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春の軌跡はあなたとともに  作者: 真城 玲
第二章 出会い
7/23

6.好きの気持ちに嘘はない

 

「ただいま」


 普段の僕はこんなことは言わない。帰ったところで家には誰もいないからだ。でも、今日は違った。


「おかえり。今ちょうどお昼ご飯用意できたよ!」


 桜華さんの方が早く入学式が終わったらしく、先に家にいると連絡が入っていた。

 物心ついた時には両親ともに働いていて、家に帰るといつも一人だった。

 だから、こうして自分の帰りを迎えてくれる人がいることが嬉しかった。


「ありがとう。本当にいいタイミングだね」


「まあね。なんだか蓮くんが帰ってきそうな匂いがしたから!」


 桜華さんは手を仰ぎ匂いを嗅ぐジェスチャーをした。


「桜華さんの鼻の効き方って犬みたいだね」


 僕はハハッと冗談混じりに笑った。


「私は鼻も効くけど、何より気が効くんだよ」


 えっへん、と桜華さんは胸を軽くそらした。

 彼女が気が効くのは事実だけど、それを認めるのはなんだか癪に触るので、適当に流しておこう。


「はいはい、そうですね」


 僕はそう言って、テーブルの前に座った。


「じゃあ、ご飯でも食べながら今日の話でも聞かせてもらいましょうかね?」


 手をスリスリと擦りながら話す桜華さんは見た目に反して三十路過ぎのおじさんのように見えた。

 彼女が置いたご飯からは湯気が出ていて、いかにも熱そうだった。その中には僕が朝食べるはずだった物もあった。

 とりあえず、フーフーと冷ましながらご飯を食べ始めた。少し遅めのお昼ご飯だった。

 食べている途中、桜華さんに今日あった出来事を出来るだけ細かく話した。

 案の定遅刻しそうになったこと。でも、そのおかげで、桐崎翔悟というクラスメイトと話すことが出来たこと。自己紹介でいきなり目立ってしまったこと。

 最後のことなんて、僕にとっては最悪の出来事だった。でも、桜華さんはそれを聞くと「やったね!」と嬉しそうに大爆笑していた。


「へえー。初日から大変だったね。でも楽しそうで何よりだよ」


 桜華さんは「蓮くんの顔を見ればすぐわかる」と付け加えた。

 今日、楽しかったのは事実だ。でも、流石に顔にでるほど自分が楽しんでいたなんて、少し驚いた。


「おかげさまで、翔悟とは友達になれるかもしれないし」


 そこまで言って、いつのまにか桜華さんのお願いなんて関係なしに翔悟と友達になりたいと思っていたことに気がついた。


「桐崎翔悟くんか。面白そうな子だね。会ってみたいな」


 桜華さんは翔悟のことを想像してなのか嬉しそうに笑みを浮かべた。


「一週間っていうのは難しいかもしれないけど、絶対に会わせるよ」


 僕が桜華さんとの約束を守ろうとしていることに驚いたのか、彼女は惚けた顔をしていた。

 本当は翔悟と桜華さんが出会ってしまったら、似た者同士ということもあって僕にとって悪い化学変化が生まれるかもしれない。でも、それならそれでいい。

 きっと悪いことより良いことの方が多そうだから。


「…うん。約束だよ」


 そう返事した桜華さんの顔はなぜか悲しそうだった。

 また、この表情だ。もしかしたら、桜華さんは何かを抱えているのだろう。それこそ、僕にも言えないことを。だからこそ、彼女になんて言えば良いのかわからない。

 ただ、僕は桜華さんにこんな悲しい顔をしてほしくない。


「そういえば明日、翔悟とご飯食べに行くからお昼ごはんはどこかで食べておいでよ」


 どうすることも出来ない臆病な僕は、桜華さんのことに深入りせず話を変えた。それが良いことではないことはわかっているけど。

 迷っている僕を尻目に、僕が人とご飯に食べに行くのがよほど嬉しいのか、桜華さんはニコッと笑顔を見せた。その笑顔は、もう曇ってなどいなかった。


「蓮くんが友達とご飯ね。嬉しいはずなんだけど、親元を離れて行く気がして、ちゃっと寂しいな」


「へー、そうなんだ」


「なにその反応!もっとこう、僕の母親か!ってツッコミとかしてよ」


「生憎、僕の母さんはそんなこと絶対に言わないんだ」


 桜華さんが楽しそうにしていたので、僕も茶番に付き合う。

 彼女は「もー!」っと怒りながらも楽しそうにしていた。


「あと、もしよかったら明日の夜は外食しない?毎日ご飯作らせるのも悪いし」


 桜華さんの作るご飯は美味しい。でも最近の桜華さんは無理をしている気がする。


「私は別にいいんだけどな。まあ蓮くんが言うなら外食でいいよ」


「うん。じゃあこことかどうかな?」


 僕はスマートフォンの画面を桜華さんに見せた。

 画面に映っていたのはおしゃれな和食のお店だった。

 そこは引っ越す前、僕が勝手に一人で引っ越し祝いでもしようかと考えていた場所だった。

 桜華さんに再会したことで、結局行く機会をなくしていた。でも、前から気になっていたので諦めきれずにいた。だから、この期に是非行きたいと思った。


「わぁー!美味しそう!」


 桜華さんは目を輝かせて画面を見つめた。


「じゃあ、決まりだね」


「うん。あと、もし良かったら明日ちょっとだけ買い物に付き合ってよ。翔悟くんとご飯食べ終わってからでいいから」


「わかった。翔悟と別れたらまた連絡するよ」


 好きな女の子からの買い物の誘いを断れるほど、僕は変わった人間ではなかった。

 それからしばらくして、ご飯を食べ終え、買い物の用意をした。


「じゃあ、行くよ。忘れ物ない?」


 僕は机の上に置いてあった財布を手に取った。財布の中には、親から一人暮らし用にもらったお金がかなりの額入っているので布団を買うことくらいできるだろう。


「うん。大丈夫!出発進行!」


 桜華さんはいつも通り大きな声を出し、勢いよく玄関のドアを開けた。


「相変わらず元気だね」


 まるで、小さな子どもとを連れて出かける父親のような感想を抱いた。


「だって、楽しいんだもん。蓮くんと買い物だよ?デートだよ?カップルみたいでしょ」


 カップルという言葉に少し耳が痛くなる。桜華さんは昨日、僕を振ったということをもう忘れたのだろうか。


「楽しいって気持ちは同感だけど、そうやって人の傷口をナチュラルにえぐらないでくれる?」


 桜華さんは昨日のことを思い出したらしく「えへへ」と笑う。こちら側としては全くもって笑い事ではない。


「でもね…私が蓮くんのことを好きなのは本当だよ」


 突然、真面目な顔で彼女は告げた。


「だから、君はまたそうやってーー」


 僕をバカにする。そう言うつもりだった。でも桜華さんの顔は思っていた以上に真面目でそれを口にすることは憚られた。

 僕が桜華さんの意思を汲んだことを理解すると、彼女は優しく微笑んだ。


「私は、好きだから付き合うわけじゃないと思うんだ。」


 桜華さんの声は別段、力強かったわけではなかった。でも、形にすることができない内面の部分から彼女が何かを必死に伝えようとしていることがわかった。

 だから僕は、一言一句聞き逃さないように耳を傾けた。


「私は、今の蓮くんとの関係が好き。お互いがお互いを思っていられて、友達で、大好き同士でいる、今この関係がいいの」


 桜華さんは僕に言いたいことが伝わるように一語一語を大切そうに紡いでいく。


「だから、そんな今の関係を壊してまでも、恋人っていう関係にはなりたくないの。多分、これが今の私の最大限の幸せだから」


 桜華さんの言葉は語尾に向かうにつれて弱々しくなっていった。その発した言葉の全てを僕に、そして自分自身に言い聞かせている、そんな気がした。

 実際、桜華さんの話も理解できなくはなかった。友達でいた時は仲がよかったけど付き合ってみるとなんだか違う気がした。なんていうのはよく聞く話だ。


「こんなの私のただのわがままなんだけどね。そんなわがままに付き合ってくれる蓮くんはやっぱり優しいね!」


 弱々しい声の桜華さんは辛さの全てを吹き飛ばすよう笑った。

 きっと、彼女はいつも通りに笑えているつもりなのだろう。実際、たぶんいつもとなんら変わらないのかもしれない。でも、あんな声を聞いた後だとそんな笑顔ですら歪んで見えた。

 大切なことを話すときくらい、ずっと真剣にいてくれればいいのに。辛いなら、もっと泣いてくれればいいのに。

 でも、そうしないのはきっとまだ僕じゃ足りないからなのだろう。

 桜華さんのことを何も知らない僕だから言えること。彼女を元気付けられる一言を頭の中に思い浮かべようとした。

 でも、思い浮かんだその答えは結局一番シンプルなものだった。


「ねえ、やっぱり僕は桜華さんのことが好きだよ。大好きだ。」


 それは、付き合ってほしいとか昨日桜華さんに言った好きとは少しニュアンスが違った。大切だとか一緒にいてほしいだとか、そんな意味だった。

 彼女は僕の言葉を聞くと例のごとくあのアホヅラを披露して、ワッハッハ、と今までにないくらいに笑い出した。


「よく、そんなセリフを恥ずかし気もなく言えるね。」


 桜華さんは僕をバカにしているような、尊敬しているような、そんな絶妙なバランスで僕のことを笑っていた。そんな態度になんだか少しの苛立ちを覚える。


「でも、その…ありがと。」


 頬を朱に染めながら感謝の言葉なんて言われたら僕は何も言うことができなかった。

 こんな桜華さんを見ていると、もっと好きになってしまいそうだ。


「桜華さんも相当だったよ」


 だから、そんな揺れる気持ちを誤魔化すように桜華さんを茶化した。


「うぅ。そこを突かれると痛いところです」


 桜華さんはさっき自分の言ったことを思い出したのか、恥ずかしそうに頭を抱える。

 僕も桜華さんと同じようにさっきの自分の発言を振り返る。僕も恥ずかしくなり、桜華さんのように頭を抱えた。やはり、昨日振られた相手に対して、大好きとまでは言わなくてもよかったのかもしれない。

 頭が冷えてくるにつれて、徐々に恥ずかしさは増していった。


「ねえ、蓮くんにとっての幸せってなに?私が語ってあげたんだから蓮くんも教えてよね」


 気を取り直したのか、桜華さんはいつも通りの表情で僕に問いかけた。

 僕にとっての幸せ、そんなもの考えたこともなかった。高級なレストランで食事をすること?欲しかった物が手に入った時?何故だか、どれも幸せという言葉が似合いそうで似合わない。

 まず、幸せなんてそんな簡単に言ってもいいものなのだろうか?


「…うーん。正直、今の僕にはわからない」


 悩んだ挙句、こんな答えしか出すことが出来なかった。だって、桜華さんが僕に伝えた幸せもきっと彼女が生きていく中で、考え抜いて出した答えなのだろう。

 だとしたら、そんなことを考えたこともない僕が簡単に答えていいものではないはずだ。それに、今考えたような答えが本当の幸せなわけない。


「…そっか」


 桜華さんは少し肩を落とし、一言だけそう言った。


「でも、考えるよ」


 僕が、ただただ答えなかっただけではないのだと伝えたかった。


「ありがとう。いつか…絶対に聞かせてね」


 彼女はいつにも増して穏やかで優しい笑みを浮かべる。

 その、飾り気も偽りもない笑顔を見ると、まだ形すら見えていない僕なりの幸せすらも見つけだせる、そんな気がした。

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