ヤマメと勾玉
岩にぶつかりながら水が流れる音だけが、ザァザァと谷間に響いている。
珠美は羽虫が顔の周りを飛んでいるのも気にせず、大岩の影にじっと隠れ潜んでいた。風が吹いてきたその瞬間を生かして、ヤマメのいそうなポイントを狙い、小さく竿を振る。
羽虫が水面すれすれを滑空する様を真似るように、ふわ~んと毛鉤が飛んでいった。
ヤマメが水の中から飛び出し、毛鉤に食いつこうとした瞬間に、竿を素早く返して、合わせる。
「やった! やっとかかったよ~」
「珠美、今度はバラさないように慎重によせていけよ」
「わかってる」
珠美は魚の口から針がはずれないように注意しながら竿を引いていった。最後は、一気に竿をあげて釣りあげる。
おー、手ごたえがすごいな。結構、大きいかも!
ピチピチと跳ねるいい型のヤマメをつかむと、針を外して、藻を入れておいた魚籠の中に入れた。
釣りをするのは久しぶりだ。子どもの頃以来かな。
自分が作った竿や毛鉤で釣るのは、初めての経験になる。
毛鉤を飲んだまま水中に反転して岩陰に隠れようとするヤマメと、一本のテグスで繋がっているビンビンくる感覚。まるで自然と一体化しているような感じがする。
これは楽しいわ!
ペロルは珠美よりも下流で、四本の足で竿を支えながら流し釣りをしている。
浮きが動くと、口で竿を噛んで、水の上を滑らせながら魚を一気に岸に引き上げるのだからたいしたものだ。
「ペロル、うまいねぇ。なんか私よりも釣れてない?」
休憩中にペロルの魚籠を見に来てみると、水が泡立つくらいの魚が中でうごめいていた。
「僕は釣りも趣味だから。合わせのタイミングはバッチリだよ」
「へえぇ!」
獣を狩るだけじゃなくて、人間みたいに魚釣りもするんだ。
まさか、犬が釣りをするなんてねぇ。
驚いている珠美をチラリと見て、ペロルは何も言わずに川面に目を向けた。
ペロルの竿を構える後姿には、子犬とは思えない老練な釣り師の風格を感じる。
この子はいったい、何者なの?
昼前になり魚のあたりもこなくなったので、珠美たちが納竿して帰り仕度をしていると、そんな二人にしゃがれ声で話しかけてくる者がいた。
「お嬢さんたち、釣れたかね?」
土手の上に、ウグイス色の甚平を着たおじさんが立っていた。
重たそうなバケツを持っているところをみると、おじさんも大量だったのだろう。肩にかけている袋の中には釣り竿が入っているようだ。
「ええ、初めてにしてはよく釣れました。たくさん獲れたので、さばくのが大変そうです」
「そうかい、そりゃあ良かった。ところでお嬢さんの胸元の勾玉が気になるんじゃが、もしかしてあんたは珠美さんかい?」
「え?」
おじさんに言われて、ペンダントの勾玉を触ってみたら、ほんのりと温かく発光していた。
「……まさか。もしかして、あなたはバンブーの?」
「ええ、バンブーの父親のオキナといいます」
なんと、竹の精だったよ。
「先日は、豆をたくさんいただきまして、ありがとうございました」
珠美がお礼を言うと、オキナさんは困った顔をして笑っていた。
「お礼を言うのはこちらの方ですよ。あそこの竹林は古くからあるんだが、遠くてなかなか手入れに行けないから荒れてしまってねぇ。ずっと気になっていたんですよ。あんたが管理を引き受けてくれて助かっとります」
「私もタケノコやら豆をいただいて、一息つきました。バンブーに会った時はこちらの世界に来たばかりの時だったんです。タケノコを売ったお金で、なんとか食べていけるようになりました。竹林には本当に感謝しています」
「ハッハッ、珠美さんはバンブーがいうておった通りに真面目な人じゃな。ここで会ったのも勾玉の導きかもしれん。どうですか? 昼がまだじゃったら、うちに食べに来なさらんかね」
「え、いいんですか? ぜひ、お邪魔させてください!」
珠美とオキナが意気投合していると、ペロルが遠慮がちに珠美の服を引っ張った。
「珠美、僕は先に帰るよ」
「どうしてよ、ペロル?」
「だって、竹の精は犬が苦手だろ」
小さな声で話していたのだが、さすが竹の精、話は全部聞こえていたようだ。
「犬が苦手なのはバンブーだけなんですわ。あの子は小さい頃に犬に噛まれたことがあってな。ペロルさんとおっしゃったな。あんたさんは神様の使徒でしょう。普通の犬ではない。バンブーもそのことがよくわかったら、苦手には思いませんて」
そういえば人間にはペロルの声が聞こえなかったけれど、エルフのセレンや小人の重人、それに雪男のグルさんも、ペロルと普通に話をしていた。
ただの犬ではなく会話ができるペロルなら、バンブーも犬嫌いを克服できるかもしれない。
オキナに強く誘われて、ペロルも珠美と一緒にバンブーの家へ行くことになった。
川土手を降り、そこからずっと続いている田んぼ沿いの道を歩いて行くと、山の麓に真竹の林があった。その林の中に竹の精の集落があるようだ。ただ集落とはいっても、家は三軒ほどしか見えない。
日本に昔からある農家の家と同じで、かやぶき屋根が懐かしい木造の家だ。
オキナが入っていた家の庭には、鶏が二羽歩いていた。
「うちの親類縁者だけの小さな村ですわ。さ、我が家はここじゃ。遠慮のう入ってくだされ」
玄関を開けると、オキナは奥へ声をかけた。
「おーい、珠美さんを連れて来た。誰かおるかぁ?」
「はぁーい」
「ええー?! 珠美が来たの? 本当に?」
「ねーちゃん、だれ?」
家の中からはバンブーの声だけではなく、たくさんの人の声が聞こえてきた。
…………お昼をどうかといわれていたけど、家族の人数が多くて食事が足りないんじゃないの?
これって、およばれしてもいいのかな?




