ゼスと追肥
五月になると、山や野を吹き渡る風が、春先とは違ってくる。
珠美は水仕事をしていた手を手ぬぐいで拭きながら、爽やかに晴れ渡った青い空を見上げた。
ツバメが家の軒下に帰ってきた。古い巣に仮住まいをしながら、新しく巣を作っているようだ。田起こしした後の泥をついばみ、あちこちとせわしなく飛び回っているのを、よく目にする。
野原を彩っていた草や花も、徐々に初夏のメンバーに移り変わろうとしている。
夏の草は、雨が降るとすぐに背が高くなるから、気を付けて途中で刈り取っておかないとね。
珠美はほったらかしの自然農法で野菜を育てるつもりだが、さすがに草の方が背が高くなってしまうと野菜が負けてしまう。太陽の光が、育てている野菜にまんべんなくあたるようにする。それがこれからの農作業の中心になるだろう。
「ねぇ珠美、ゼスさんがここに来てもう一週間になるけど、いつまでうちにいるつもりかニャ? 珠美は困ってニャい?」
珠美が朝ご飯の片付けを済ませ、畑仕事に出る準備をしに作業小屋にやってくると、ミーニャが後から追いかけてきて、そんなことを聞いてきた。
「あー、ゼスさんねぇ。本当にいつまでいるんだろう? 私の魔法上のバグを調べるとかなんとか言ってたけど、たぶんあれはただの口実でしょう。なんか、私が魔法を使ってるのを見て、ただ面白がってるだけのような気がするなぁ」
ゼスは、ちょっと見にはくたびれた中年のおじさんだが、魔法に関しては本を書くだけあって、博識なところをみせる。
でもそれが研究者の態度かと聞かれると、ちょっと違うような気がする。
あのヘンテコな呪文からして、もともとおかしな人なんだろうし、その呪文を集めた魔術大全という本を捧げられる魔神ドルチェという神も、それなりにおかしな人?なんだろう。
「あれは、絶対に居着いてしまうニャ~ 本人に会う前は、噂で聞いてたような大魔法使いだと思ってたけど……やっぱり師匠が師匠なら弟子も弟子ニャ。珠美が気にしてニャいんなら良かった。珠美が困るようなら、神階に連絡しないとダメだし、それを心配してたニャ。あ、じゃあ今日もお仕事頑張ってニャ!」
え、ちょっとちょっと、ミーニャ。今言ったこと、気になるんですけどぉ。
家に帰ろうとしていたミーニャを捕まえて、詳しいことを聞こうとしたのだが、「ああいう人たちと付き合うコツは、相手と同じようにのらりくらりと躱しておいたらいいんニャ。放っておいた方が、めんどくさいことにならニャいし」と、答えになっていないような答えを返された。
なんだそりゃ?
ま、いっか。
ゼスさんは、食べる時以外はあんまり手がかからないから、ミーニャが言うようにそっとしておこう。
でも食事代分ぐらいは、たんまり魔力を提供してもらうけどね。ふふん。
珠美にかかれば、大魔法使いであろうと、使い勝手のいい電力発電所扱いである。
気温が高くなってきたので、珠美は野菜に追肥をしておくことにした。
その前に、草刈りよね。
「【ヤレカリ クサカリ】」
久しぶりに、統一呪文じゃない方を使ってみた。この呪文は覚えやすかったので、珠美もまだ覚えていたのだ。
珠美としてはちっとも魔力を使っていない気がしたが、軽く簡単に、サクサクと草が刈り取られていく。
思っていたよりも広範囲に魔力の影響波が届いてる。
へぇ、さすがに魔術大全に載っている呪文だな。効果、あるぅ。
こういうところは、ゼスが大魔法使いと言われる所以だろう。それに珠美はおかしな呪文と言っているが、それも呪文を覚えやすくするための、ゼスの工夫なのかもしれない。
草刈りが済むと、すべての苗に追肥を施した。
珠美が作っていた肥料はもう完熟していたので、肥料とはいっても森の中の湿った土のように、臭いもなく、ふくよかな自然の滋養を感じさせた。
いいねぇ、これで雨が降れば、少しづつ養分が苗に染み込んでいくでしょう。
今夜は何を作ろうかなぁ。
生きのいい魚が手に入ったから、煮魚もいいかも。
春はやっぱり鰆よねぇ。
ショウガとネギを入れて、甘じょっぱい汁で煮ると、白飯に合って美味しいんだなぁこれが。
そうするとご飯も炊きたてがいいかもしれない。口をサッパリさせるために春雨とキュウリとワカメを三杯酢で和えた小鉢を添えましょうか。
ゼスさんは、意外と日本食を好むからな。
食べてくれる人がいるというのは、やはり作りがいがある。
こういうところにもゼスの存在意義があるのかもしれないと思った珠美だった。




