温泉
重人が連れていってくれたのは、なんと河原にある川湯だった。
トルーサ山から流れ出た小さな川が集まって、珠美たちがやって来たバトック川に注いでいるそうだ。
そんな小川の一つに、温泉が湧き出ていて、昔から小人族の保養地になっているらしい。
湧き出したばかりの源泉は熱湯らしく、小人族はその源泉からお湯を引いて、川の冷たい水と混ぜて露天風呂を作っていた。
小さな露天風呂に、歩き続けて怠くなっていた両足を浸した珠美は、ホッと一息をついた。
「あぁ~、極楽極楽。でもできたら、お風呂につかりたいなぁ」
異世界に来て、もう10日以上経つ。珠美も日本人の性なのか、湯船にどっぷりと肩までつかって、お湯でジャブジャブ顔を洗うという行為を、強烈に欲していた。
「源泉の向こうに、珠美のお風呂を作ればいいじゃん」
ペロルがナイスなアイデアを出してくれた。
「それはいい考えね。でもそうなると『浄化』じゃなくて『建築』魔法をとっとけばよかったなぁ」
今朝、悩んだ末に『浄化』魔法を習得したことが悔やまれる。
しかし人間の欲求というのは、思いがけないほど強い原動力になるものだ。
結局、珠美は『収納倉庫』から竹と紐を出して竹垣を作り、『掘削』魔法で自分が手足を伸ばして入れるだけの穴を掘ると、源泉と川からお湯や水を引いて、あっという間に自分専用の露天風呂を作ってしまった。
これに驚いたのは案内人の重人だ。
「今度の管理人はすげぇな。こんな魔法が使えるんだ」
「まぁ、珠美は特殊なんだよ」
不思議なことにペロルと重人は話ができるらしく、珠美が一人でお風呂に入っている間に、何やら情報交換をしていた。
ここの温泉は少しだけ白濁したお湯だ。身体中がしっとりとするだけでなく、腕などを触るとツルツルして気持ちいい。
川のせせらぎと外で話をしている男二人の話声を聞きながら、珠美は山歩きの疲れを癒すように、たっぷりと温泉を楽しんだ。
「ああ、いいお湯だった。後は余分な木を何本か伐採して、今日のところは帰りましょうか」
『収納倉庫』に入っていた手ぬぐいで身体を拭いて、新しい下着と作業着に着かえると身も心もサッパリとして活力がわいてきた。
「温泉卵みたいにツルンツルンの顔になったな」
重人が褒めているんだか貶しているんだかわからないようなことを言ってくる。
「重人に聞いたんだけど、この坂を登ったあたりから針葉樹林になるらしいよ。珠美が前に言ってた杉の木なんかがあるんじゃないの?」
ペロルがそんな提案をしてくれたので、坂道を登って行ってみることにしたのだが、そこには珠美にとって30年来の天敵が待ち受けていたのだった。
「ハァックシュン! へクシュン、クシュン、ケホッケホッコンコンコンコン! もう何、これ? この辺、空気が黄色くない?」
「ここら辺りは杉やヒノキが多いな。今の時期は花粉が飛んでるんだよ」
「ゲゲゲッ、異世界に来てまで花粉症?! やだやだ【バリア】!」
風魔法で『バリア』をかけると、やっとクシャミが落ち着いてきた。けれど、まだ目が痒くてシパシパする。
これは絶対、赤い目になってるな。
こちらでは花粉症が出なかったのですっかり油断してしまっていた。でもどうやら珠美が住んでいる林には広葉樹が多く、花粉が舞っていないだけだったらしい。
花粉症の大敵である杉やヒノキの木を伐ることには、なんの躊躇もなかった。
珠美は下枝を『ウィンドカッター』で切り落とし、木が密集している所では、木を伐っては『収納』という流れを繰り返した。
もちろん『収納倉庫』に入れる前には花粉を極力ふるい落とす。
そんな作業を続けていたら、目の前にステイタスの文面が浮き上がってきて、『ウィンドカッター』の新たな進化を告げてくれた。
〔レベルアップに伴い『ウィンドカッター』が進化しました。『ウィンドカッター』は風魔法の『ウィンド』に統合されます〕
あら、なんか変わったみたい。
ペロルに聞いてみたら、今までと同じでカッターのように切ることもできるし、想像のし方によっては風を起こして操ることもできるらしい。
これは便利だ。
「いけいけ! 【ウィンド】!」
珠美はこの辺り一帯の花粉を風で飛ばして、木を収納する時の安全を図ることにした。
やれやれ、これでかなり花粉をやっつけられたよ~
その上で風を操って、木が傾くのを止めることにする。
地面に木を切り倒さなくてもよくなり、かなり効率を上げることができた。根元をスパンと切ると倒れる前にすぐに手で触って、ドンドン『収納倉庫』に入れていく。
「ひぇ~、そのお腹の中にはいったい何本の木が入るんだ?!」
ペロルの背中に乗って避難していた重人の叫び声で、やっと珠美も我に返った。
周りを見渡してみると、辺りには陽の光が大量に差し込んでいる。林はまばらな杉木立になっていて、風通しがよく、散髪したての頭のようにスッキリしていた。
「うん、綺麗になったね。でもちょっと伐り過ぎちゃったかも?」
「そうだよ~ やりだしたら珠美は止まらないんだからなぁ」
ペロルの指摘が的を射すぎていて、珠美としても何も言い返せない。
「コホン、そろそろ山を下りて、もう一度、温泉に入ってから帰りましょうか」
「ハハハハ、本当だ。さっき温泉に入ったのが、何にもならないな」
重人が言うように、珠美の頭や身体には木くずや葉っぱがいっぱいついている。ここでも一番許せないのは、目に見えないスギ花粉がたっぷりとついているであろうことだ。
じゅあ、仕事の後のひとっ風呂を浴びて帰ることにしようかね。
なんとなく大工さんか木こりの親方のような気分になりながら、珠美は坂道を降りて行ったのだった。




