8/31&9/1前編
初めまして。本日より今年以内に完結しようと思っている作品を投稿していきます。最後までお付き合いくださると幸いです。
人生とは何なのか。時折考えることの一つだ。
義務と権利に振り回され、自由とはかけ離れた生活を送る日々。そんな日々を人々は何も不思議がらず、むしろそれが至極当然だと思って過ごしている。
人生とは、辞書的な意味で言うと『人がこの世で生きていくこと、また、その生活』になる。言葉の意味を知りたければ辞書を引けばいいだけの話だ。さらに、技術の進歩によって、スマートフォンですぐ調べられる世の中に我々は過ごしている。グーグル先生に聞いてしまえばそれで万事解決なのだ。
でも、私はいまだに『人生』という言葉の意味を理解できていない。その重みだけは誰よりも自覚している自信はあるが、言葉の本質は分からない。
そして、そんなことを考えているうちに今の生活が馬鹿らしく思えてきて、今に至る。
キーンコーンカーンコーン
学校中に響き渡る鐘の音、さすがに十一年目ともなると聞きなれるものだ。
今日は二学期の始業式。部活をやっていない僕にとっては約四十日ぶり鐘の音だ。とりわけ仲のいい友達もいない僕は教室の片隅で本を読みながら担任の入場を待っていた。周りを見回すと、皆、夏休み中の出来事を語っていた。家に引きこもって積もりに積もった本の山と格闘する日々を送っていたら、いつの間にか夏休み、というものは終わりを迎えた。昔、仲の良かった先輩に「夏休みとはそーゆうものだよ、ゆうちゃん。」と言われたのをふと思い出した。
再び本に目を戻そうとしたとき、
「おはよう、席に着けー」
という声とともに、担任の先生がやってきた。皆そそくさと自分の席に向かう。いよいよ二学期が始まるのか、と少し憂鬱な気持ちになりながらも、それを選んだのは自分だと思いなおし、担任の話に耳を傾ける。高校は今までの九年とは違って義務教育ではない。だから、自分の選んだ道であれば、それをまっとうに突き進むのが正解だと思っている。
担任の話はすぐ終わった。なぜなら、始業式という名の表彰式が始まるからだ。僕の通っている学校は生徒数が多く、式典もいつもテレビを介して行われる。また、生徒数が多いため、部活動や課外活動の表彰が多く、表彰式はいつも三十分くらいに及ぶ。テレビのほうに体を向けたときに少し違和感を覚えた。いつもなら視界に入るはずの人物がいないのだ。
隣の席の御剣楓さん。僕と同じと言ったらいけないのかもしれないが、彼女もまた、いわゆる世間一般で言うところのボッチ学生だ。ただし、僕みたいな根暗陰キャとは違って、とても美しく高根の花で誰も近寄りがたいと言うのが正しいのだろう。よく寝ているので、眠り姫、というあだ名もある。式典の時はいつも寝ている楓さんが今日は不在だ。とは言っても、彼女と授業以外にほぼ話したことのない僕があれこれ思うのは違うと思い、テレビのほうを見た。
何事もなく名だけの式典が終わり、担任の話に移る。ようやく担任も御剣楓がいないことに気が付いたようだ。先生の慌てぶりから察するに、どうやら欠席の連絡は入っていないみたいだ。
担任は生徒に、彼女からなにか連絡もらっている人はいるかと聞いたが、誰も返事はしなかった。それもそのはず、彼女は僕以外、クラスメイトの連絡先を何一つ持っていないのだから。その僕にも連絡がない、ということは当然、だれも欠席している理由を知るはずがない。
担任は「風邪かな」とか呟いていたが、そうではないと思う。理由は、、、
思い立ったあとの行動は速い。我に返った時には必要最低限の荷物と所持金をすべて持って東京駅に突っ立っていた。行かなければならない、なんていう義務はない。けれど、行かなければならないという使命感だけはあった。普段めったに使用しないスマホの画面には8月31日10:34と表示されていた。充電は84%、申し分ないだろう。
夏休み最終日、どこに行くかなんて決まっている。
明日から学校だというのに、どうも行く気にはならず、家出を決意した。若気の至りとは思わない。なんせ、行先も家出プランもばっちりだからだ。自分ではそうとは思わないが、世間一般からすると、私は絶世の美少女らしい。よく家では危険な目に合わないようにと言われているため、何の計画もない馬鹿丸出しの家出は避けた。見知らぬ人の家になんか泊まった日には終わりだと思っている。犯されるのが目に見えているからだ。
女子高生はそれだけでブランド、というのを数学の先生が言っていた。女子高生であるだけで体と引き換えに宿泊先を提供してくれて、お金もたんまりくれる、と数学の先生は言っていた。どうやら、彼女も高校生の時に家出をして、その時の体験談を語っていたみたいだ。
彼女は最後に「絶対に一生後悔するから、人生を台無しにはするな」と言葉を加えてその話はそれ以降一度も出てこなかった。
私は人が嫌いだ。特に大人はもっと嫌いだ。自分の都合のいいように物事を勝手に解釈して、子供を利用するだけして、必要がなくなったら捨てる。そのうえ、都合が悪くなったら手のひらをくるっと反して、思ってもいないようなことを口から出まかせのようにぺらぺらと感情のかけらもないような笑顔とともに吐き出す。氷炭相愛の関係を築けるような人たちはほんの一握りだろう。
間違ってもこんな大人にはなりたくない、と思いながら、そもそも大人にならなければいいのに、と思いながら、気づいたら十七歳になっていた。もう、大人になるのは時間の問題だろう。本当にネバーランドというものがあればいいのにと何度思ったことか。しかし、それは妄想でしかなく、今回もまた夏の暑い日差しにかき消されてしまった。
電車の出発時間は十一時ちょうど、少し時間があるのでホームにあるコンビニに昼食を買いに行った。