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エピソード2 幼稚園にて

 「おはようございます!」

 玄関の脇に立つ園長先生が、登園してくる子供達に声をかけている。園児のお母さん達は朝は化粧っけのない顔で、子供を送り届けると挨拶もそこそこに急ぎ足で帰って行く。園児たちは口々に訳の分からない雄叫びを上げながら、あちこちで走り回っている。見慣れた朝の風景だ。

 幼稚園に通い始めて日が浅くまだうまく馴染めていないカイは、ややもすると休みたがった。それをなだめすかすようにして、毎日遅れないように連れて行くのは大仕事だった。

 近くにはバスで送り迎えしてくれる私立の幼稚園もたくさんあったが、私達夫婦は公立幼稚園にこだわった。ふたりとも公立出身だったし、日本でも有数の歴史を持つ幼稚園が、たまたま私たちが住む市内にあったことも大いに関係しただろう。

 その幼稚園は今では珍しい木造で、玄関を入るとヒャッとして一瞬で空気が変わる。まるで明治時代にタイムスリップしたみたいに。木造りの廊下を裸足で駆け回る子供たちをみていると、うらやましくなったものだ。

 バスで5駅・電車で2駅の距離を毎日送り迎えするのは想像以上に大変だったが、カイの為だと思ったらつらくはなかった。

 「カイ君、おはようございます!」 園長先生がいつものように満面の笑みで言った。

 「カイ、ちゃんとご挨拶しないとダメじゃないか。そらもう一度、おはようございます。」 フウはカイの頭を押さえ込むようにして言った。

  カイは不機嫌そうに黙りこくって上靴に履きかえると、父親のほうを振り返りもせずに教室に入っていった。

 私とジェームズおじさんは、相変わらず空中をふわふわ漂いながらその様子を見ていた。

 「お父さん、カイ君はまだ気持ちが落ち着いていないんだろうと思いますよ。もう少し長い目で見てあげてくださいね。」

 「園長先生、それは私もわかっているんですが・・・。」

 「お父さん、よくなさっていると思いますよ。私達に何かお手伝いできることがあれば・・・。」

 「ありがとうございます。時間がありませんので、失礼します。」

 とりつくしまがないというか愛想がないというか、フウはきびすを返して立ち去った。


 

 「あれ、夏海さんのご主人でしょう?」 そう言ったのはカイと同じ桃組の、ユウタ君のママだった。

 「ダンナさんも大変よね、小さい子供かかえて。交通事故だったんでしょう、奥さん。」

 「カイ君の目の前でトラックに。ほぼ即死だったんですって。怖いわよねぇ。」

 ・・・私、事故で死んだんだ。それもトラックに引かれて。ウァッ、最低。しかもカイの目の前でなんて。突然、今まで消えていた記憶が徐々に戻ってきた。たしか、誰かに呼ばれてそれで・・・。アーーー頭痛い! まだよく思い出せない!

 「焦ることはございませんよ。少しずつ、少しずつでございます。」 ジェームズおじさんが耳元でささやいた。

 「アーッ、ビックリした。近い、近い、近すぎる!」叫ぶように私は言った。

 「申し訳ございません、つい。しかしながら死の前後の記憶が戻って参りましたのは、良い兆候でございます。死を迎えた瞬間にこそ、人は人生すべてを振り返るのでございます。その瞬間にナルさまが何をお考えになったのか、思い出していただく必要がございます。それでないとナルさまが何を心残りに思っておられるか、本当にはわかりません。」

 白いもやがかかったような私の頭の中で、薄れた記憶のシッポがもう少しでつかめそうだった。もう少し、あと少しなんだけど・・・。

 まだジェームズおじさんの話は続いている。

 「・・・おつらいことでしょうが、わたくしが付いておりますので。いつでもおそばにおりますです、ハイ。それがわたくしの喜びでございます。」


 「だけどさぁ今だから言えるけど、カイ君のママもどうかと思うわよね。」その言葉にハッとして私は我に帰った。やはり桃組のエマちゃんのママだ。まだうわさ話は続いていたのだ。

 「そうそう、一流大学出かなにかしらないけど、お高くとまったところがあったわよね。」これはユウタ君ママ。

 「私達とは話が合わないって感じで、よそよそしかったものね。」隣組のヒロシ君ママまで話に加わっていた。

 「あんなママだから、カイ君も引っ込み思案の弱虫君になっちゃうのよ。」

 体が震えてとまらなかった。あまりのことに愕然とした。そりゃぁ彼女たちとは友達といえるほどの仲ではなかったし、話らしい話をしたこともほとんどなかったかもしれない。だからといってここまで誹謗中傷されるいわれはなかった。それなりにつかずはなれず、上手に付き合ってきたつもりだったのだ。 

 若いお母さんたちはうわさ話が大好きだ。どこで聞いてきたのか、まるで自分で見てきたように話をする。一時間二時間だって平気で話し続ける。彼女たちより10歳ほど年上の私は、そういうところについていけず適当な距離を置いておつきあいをしていた。・・・それが一番いい、公園デビューからいろんな失敗を経験し、達した私なりの処世術だった。

 それなのに、こんな風に思われていたなんて。私のことだけならともかく、カイのことまで・・・。悔しすぎて言葉も涙も出なかった。

 確かにカイは気の弱いところもあったが、それは彼の優しさの裏返しでもあったのだ。よく知りもしないで弱虫だと決めつけるなんて、ひどい仕打ちだと思った。

 唇を噛みしめうつむく私の背中を、黙ってジェームズおじさんが撫でてくれた。ゆっくりと優しく・・・。なんだか懐かしい気分になる。まだ幼い頃熱を出して布団でウンウンいってると、父が来ておでこに手を当てて熱をはかってくれた。そんな誰かに守られているような、妙に安心する感じ。ジェームズおじさんも時には役に立つのだ。


 

 「じゃぁ今度は色紙を切っていきましょう。ハサミは持ってきましたね。」 そう言ったのは桃組の山本ワカコ先生だ。

 「ハーイ!」 子供たちが一斉に返事をして、カバンから道具を取り出す。

 その中で私はカイだけが、モジモジと居心地悪そうにしているのに気がついた。

 あ〜、またやっちゃったんだわ。・・・カイは忘れ物の天才だった。

 ほかのみんなは、先生に言われたとおり工作を続けていた。このままではどんどんカイがみんなから遅れてしまう,と私は少し心配になった。カイも不安に思ったのか、またまた泣き出しそうになっていた。

 いつもなら家をでる前に、私が忘れ物がないか確認してやっていた。でもフウにはそこまでは無理だったんだろう。

 なんとかしてやらなくちゃ、こんな時こそ特訓した例の念力で・・・。私は急いで職員室に向かった。デスクにあったハサミを一時お借りして、誰も見ていないのを確認した私は、慎重にそれをカイの元へと運んだ。火事場の馬鹿力とでも言うんだろうか・・・練習ではあんなに苦労したのに、本番では意外とうまくいった。

 カイの机の上に無事にハサミを置いた私は、大きくため息をついた。

 「上達されましたな、ナルさま。」 ジェームズおじさんにほめられて、私はちょっとうれしかった。

 カイは落ち着かなげにずっとキョロキョロしていたので、机の上のハサミになかなか気付かない。しかたなくわざとハサミを落としてみた。

 「カイ君、危ないわよ。ハサミ落としたらね。」 ワカコ先生がカイのそばに来て、ハサミを拾ってくれた。

 カイはいつの間にか自分の前にハサミが出現したので、訳が分からずキョトンとしていた。ビックリさせたかもしれないが、まぁこれでいまのところは一安心。今日はこのままずっとカイのそばにいて、見守っていようと思った。

 

 そんな中、お弁当のあとの遊び時間に、その事件は起こった。

 園庭の隅っこで一人砂遊びをしていたカイに、めずらしくユウタ君たちが声をかけてきた。

 「お前のママ、死んじゃったんだろう。トラックに引かれて。お前のせいだってうちのママが言ってたぞ。」

 みるみるうちに、カイの目に涙があふれてきた。それを見た子供たちは、ますますおもしろがってはやし立てた。

 「ワーイ、ワーイ、いけないんだぁ〜。」 

 「ウワーッ!」 お腹の底から絞り出すような声を上げて、カイがユウタ君に飛びかかっていった。

 普通ならそのくらいのことでカイよりも体格の大きいユウタ君が倒れたりはしないのだが、なにぶんにも突然の出来事で、不意をつかれたユウタ君は後ろに・・・文字通り・・・吹っ飛んだ。

 「先生ー!」 まわりの子供たちは驚いて大声で叫んだ。

 私は息をのんで、その場に立ち尽くしていた。


 「本当に申し訳ありません。」 フウは頭を深々と下げながら、園長先生に謝った。

 「幸いにもユウタ君の怪我は軽くてすみましたので。夏海さん、頭を上げてください。」

 「いままで息子はこんな乱暴なことしたことなかったんです・・・さっぱり訳がわかりません。なにか特別なことでもあったんでしょうか?」

 「それが二人とも事情を説明しようとはしないんです。特にカイ君は押し黙ったままで、一言も話してくれません。お母さんが亡くなってまだ日も浅いことですし、私達もカイ君を追いつめるようなことはしたくないんです。ユウタ君のご両親もそこのところをご理解頂いて、今回は問題にしないとおっしゃってくださいました。ご安心ください。一度お父さんのほうからきちんとご連絡を入れていただくということで、よろしいかと。」 園長先生が言った。

 「ありがとうございます。お詫びについては、先方に必ず私のほうからご連絡させていただきます。」

 「カイ君も相当ショックを受けていると思います。今日はもうお家に連れて帰って、ゆっくり休ませてあげてくださいね。」

 

 幼稚園からフウの勤め先に電話があったのは、昼休みが終わってオフィスが活気を取り戻した頃だった。数日後に大切な得意先との会議を控え、フウは食事する暇も惜しんで働いていた。そんなときに早引きさせてくれと上司に申し入れるのは、とてつもなく気まずかった。

 「夏海くん、今度のプレゼン、本当に大丈夫なんだろうね。」 急いで帰り支度をしていたフウに、部長が声をかけた。

 「はいもちろんです、お任せください。もう九割がた準備も整っております。」 フウは出来るだけ感じ良く聞こえるように返事した。

 「期待しとるぞ。なんといってもこのプロジェクトには、我が社の命運がかかっているんだからな。」 一瞬フウの顔が引きつったように見えたが、すぐに笑顔に戻った。 

 「夏海課長、どうされたんですか?」 次に声をかけてきたのは、フウの部下でバリバリのキャリアウーマンの外山トヤマヒメコだった。

 「ちょっと息子がね。」 フウは何故だか口ごもった。

 「大変ですねぇ。仕事人間の課長が早引きだなんて・・・。天地がひっくり返りますね。アハハハハ。」 大きな口をあけて天真爛漫にヒメコは笑った。辛辣な物言いなのだが、彼女に言われると不思議と腹は立たなかった。

 「書類の打ち出しは私がやっておきます。早く行ってあげてください。」

 ヒメコに背中を押されるようにして、フウは会社を後にしたのだった。

 

 その頃私はジェームズおじさんと、カイの隣の椅子に神妙に並んで坐っていた。

 ケンカの直後は相当興奮していたカイだったが、今は魂が抜けてしまったようにほうけた顔をしていた。

 あんな攻撃的な息子は、今まで見たことがなかった。相手のユウタ君たちもひどいことを言ったもんだとは思うが、カイの反応は異常に強い感じがした。何がカイをあんな風にしたのだろう?心の中に何か重いものを抱えているのだろうか?それは母親が死んでしまった悲しみからくるものなのか? 答えのない疑問に私はずっと囚われていた。

 カイ、私、ジェームズおじさん、三人三様に押し黙っているところに、フウはいつものしかめ面でやってきた。

 

 「それでは、今日はこれで失礼します。ありがとうございました。」 フウがまた頭を下げながら言った。

 「お気をつけて。」 園長先生たちの声に送られて、フウとカイは幼稚園を後にした。

 二人とも一言も喋らない。気まずい空気の中、歩調の合わない足音だけが聞こえていた。 


 

 

 



 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

   

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