13.温もりに包まれて
外に出ると、先程の雨は嘘のようにやんでいた。
翔悟達に相談したおかげか、随分と心が楽になった気がする。
ふぅ、と一つ大きな深呼吸をして玄関のドアを開ける。
まず、桜華さんになんて言おう、桜華さんはどんな顔をしているのだろうか。
考えることが全てネガティブで、せっかく楽になった心もまた、重くなっていた。
ガチャっとドアを開ける。そこでまず、違和感を感じた。
部屋は真っ暗だった。それに、急いで出て行ったから鍵などかけていないのに、玄関には鍵がかかっていた。
部屋を順番に回っていく。いない、いない、いない。
桜華さんの姿はどこにもなかった。
荷物は置いてあったから、おそらく少し家を出ただけだろう。もしかしたら、僕を探しに行ったのかもしれない。
どうしよう、そんなことも考えず、反射的に僕は家を出た。
走って、走って、そしてまた走った。街中の隅から隅までくまなく探した。
桜華さんの泣いている顔をもう見たくないから、彼女の笑顔がもう一度見たいから。だから、とにかく無我夢中で走った。
不意に、視線に一つの女の子の影が映った。
その女の子はヌシの近くのベンチで下を向いて座っていた。
ビショビショの服や髪、それだけで僕のことをどれだけ思ってくれているのかが理解できた。
「風邪引いちゃうから、早く帰ろう」
きっと、今はこんな言葉じゃなくて、ごめんなさいと言わなきゃいけないのだろう。
でも、顔を上げてようやく合ったその目がその顔がさっき僕そっくりで、だから翔悟達のようにしようと思った。
出来るだけ優しく、桜華さんのことを迎え入れるように。彼女を認め、全てを受け止めるように。
桜華さんは何も言わず、軽く頷いた。
「ごめんね。また迷惑かけちゃった」
桜華さんはベンチから立ち上がり、僕に頭を下げた。
また、目からは涙が流れていた。
「僕こそごめん。でも、いくらでも迷惑かけなよ。友達なんだから」
迷惑をかけて、時にはかけられて、そういうのがきっと友達なんだ。ついさっき、翔悟達にそれを教えてもらった。
「だから、仲直りしよ」
そっと、僕は桜華さんに手を伸ばした。彼女もその手をギュッと掴んだ。
「あと帰ったら、一つ聞いてほしい話があるんだ。」
桜華さんにもう一度会って、この涙を見て、僕は確信した。
やっぱり、彼女には知ってもらうべきだ。あの時の、あの絶望を。
「うん…」
桜華さんも僕が言いたいことを察したらしく、戸惑ったように、でも、どこか嬉しそうに返事をした。
何故か、彼女はまた涙を流した。
桜華さんのこの涙がただ悲しいだけの涙でないことを願いながら、僕らは手を繋いで帰路に着いた。
家に着くと、桜華さんにはシャワーを浴びてもらった。
あの雨の中、傘もささずに雨に打たれていたのだ。風邪を引いていてもおかしくはない。僕も他人のことは言えないけど。
桜華さんがシャワーを浴びている間、僕はもう一度考えた。
どこから話すべきなのか、どう伝えればわかってもらえるのか。
全てを話したら、僕らの距離は変わってしまうのだろうか。
結局、考えがまとまる前に桜華さんはシャワーを浴びて出てきた。
僕はお茶を入れ、机を挟んで彼女と向かい合うようにして座った。
小さな深呼吸をする。鼓動の乱れなのか、吐く息は少し途切れ途切れになっていた。
「ねえ、なんであんなにも執拗に中学生の頃のことを聞いてきたの?」
本題に入る前に、綾玲達と話していた仮定が真実なのかを確かめたかった。
「蓮くん気づいてないでしょ。」
この桜華さんの言い方からすると、おそらく綾玲の言う通り僕の変化に気づいたのだろう。僕自身、未だにどこが変わったのかわかっていないのに。
「蓮くん、目が変わったんだよ」
わからない、という顔をしていた僕に、彼女は答えを渡した。
でも、言われた所で自分の目が変わったかどうかなんてわからない。それこそ、メガネをつけ始めたくらいだ。
「小学生の時の蓮くんはね、人と関わることは嫌いって言ってたけど、この世界は希望であふれてるって感じの澄んだ目をしてたの」
桜華さんは真面目な顔で言っているが、僕にはさっぱりだ。希望も澄んだ目もわからない。
「でも、この前会った時は違ったの。だからすごい驚いた。本当に真逆の感情が溢れてたから。だから、一瞬誰かわからなかった」
桜華さんが以前言っていた誰かわからなかったとはそういう意味だったのか。
でも、桜華さんの言っていることは意味不明ではあったけど比較的に的を射ている。
やっぱり、彼女には敵わない。
「そっか。今まで気を遣わせてごめんね。じゃあ、遠回りしたけど、これから話すよ。」
あまり楽しい話じゃないけれど、と加え、僕は覚悟を決めて話し始めた。
忘れようとしたあの過去を、忘れられないあの暗く辛い、いくつもの傷の物語を。
僕が話している間、桜華さんは終始涙を流した。自分のことでもないのに。
「私は、蓮くんの味方だから…」
不意に投げかけられたその言葉に、涙が溢れ出してきた。
あの時、一番言って欲しかった言葉、誰も言ってくれなかったその言葉を桜華さんが言ってくれた。
それだけでも、涙が溢れるには充分過ぎた。
ああ、やっと分かった。
あの時、誠哉を許せなかったのは、僕の思い描く友達は、春風桜華という人間はいじめなんて絶対にしないからだったんだ。
なんだかスッキリとした気持ちになった。
涙は止まらない。でも、この涙は悲しかったり、痛かったりした時の涙なんかではない。
自分のことを心のそこから受け入れてもらえたこと、自分がここにいてもいいと言ってもらえること、それが嬉しくて、嬉しくて涙が止まらなかった。
スッと、桜華さんの手が僕の背中に回った。包み込まれるような暖かさだった。
「今度は私が、蓮くんの涙が止まるまでこうしてあげるから。だから、好きなだけ泣いて」
耳元から聞こえる桜華さんの優しい声が、言葉が、身体の芯にまで伝わってきた。止まりそうだった涙が、また溢れてくる。
「ごめん。それと、ありがとう。」
僕は一言だけ桜華さんにそう言って、もう一度泣いた。彼女の温もりに包まれながら。
結局、その日は夜通し泣いた。産まれたての赤子のように。
読んでいただきありがとうございました。
三章もこれにて終了です。いよいよ物語終盤に入ってきました。
ここからも盛り上げていくつもりなのでこれからもよろしくお願いします。
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