度は左手に変えて、のびをしていると、アップロードが終了した。
動画とは言っても、画像は静止して動かないし、歌のデータが入っているだけだから、それほど重くはない。
最後に、いつも通り動画の公開設定を、非公開にして、僕は日課を終えた。
「えーと、なんだっけ?」
録音、編集、アップ作業を行った『おじさん』の作業部屋を後にした僕は頭を掻きながら、今日のやらないといけないことを頭に思い浮かべる。
が、廊下を歩いてり文具に辿り着く方が、思い浮かべきるより早かった。
とりあえず、作業で少し喉が渇いていたので、僕は黒い中型の冷蔵庫へと向かう。
冷蔵庫から冷えたお茶のペットボトルを取り出した僕は、蓋を開けて口を付けながら、その横の壁を見た。
そこには一年分のカレンダーが12か月分貼られていて、唯一の同居人である『おじさん』の予定が事細かにかかれている。
「おじさん、来月まで帰ってこないのかー」
どこか執念というか、怨念というか、禍々しいオーラを感じさせる太字でかかれた『帰宅』の文字に、僕は思わず苦笑を浮かべてしまった。
僕のおじさんは建設会社の社員なんだけど、独身と言うこともあって、海外の巨大プロジェクトの現地責任者として、世界を転々としている。
本人としては、国内勤務を熱望しているけど、どうも会社の事情がそれを許さないみたいだ。
まあ、おじさんは、頼まれると嫌と言えないし、困っている人を放っておけない性格だから、そのせいじゃないかとは思うけど、言葉はあやふやなのに現地の人と直ぐ仲良くなって、文化の違いによるトラブルも簡単に収めてしまう手腕を買われている部分も大いにあるんだと思う。
ちなみに、僕もそんなおじさんの性格に助けて貰った。
僕は母さんとは、生まれた頃に、死別している。
母さんは僕を妊娠していた時、病魔にむしばまれていたけど、自分の治療を拒否して、僕の命を選んでくれたらしい。
父さんは今もってどこの誰かもわからない。
そして、母さんの両親、つまり僕の祖父母も、僕が生まれた時にはいなかった。
そんな普通なら施設行きだった僕を引き取ってくれたのが、母さんのお兄さん、つまり唯一の同居人である『おじさん』……もっとも、殆ど海外で仕事をしているせいで、同居しているっていう感覚は乏しい。
とはいえ、おじさんは僕の知りうる限り唯一の肉親で、たった一人の家族で、僕の名付けの親だ。
そのおじさんが付けてくれた名前『廉太』は、母さんが子供に付けたがってたイニシャルが『L』になる名前になるように、付けてくれたらしい。
一生懸命考えてくれたからようだから言いたくはないけど、イニシャル『R』だよねって何度も言いたくなったのは秘密だ。
まあ、イニシャル『L』は別の手段で僕なりに叶えたしね。
地雷になりそうなので、おじさんとは名前のイニシャルとについて話したことはないし、今後ツッコミを入れることもないし、若干母さんの願いからはそれちゃってる気もしなくもないけど、母さんとおじさんの名字『夏川』には、ぴったりだと僕は思っているので、それだけで十分なはずだ。
修正報告
2021.05.18
前:イニシャル『R』打世練って
後:イニシャル『R』だよねって




