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エピソード1 我が家へ

 「なんだかやっぱり足下がゾワゾワしますね。」

 地上20メートルの空中に浮かびながら、私は言った。

 「もうすぐお慣れになりますよ、大丈夫でございます。」

 相変わらず馬鹿丁寧な口調でジェームズおじさん(天使さんというのもなんなので、とりあえずこう呼ぶことにした)は答えた。初めて彼に会ってから、現世の時間で10日がすぎた。彼の執事のような時代がかった物言いや、大仰な仕草にもようやく馴染んできたところだ。それに彼が言うように、確かにこうして空中に浮かんでいるのにも、少しは慣れたかも。でもいくら慣れたといっても、おへそのあたりがスゥーッとこそば寒い感じはなくならない。なんといっても私達は、ただポッカリ空に浮かんでいるだけなのだから。(タケ◯プターでもつけていれば、おぼつかない気持ちも、少しはマシなのかもしれないが。)

 「上昇、下降の技術はだいぶ身に付いてこられましたね。ナルさまは上達がお早いと思います。」

 そういうジェームズおじさんは、天使歴が長いだけあって空中移動はお手のものだ。実際に何年くらい天使をやっているのか彼に尋ねたわけではないが、身のこなしで1年や2年ではないだろうと思われた。

 Cコース!と大声で宣言してしまってから、私は毎日毎日教習という名のシゴキにあっていた。人当たりの良い見かけとは裏腹に、ジェームズおじさんは結構鬼教官だった。アメリカ海兵隊の軍服の方がお似合いなんじゃないかと思うくらいに。

 そうこうしているうちにダンダンわかってきたこと・・・“霊”というものは、どうやら地上や空中・水中も不自由なく移動できるらしい。壁や、障害物もスルリと通り抜けられる。これは思いのほか快感だった。

 今回私は最初に言われたように、現世の人に姿を見せたり話しかけたりはできない。その代わりといってはなんだが、念力的なもので物(生命反応のないものに限って)を動かすことは可能だ。でもこれが相当疲れる。集中力が続かない。経験を積めば簡単でございます、ってジェームズおじさんは言うけど、私にはそんな時間はないのだ。とにかく一刻でも早く家族のもとに帰りたかった。カイの顔が見たかった。なのに鬼教官は、まだ準備ができておりません、の一言で私の願いを却下し続けたのだ。鬼!鬼!!

 でも物が動かせるようになったとしても話が出来ないのに、どうやってフウやカイに私の気持ちを伝えたらいいっていうんだろう?私の存在にさえ気付いてくれないかもしれないし。“奥の手”がございます・・とジェームズおじさんは説明してくれたけど、ホントに信用していいのかなぁ〜。いまいちつかめないんだよね、うさんくさい・・・。

 「ウーム、教習はこれくらいにして、もうそろそろ本作業に入っても宜しいでしょう。心の準備はお出来になっておられますか?」ジェームズおじさんの声に、私は我にかえった。

 「そのつもりです。」

 と言ってはみたものの、やはり心は不安でいっぱいだ。あんなに早く家族に会いに行きたいと思っていたのに、いざその時が来ると、ビビってしまう。私がいなくなった世界でみんなはどうしているんだろう?悲しんでばかりいては困るが、何事もなかったように暮らしていたらそれはそれで困る・・・。身勝手な思いにとらわれていた私は、グイッと強引に手首を引っ張られて前につんのめった。と思ったのもつかの間、今度は一直線に下へ、下へ。

 「ヒェーッ。何するんですか、馬鹿天使!」

 「そんなに驚かれるとは、いやはや、失礼いたしました。準備ができているとおっしゃったものですから、つい。」

 「物事には程度があるでしょうが、程度が!」

 必要以上に驚いてしまったことに、私は思わず赤面した。

 「あそこですな。ナルさま。」

 ジェームズおじさんが指差す先に、この数日間夢にまでみた我が家があった。5年前子供が生まれたのを機に、少々無理をして手に入れた一戸建だった。豪邸とはいえないが、芝生の庭(スズメの額ほどの広さだけれど)もついて、フウと私は、この家がこれから始まる暮らしの幸せの象徴のようだね、と話したものだった。

 思い出がたくさん染み付いた家、大切な家族に囲まれていたあの日々。そこにあることが当たり前のように思っていた日常に、本当にもう二度と戻れないんだろうか?

 「カイ、早くしなさい。遅れちゃうよ。」

 そんな私の思いの糸を切るように開け放った玄関から聞こえてきたのは、まぎれもなく慣れ親しんだフウの声だった。一瞬心臓が止まった。・・・と思った。私は思わず声のほうに駆け寄った。駆け寄ったといっても、“霊”の私は普通の人間のようには歩けない。例えて言うならば、ドラ◯もんやリニアモーターカーのように地面から数センチ浮きながら滑るように移動するのだ。

 「コホン! さよう理論的にはですな、静電気と摩擦に関係が・・・。」

 「もういいです、難しいその説明は何度聞いても理解できませんから。それに現世に戻ってくるときに約束したじゃぁないですか、私の心が読めても知らん顔をしてくださいって。」

 「これはこれは、わたくしとしたことが。大変申し訳のないことをいたしました。」

 「落ち着かないんですよね、何もかも見透かされているようで。テレビや映画になった《サトラレ》って知らないんですか?主人公の気持ちわかるなぁ〜。気をつけてくださいよ、お願いしますよ。」

 「はい、もちろんでございます。それがわたくしの喜びでございます。」(ホントにもう返事だけはいいんだから。)

 もともと私達夫婦は幼なじみで、どちらかというと恋人というよりも、親友同士のような関係だった。それがお互い年齢相応のいくつかの恋愛を経て、最終的に結びついたのだった。結婚後もその関係に大きな変化はなく、子供が生まれるまでは“アリとキリギリス”のキリギリスのように、人生をのんきに楽しんでいた。コンサートや旅行にもたびたび出かけた。趣味でサーフィンを始めて、海漬けの日々を過ごしたりもした。

 そのお気楽生活が大きく変わったのは、息子の出産がきっかけだった。時間的なことはもちろん経済的にも、生活スタイルを大きく変えることを余儀なくされた。それでも息子の誕生は、フウと私の二人にとってなんだかワクワクする遊園地の新しいアトラクションのようだった。

 「カイ、早く!! ホントに遅れるぞ!」

 フウが背広の上着に袖を通しながら、家から出てきて大声で言った。その声に引きずられるようにして、一人の男の子が玄関から出てきた。うつむき加減でトボトボ歩く様子は、実の母親じゃなくても思わず涙誘われるくらい悲しげだった。

 その姿を一目見て、私の心も体も一瞬にして凍りついた。息もできずに、その場で金縛りにあったようだった。

 「カイさまですな。」

 そんなことあんたに言われなくても、とうに気付いていましたよ。だけど、わかっていた筈だけど、やはりこの目で見るのはつらかった。想像以上にきつかった。この間(死んじゃったといわれてからの期間)、私は自分のことで精一杯で家族の心配も充分にはできていなかったのかもしれない。いつもいつもカイやフウのことを考えてはいたけど、それ以上に自分が死んだという事実を受け入れることや、ジェームズおじさんから出される課題をこなすことに忙殺されていた。久しぶりに数メートルしか離れていない距離からカイをみて、今更ながらにそのことに気付かされた。

 カイを抱きしめたい! 私は走りよって息子の肩に手を伸ばしたが、さわることも出来ずに勢い余ってカイの体の中を素通りしてしまった。目の前に愛する息子がいるのに、ふれることもできないなんて。ふいに目頭が熱くなって、涙があふれた。 “霊”だって泣くことくらいはできるんだ・・・。

 フウは腕時計を睨みつけるようにして、足早に歩きだした。カイも少し遅れてようやく歩き始め、健気にもフウに追いつこうと頑張っていたが、大人と子供ではスピードが違い過ぎる。みるみる二人の間隔は開いていった。

 そういえば今までだって、いつもフウとカイの距離はこのくらい離れていたっけ。休みの日3人で出かけても、私とカイは手をつないで、一緒にゆっくり歩いた。フウは一人でズンズンと前に進んでいってしまうので、見失うことも度々だった。その都度私とカイは、小走りにフウを捜したものだった。

 父親と母親は違うんだ!・・というのがフウの持論で、そういった時も子供のペースにあわせて歩く私に、ベタベタし過ぎると怒ったりした。私は私で、目的地に早く着くことも大切だけど、一緒にくだらない話をしながら、歩くことをただ楽しむことも大事だよと反論した。

 そうやって、言い争いをする回数が徐々に増えていったんだった。夫婦二人の時は、滅多にケンカなんかしなかったのに・・・。

 「パパ、待って。ちょっと待って。」 涙まじりにカイが言った。

 「またか。カイの待ってを聞いていたら、パパ会社に遅れちゃうだろう。朝から何度目だと思ってるんだ、カイの待っては。」 険しい顔でフウが答えた。

 【母親を亡くしたばかりの子供に、そんな言い方ないでしょ】私はフウのそばまで進んで大声で怒鳴った。

 しかし当然ながらその声は無視された。私はたまらず、泣いているカイを強く抱きしめた。でもその私の両腕はまたもや空しく宙をきり、自分で自分を抱きしめるハメになった。

 「ママは待ってくれたっ、よっ。」 しゃくり上げながらカイは言った。

 「ママはもういないんだよ、パパとカイだけだ。二人でやっていくしかないんだよ。わかったら、さぁ急いで歩くんだ!」

 フウはそういうと、カイの手をつかんで強引に引っ張りながら、大股で歩き始めた。

 「こんなになってる我が子に声をかけてやることも、抱きしめてやることも出来ないんですか?」こみあげる涙を拭いながら私は言った。

 「それが今回のルールでございますから。」ジェームズおじさんもさすがに申し訳なさそうに答えた。

 とにかく二人のあとをついていかなくちゃ・・・。何もしてやれないのはわかっていたが、じっとしていることなどできなかった。ただカイのそばにいたかった。

 

 

 

 

  



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