恋の季節
白い炊きたてご飯にヤマメの飴煮をそえて食べると、やっぱり何杯でもいけちゃうね。
朝の澄んだ空気の中、珠美はいつものように旺盛な食欲を示していた。
鳥たちの鳴き声が大きくなってきたので東の空を見上げると、薄明るくなっていた空はしだいにピンクやオレンジの色味が濃くなってきている。もうすぐ朝日が昇るのだろう。
そんな朝焼けの光の中にすっくと立っているペロルは、何故か遠吠えをしている。
「ミラァーーーーー、マオーーーーーン」
ん? なんか鳴き声だけじゃなくて「ミラー〇ン」って言ってるように聞こえたけど……
ペロルも男の子の例に漏れず、特撮が好きなのねぇ。
うんうん。
珠美は頷きながら、大根の味噌汁をズズッとすすった。
「ペロルったら、発情しちゃってるニャ。春ねぇ~」
毛づくろいをしていたミーニャが、そんな独り言をつぶやいている。
へぇー、ハツジョウか。
はつ……え? 発情って、あの、オスがメスに恋するってやつ?!
もしかして、ポコットの駐車場の裏の家の子かしら。
珠美がもう一度ペロルの方を向くと、遠吠えでは胸の中の熱情が落ち着かなかったのか、乱暴な走りで林の中に駆けこんでいく後姿だけが見えた。
大きなストライドで跳ねるように藪に飛び込んでいったペロルの身体には、もうあのコロコロしていた小さな子犬の面影はない。
しなやかな若い青年犬の姿がそこにはあった。
……子どもって、知らない間に大きくなってるのよね。
あーぁ、あのモフモフのコロコロちゃんが、女の子を狙う狼になっちゃうなんて。
珠美の心の中には、なにか大切なものをなくしてしまったような寂しさがよぎっていた。
朝食を終えた珠美が、古い作業着に着替えて畑に堆肥を運んでいると、大川の土手の上からふいに声をかけられた。
「ごせいがでますね!」
「……え?」
猫車をとめて、下ろそうとしていた堆肥カゴを掴んだまま、珠美が顔を上げると、いつになく自信満々な笑みをたたえたサミーが、珠美の方を見降ろしていた。
いつになく整えられた栗色の髪の毛は、ビシッと七三に分けられている。
いつになく派手な服も、あまりサミュエルらしくない。
どーしたの? 何事?
もしかして……
「おはようございます。大きな商談でもあるんですか?」
珠美のとぼけた質問に、サミーは少し気勢をそがれたようだった。しかし再び気を取り直し、重戦車のような重い足音を響かせ、一気に土手を駆け降りると、珠美のすぐ側までやってきた。
「おはようございます。あの、お仕事中にすみません」
「ふふ、前にもそう言ってらしたわね」
「そ、そうだったかな。……あの……あのぉ、ちょっとお話があるんですが」
そう一息に言って、大きく息を吸い込んだサミーは、珠美が持っていた堆肥の臭いを胸いっぱいに吸い込んだらしく、ゴホゴホと咳き込み始めた。
「あら、お話するには空気がよくありませんね。お茶でも入れますから、どうぞこちらにいらしてください」
珠美は家の玄関からサミーを招き入れ、客間のベンチに彼を座らせると、自分は井戸に手を洗いに行った。
「ニャにニャに、珠美? サミーが来たのが見えたわよー」
ミーニャがニヤニヤ笑って、珠美の方に寄ってきた。
「なんか大きな商談があるらしいの。儲け話かもね~」
儲かったら今度はマグロのネギトロよ、とウキウキしている珠美を、ミーニャは残念な子を見るような目で見ていた。
珠美がトルーサ茶を入れて客間に戻ると、サミーはハッとしたように姿勢を正した。
「そんなに緊張しなくてもいいですよ。ポコットのアルバイトが終わりそうなので、時間は取れるでしょうから」
「ええっ、そうなんですか?! それでは、花祭りに一緒に行ってもらえますよね」
「……は??」
「よかったぁ~、これでタングさんのお話を断ることができます! 本当にホッとしました。ゴルジめ、『断られるぞ』なんて脅しやがって」
なんだか話がかみ合わない。
大きな手を膝に打ち付けて、喜びに輝いているサミーには悪いのだが、ここは話をはっきりさせておかなければならない。
「あのう、私に仕事を頼みに来られたんじゃないんですか?」
「いいえ、花祭りのパートナーになってもらおうと思ったんですよ。……あれ? わかりませんでした?」
サミーの顔が、みるみるうちにいつもの少し自信なげな様子になっていく。
「ええ、わかりませんでした。この間、熊手を注文されたみたいに、何か私に作ってもらいたいものがあるのかなと思っていたんです」
「ああーーっ、そうだったんですか。す、すみません」
そんなに大きな身体を縮めて反省されると、何か私がサミーをいじめてるみたいじゃない。
もうまったく、この人は大きなナリをして子どもみたいな人ね。
「はぁ~まったく。いいですか、話を整理しますよ」
「え、ええ」
「あなたはタングさんの娘のシャリナとカップルになりたくない。そうなんですか?」
「は、はいっ!」
やっぱりね。
事業を手広くやっていて、50歳近くまで生きていた記憶を持っている人間には、あの子が頼りなく見えてしまうのも仕方がない。
「タングさんの話を断りにくくて、助けて欲しいというのなら、今回は花祭りに一緒に行きましょう」
「ホ、ホントですか?!」
「ただし、今回限りです。来年は誰か違う人を誘ってくださいね。応援しますから」
「はぁ……」
やれやれ、ネギトロが口に入る寸前だったのにぃ。
珠美は食べられなかったマグロのことを思って、がっかりした。
サミーの方が珠美以上にがっかりしているだなんて、この時の珠美は知らなかった。




