プロローグ
ほんの少し前まで聞こえていた機械の低く唸る音が消えた。
彼女に動くなと言われていたけど、音が消えたことで感じた不安に突き動かされて、安心を得ようと指先だけ動かそうと意識を向ける。
だが、その時には僕の意思に体が反応したような感覚は無かった。
普通に出来ていたことが出来ないという感覚は、焦りと恐怖を呼び起こす。
僕は、焦りに突き動かされて、慌てて閉じていた目を開いた。
最初に目に入ったのは、強烈なライトの光だった。
眩しいとも思わずに光を見れば、グンとライトの光源部分が、カメラのズームのように近づく。
自分の視界でありながら、これまで経験したことのない目の動きに、思わず声が出た。
「う、うわ?」
僕の口から発せられた声は、聞き慣れた自分の声と違って、高く、そして幼い。
けど、知らない声じゃなかった。
むしろ、それは僕のよく知る声で、求めていた失われた声そのままであることに、不思議な感情が沸き起こる。
嬉しいのか、悲しいのか、腹立たしいのか、自分でも判断出来ない感情と、自分で発した声なのに、スピーカー越しに聞く求める声そのままの響きであることへの違和感がぐちゃぐちゃに混ざっていた。
僕がそんな感情を持て余していると、視界の中に長方形の枠が出現する。
まるでテレビ番組の中で見るような割り込みに驚く間もなく、枠の中に映し出されたのは、この状況を作り出した張本人だった。
『調子はどうかしら、エル?』
精巧な人形のように整った顔立ちの彼女は、試すような眼差しで真っ直ぐにコチラを見詰めて、そう問い掛けてくる。
圧倒的な美貌に気圧された僕は、聞き返したいことがたくさんあったはずなのに、気付くと「える?」と聞き返していた。
『その姿の名前は、エル以外あり得ないでしょう?』
彼女が困ったような、それでいておかしそうな苦笑を浮かべて首をコテンと右に傾げる。
そんな彼女の動きに遅れて、艶のある黒髪がシルク糸のようにさらさらと肩を滑り落ちていった。
僕が彼女の髪に見とれていると、急に新たな枠が視界に出現する。
「へ?」
枠の中に映し出されたのは無数の機械が繋がった椅子だった。
繋がる機械の影響で、本来より何十倍も大きくなってしまっている椅子には、その大きさとは対照的な、小さな少女の姿があった。
彼女が『エル』と呼んだ幼女、今は動画の中にしかいない存在が、実体を持ってそこに座っていた。
そして、僕が体を動かそうと意識をすれば、椅子に座る幼女が体を動かす。
右手をと思えば右手が、左足をと思えば左足が、左目だけを瞬かせれば、左目でウィンクをした。
『どうやら、完全に成功みたいね、エル』
彼女の言葉に、僕……正確には『エルの体』が首肯して、同意見であることを認める。
僕の答えに満足した彼女が、大きく頷いた。
それから、恐らくキーボードを操作しているのだろう動きを見せた彼女は、無表情な顔に、好奇心の籠もった眼差しを向けて次の行動を口にする。
『それじゃあ、早速だけど、立ってみてくれる?』
僕はもう一度頷くと、彼女に「やってみる」と答えた。