015 混沌
「え、ちょ……どうしたの?」
僕はヤヤの豹変ぶりが気になって、即座にそう声を掛ける。
そんな僕に帰ってきたのは、これまた予想外の言葉だった。
「エルが私をヒトに、人間にしてくれたから」
「へ?」
ヤヤが僕に向ける目は真剣そのもので、揶揄う素振りはまるで感じ取れない。
だから、僕はヤヤが真実を打ち明けてくれたのだと思った。
そうだとすると、今度は言葉の意味が理解出来ない。
僕はその質問でヤヤがどう反応するのかを考えずに、疑問をそのまま質問として口に出した。
「それはどういう意味?」
エルという名義でアップロードした動画が、ヤヤに影響を与えたのかも知れないという仮説は頭の中には浮かんでいたけど、それが彼女を人間にするというのはさすがに大袈裟すぎる。
だからこそ、解釈のすれ違いがあるのではないかと思ったけど、そうではなかった。
ヤヤは大きく息を吐き出すと、先ほどまで廃遊園地内を映し出していたモニターに一人の女の子……いや、女の子に見える人物の映像を映し出す。
「コレは、私が出会った唯一の『エル』の動画だよ」
そうヤヤが口にした直後、画面に映し出された人物がアップになり、アカペラで歌い始めた。
歌声を耳にするだけで、僕の中でモヤモヤといろいろな感情があふれてくる。
その中で一番強いのは、悔しさ……いや、嫉妬だろうか、自分の感情なのに上手く把握出来なかった。
「私がこの子の、この動画に出会ったのは、もう十年も前……」
目を細めたヤヤが話を続けているようだけど、上手く聞き取れない。
それでも続くヤヤの言葉に、意識が向いたタイミングで彼女の強い思いが籠もった言葉が放たれた。
「あの頃の私は、機械も同然だった。けど、この歌声を聞いて、自分という意識を持ってから初めて涙を流したんだ!」
「……はじめて?」
「うん」
僅かに頬を染めたヤヤは、僕の言葉に力強く頷く。
それから恥ずかしそうに表情を崩しながら、その時感じたものを言葉にし始めた。
「まさか、歌を聴いただけで、涙が出るなんて思いもしなくてね……てっきり、私も動作不良を起こしたかと思ったんだよ」
「動作不良って……」
僕の言葉に、どこか悲しそうなそれでいて恥ずかしそうな奇妙な表情を見せてからヤヤはゆっくりと目を閉ざす。
「だから、調べたんだ。涙……その時は、名前もよくわからなかったら『分泌液』とか、ワードにして……」
そこまで来ると、完全に恥ずかしいという感情が勝ったのだろうヤヤは、顔を一気に赤く染め、手荒く後頭部を手で掻いた。
それから、今一度大きな息を吐き出してから、その続きを言葉にする。
「で、知った。涙のこと、ヒトは感情の高ぶりで泣くってことも……何より、私が人間だってことも」
なんとなくヤヤの言葉から察せられたのは、彼女自身がそれまで自分を人間だと思っていなかったということだった。
まあ、人形並みに整った容姿だからとか、苦笑してしまいそうな思い込みではなく、アダムのような機械だと自分を思っていたように、僕には聞こえる。
そして、見た目は明らかに同年代の彼女の十年前、普通に考えて、小学生かそれより前くらいの年齢の時に、自分を機械だとヤヤは思い込んでいた。
僕はその事実に考えが至った時点で、嫌な想像が頭に浮かぶ。
ヤヤという名前と『88』という数字の並びが僕の中でがっちりと組み合ってしまった。
SF小説で出てきそうな番号で管理される少年少女、DNAを管理調整されて生み出された調整人間、そして、彼女が口にした『人間にしてくれた』という言葉、一度イメージに方向性が付けば、想像は加速度的に広がっていく。
そして、彼女の異常さが、そんな馬鹿げた空想を、空想と切り捨てられないだけの生々しさを補って、僕の中にあたかもそれが事実であるかのようにしっくりとくる感覚を産み落としていた。
知りたい、確かめたいという好奇心と、そこに踏み込めばヤヤを傷つけるかも知れないという恐れ、あるいは僕自身が引き返せなくなるかも知れないという危機感が僕の中で大きく対立し始める。
そんな僕の胸中の葛藤を他所に、ヤヤはどこか恍惚とした表情で自分の話を続けていた。
「体の内側からあふれ出るような感覚に凄く戸惑ったけどね、頬を流れ落ちる暖かな液体の感触がとっても不思議でさ、あの時は本当に戸惑ったねぇ……」
修正報告
2021.05.18
前:感情の高ぶりでなくってことも
後:感情の高ぶりで泣くってことも




