ポコット
定期馬車の停車場から5分ほど歩いたところに、聡の店「ポコット」があった。
まず目を引くのは、可愛らしい赤さび色の鱗屋根だ。外観は山小屋のような丸太づくりになっていた。
この店は背の高いポプラ並木が続く街路に面して建っている。停車場からの距離といい、この並木沿いに並んでいる周りの店の様子といい、ここが良い立地だということはよくわかる。
店のすぐ裏に広い駐車場があり、便利なことに裏からも店の中に入れるようになっていた。
へぇ~ 素敵な店だな。
日本だと電線があるので街路樹は樹形を整えられているが、こちらでは原生林にあるような大木のポプラも多く、広い馬車道路やその両側にならんでいる店がなければ、森の中だと錯覚するような雰囲気だ。
軽井沢のような場所といったらいいだろうか、豊かな自然の中に洒落た雰囲気を漂わせている場所だった。
リザンはこの辺りでは一番人口も多い、大きな町らしいが、デルム村の方が土地としては広々している。
聡にそのことを聞いてみると、もともとの町の成り立ちが違うと言われた。
デルム村は、広い草原の中にあった泉を中心として小さな村が生まれた。ここリザンの町は、自然を楽しみに来た人たちが森を切り開いていくうちに、徐々に都会から訪れる人が増え、避暑地になっていったそうだ。それでこういう森の雰囲気を残したおしゃれな町になっているらしい。
「おーい、帰ったよ!」
聡が裏の駐車場で草取りをしていた人に声をかけると、赤いシャツの女の人が振り向いた。遠くにいるので細かい容姿はわからないが、明るい茶色の髪をしたナイスボディの若者に見える。
まさか、この人が奥さんのバーバラさんじゃないよね。
「まぁ、早かったのね。泊って来るのかと思ってたわ。ヘイスケとミヨンは元気だった?」
「ああ、前に行った時よりも元気だったよ。また豆腐作りを再開したんだって」
「それは良かったわ。ところでそちらの方はどなた?」
女の人が軍手を脱ぎながら近づいてきたので、珠美は軽く会釈をした。
「バーバラ、すごい人を見つけたよ! この人は珠美さんといって、製作系全般のスキルを持っている新人魔法使いなんだ。親父の知り合いで、デルム村の北の林で農業をしてる」
「農業? こんにちは、お嬢さん。タマミさんとおっしゃるのね。私は聡の妻でバーバラといいます」
奥さんだったよ。しかし若いな、子どもが三人もいるとは思えない。
近くに来たので目の色が綺麗なグリーンで、鼻の頭にチャーミングなソバカスがあることがわかった。
「初めまして。日色珠美と申します。デルム村の藤堂さんご夫婦には、お世話になっています。よろしくお願いします」
「君に相談しないで勝手に決めたのは悪かったけど、この人の作品を見てほしいんだ。絶対、バーヴも気に入るよ」
「とにかくこんなとこで立ち話もなんだから、店に入って詳しく教えて」
店の中のスタッフルームに入ると、テーブルの上に置いてあったたくさんの商品をまずは三人で床の上におろした。
「ごめんなさいね。まだ商品の陳列にまで手が回ってないのよ。裏の駐車場はさっき見てもらったように草原になってるしね」
目を大きく開いてお手上げだわというジェスチャーをするバーバラは、いかにも外人さんという感じだった。
彼女はこんな忙しい時に実家に行ってしまった聡のことをどう思ったのだろう。
聡としたら店を開けると当分休みが取れないので、親の顔を見に行ったのだろうが、バーバラの方は一人で店の開店準備のために残されて、少々気持ちに余裕がなくなっているように見える。
さっき、聡が珠美を連れてきた言い訳をする前には、少し顔が強張っていた。
自分だけ働いて、夫は女の子と何をしてたんだろうと思ったんじゃないかしら。
「大丈夫ですよ、このくらいの物を動かすことは、慣れてますから。私は引っ越しとか部屋の模様替えが好きなんです。うちの主人も私と結婚してからは家具の移動が得意になったんですよ。しょっちゅうタンスを、二人であちこちと移動させてましたからね」
「まぁ、タマミはこんなに若いのに結婚してるの?!」
心底驚いたバーバラに、珠美は自分の素性を詳しく話した。
「ええぇ?! うちの息子の同級生みたいに見えるのに、私よりも年上ですって?!」
珠美の享年の方が聡より3歳年上だった。バーバラは聡よりも7歳年下なので、珠美とバーバラは10歳違いということになる。
うん、若く見えると思ったけど、実際にも若かったね。
テーブルの上に珠美が作ったものを並べていくと、バーバラもプロの目つきになった。
「これがいいわ」
聡が想像した通り、竹で作った虫のオーケストラとハンガーの形が一番ウケた。
しかしバーバラは女性ならではの視点で、カスタネットに目をつけた。
「木工もできるとおっしゃってたわね。子ども用のおもちゃを作ってもらえないかしら? 花祭りの贈答品として、小さな子に贈り物をする人が多いのよ」
「それさっきも馬車の中で聞きましたけど、花祭りの贈答品セットってなんですか?」
「あら、花祭りを知らないの? 毎年5月10日の祝日に行われるお祭りで、花を満載した山車も出るの」
「ああ、そういえばデルム村で、そんな山車が出るって聞いたかも? でも、贈り物もするんですか?」
「ええ。バラが咲き始める頃のお祭りだから、昔から男性が女性に花を贈る習慣があったの。でも最近は、男女の間だけじゃなくて、親しい人たち同士でちょっとしたものを贈り合うようになってきているのよ」
へぇ、クリスマスに便乗したお歳暮みたいなものか。
世界は変わっても人間が考えることは変わらないんだな。
「私たちも花祭りの需要を当て込んで、5月1日に店をオープンすることにしたのよ。でもあと半月しかないのに、聡はまだ今の会社を辞められないし、子ども達のこともあるし、私ももう手いっぱいでどうしたらいいか……」
やっぱりだいぶ溜まってるみたい。
「よかったらお手伝いしましょうか? 私も他の仕事があるので毎日は来られませんけど」
珠美がそう言うと、ずっと大人しくしていたペロルが「ゲゲッ」と声を漏らした。
だって仕方がないよね。これも乗り掛かった舟だもの。
カレンダーを見せてもらって、気づいたのだがこちらの世界の月や週の名前は英語表記になっていた。
つまり今日は Aprilの14日でSundayということになる。
明日はダイコンの間引きをしてから、山へ行こうと思っているので、次回は16日にここに来ることにした。
「本当に助かるわ、タマミ。聡にしっかりと給金を出してもらうからね」
「おいおい」
「だってあなたは会社の都合で引き止められてるのよ。退職金に色を付けてもらいたいわ」
あけすけな夫婦の話に珠美も苦笑したが、こういうやり取りも懐かしい。うちの旦那様はどうしてるかなぁ。
商品の納入と代金の精算をして、契約書をもらった珠美は聡の馬車で船着き場まで送ってもらうことになった。
三人で裏の駐車場に出た時に、丈高く生えている雑草が見えた。
なるほど、これがバーバラが言っていた草原か。
そういえば、今朝『草刈り』魔法を習得したっけ。
「バーバラさん、この草だけ刈っておきましょうか?」
「でも、帰るのが遅くなるわよ。暗くなったら船に乗るのも危ないでしょう」
「いえ、魔法で刈れるので。【ヤレカリ クサカリ】!」
珠美が呪文を唱えると、広い駐車場の草が一斉にすべて倒れた。
「「え?!」」
聡とバーバラが声を無くしている間に、珠美はペロルと一緒に馬車の座席によじ登った。
「……魔法というものはすごいもんだなぁ。でもこういうのは珠美さん限定かも。僕も新人現人含めて大勢の魔法使いを知ってるけど、珠美さんみたいな特殊な魔法を使う人には会ったことがないよ」
「そうなんですか?」
首を振りながら聡が馬車の馭者席に乗ってきた。ギシリと鳴ったその音で、呆然としていたバーバラも我に返ったらしい。慌てて店に鍵をかけると、珠美の隣に乗り込んできた。
「え? 君も行くの?」
「だって私の今日の仕事は終わったもの。ありがと、タマミ、久しぶりに子ども達に夕食を作ってやれそうよ」
珠美を送って行った後は、そのまま自宅のある隣村に帰るようだ。
いつもはバーバラのお母さんが、家や子どもたちのことを手伝ってくれているんだそうだ。けれどバーバラは開店準備が忙しすぎて、ここのところゆっくりと子ども達の顔を見ることもできなかったらしい。
それは大変だ。ストレスが溜まるのもわかるよ。
道中、バーバラがリザンの町の観光案内をしてくれた。
町の主要な建物は定期馬車の停車場の近くにあるようだ。町役場だという三階建てのレンガ造りの建物を珠美が見ていると、バーバラに腕を引かれた。
「ほら、あそこに見えるアイビーが壁を覆ってる建物があるでしょ。あれがリザン高等学院よ! 聡の母校なの。リザン高はこの辺り一帯の学校の最優秀者しか入れないのよ。まさか自分が高卒の人と結婚できるとは思わなかったわ」
「へぇ、高校が最高学府なんですね」
「タマミの世界は違ったの?」
「ええ、高校の上に大学があって、その上に大学院もありました。長い人は30歳近くまで学生をやってましたね」
「何それ?! いつ結婚したり仕事をしたりするの? そんな歳まで学生をやってたら、子育てができないし、お金を稼ぐこともできないじゃない」
おっしゃるとおりです。
日本は少子高齢化が進んでましたねぇ。それでも学校制度は一向に変わらなかったけど。
バーバラは早くに結婚をしたけれど、ずっと子どもができなかったそうだ。
それが30歳を過ぎて、長男ができると嘘のようにもう二人子どもを授かることができたのだとか。
遅くにできた子どもたちなので、余計に可愛いのだと話してくれた。
本当に子は宝、子は鎹なんだろうな。
船着き場に着き、珠美が馬車に乗った聡とバーバラに手を振ると、二人とも笑顔で手をふり返してくれた。
「珠美、今日はありがとう! 気をつけて帰ってねー」
初めて会った人たちなのに、ヘイじいさん夫婦のようにすぐに親しくなることができた。
いい出会いだったな。
エルフの船は珠美とペロルを乗せて、夕暮れの川面を滑るように走り出した。
珠美たちの気分に合わせるかのように、あまりスピードは出ていない。
少し肌寒くなってきた川風に吹かれながら、珠美は長かった今日一日のことを思い返していた。




