急
小峠優矢がその仕事を言い付けられたのは、終業時間5分前の事だった。今日帰ったら、昨日ネットレンタルを開始したアクション映画を肴に発泡酒でも飲もうかと、いそいそと書類の片付けをしていた最中、ソレはやってきた。
「……汀……課長……」
「おう、小峠、給料稼ぎたくないか? 稼ぎたいよなぁ?」
脳天から出ているんじゃないかと思う、甘ったるい猫なで声で優矢に語り掛けて来たのは汀加奈子……優矢の直属の上司にして時空管理局第12辺境管理課の課長で有った。
優矢の勤める時空管理局は、文字通り時空を管理する組織である。彼の暮らしているセントラルディメイションは最も安定した……時空の主軸となる次元世界であり、最も最初に多次元移送の方法を確立した次元世界であった。
異次元と多次元は厳密には違う。異次元とは、文字通り“全く異なった次元世界”の事であり、上方位、下方位合わせても全く繋がる事の無い別の時空である。
それとは別に多次元とは、所謂“IF世界”を含めた今時空における“可能性の分岐”の世界であり、これは上方位次元においては同一の世界であったりする。
細かい事は長くなるため割愛するが、上方位次元とは、純粋な意識世界と捉えて貰えても構わないかもしれない。
多次元移送とは、この上方位次元に干渉し、別の次元に今次元の自分が“そこに居る”と言う情報を送り込む事であり、つまり“もしもこの場に自分が居たら”と言うIF世界を創る技術であった。
もっとも、大した差異が無い次元を創ると言う事は出来ない上、確定ポイントととも呼べる出来事は覆す事は出来ないらしいことが分かって居る。
それは兎も角、この日、優矢が呼び止められたのは、この多次元世界の一つであり、No.12と名付けられた辺境時空からの救援信号が確認された為だった。
多次元は、このセントラルディメイションより遠ければ遠い程、その次元の世界観は乖離し、全くの“別物”と言って良い様相を呈している。
No.12は、その中で所謂ファンタジー的な世界観を持つ次元世界であった。
「……時空犯罪者……ですか?」
「だな。まぁ、小悪党さね、ちょちょっと行って捕まえてこいや」
あまりにもあっさりと言う加奈子に優矢は溜息を吐く。次元移送の方法が確立されてから随分と時間が経っている事も有り、その中には非合法な方法で次元を渡り、好き勝手をする者も居る。
次元分岐は大きな行動一つで行われはするが、その時に大量の【ポシビリティー】と呼ばれるエネルギーを放出する。
ポシビリティーはその次元成長に必要なエネルギーであり、逆にこのポシビリティーを使う事によって“望んだ結果”を作り出す事が出来る。
例えば、受験生が居たとしよう。そんな彼が「合格したい」思った時にポシビリティーを使い、突然「合格している」と言う結果を作り出す事も出来る。要はポシビリティーを使う事によって経過を経ずに結果だけを作り出す事が出来るのだ。
先に言った通り、このポシビリティーは次元が分岐する時に生まれるエネルギーである。この、次元分岐が行われた直後にその世界が滅亡したとしたら、この発生したポシビリティーはどうなるか?
これが、何もしないままであれば時空に溶け込み、新たな分岐が生まれるまでプールされる事に成るのだが、しかし、これをその時に回収すれば望んだ時に使用出来る様に成る。
それに目を付けたのが時空犯罪者であった。
要は「辺境の時空を刈り取って自分が豪遊する為に使おう」と言うのである。もっとも、それ以外にも、「辺境で自分好みの多次元ハーレムを作るんだ」等と言う馬鹿も居るのだが……
どちらにせよ迷惑この上ない話であった。
ポシビリティーは可能性のエネルギーであり、その次元に住んでいる者達自身が分岐を促すほどの“事件”を起こさない限り新たに発生しない。
つまりは外部からの干渉では新たなポシビリティーは発生しないのである。要するに外部からの干渉によって滅亡した場合、確かにポシビリティーは得られるかもしれないが、しかし現存するポシビリティーの量は増えず、消費され損と成るのだ。
過去の研究で、ポシビリティーが枯渇した場合、その時空はゆっくりと停止してしまうと言う研究結果が出ている。
その為、次元の刈り取り行為は厳重に取り締まられているのであった。
(まったく、面倒だからって都合よく押し付けてくれるよ……)
「なんだ? 不満か? そう言えば、経理課の課長が雑用の新人を欲しがってたっけか?」
「……行きます! 行かせてください!!」
「よし! それでこそ私の部下だ!! 上手くやんなよ?」
終業5分前となって押し付けられた仕事に、優矢は溜息を吐きながらも渋々向かうのだった。
救難信号……勇者召喚要請は、No.12辺境に於いてポピュラーなSOS信号だった。これら勇者召喚は、時空管理局が伝承と言う形でNo.12辺境系に施した救助要請であり、何か、この辺境系の中だけ処理できない事態に陥った場合に使用されるシグナルなのだ。
「綾坂さん、どんな感じ?」
「間違いないね、まぁ、小悪党なのは確かだけど、こっちから行った馬鹿の仕業だね」
オペレータールームの綾坂 時音がそう言った。優矢は次元移送装備に身を包むと、移送装置【クロノス】のカプセルベッドに横たわった。
「んじゃ、移送するよ? ポシビリティーは十分持った? 忘れ物は無い?」
「オールグリーンだよ……ほかに何か?」
「何か、生命エネルギーが付きかけてる娘が召喚陣の床に居るみたいだから、優しくしたげて」
「……伝承が正しく伝わってないんじゃねーのか?」
「かもね……じゃ、頑張って~!!」
「はいよ」
そう、優矢が返事をするかしないかのタイミングで時音がセーフティーを解除し、移送プログラムをリリースする。と、優矢の眼前が一瞬暗転し、その次の瞬間には彼の意識は救難要請のあった次元へと移送が終わっていた。
眼前には三人の少女が薄布を身に付けた姿で倒れている。おそらく、召喚の儀式を行った為だろうと思われた。
本来であれば、召喚陣を定期的にメンテナンスし、神霊力……この世界で言う魔力を常にプールしておけば、承認された霊質形状を持つ適合者が召喚呪文を唱えるだけで、瞬時に救難要請がセントラルディメイションの時空管理局まで届くはずなのだが……おそらく、そのプールされて居るべき神霊力をこの場の三人の娘達だけで賄った為、昏倒してしまったのだろう。
その事に多少眉間に皴を寄せるが、しかし、直ぐに優矢は時空間記録を読むと「フム」と、呟いた。
時空間記録にあるのは確かにセントラルディメイションの犯罪者が、この次元にちょっかいを掛けたと言う記録であり滅亡しつつあるこの世界からポシビリティーをちょろまかしていると言う証拠であった。
優矢は、自分の腕に着けてあるポシビリティーゲイジに目を落とすと、その残量を確認し、全てを解決する為に元凶であるチンピラ……この世界に顕現した邪神の元に移動したのだった。
「ぷげりゃえらりえれえろぉぉぉ……」
優矢が躊躇なくその男の腹部を蹴り飛ばす。謎の呻き声を吐きながら吹き飛んだその男は、すでに蹴り跡の無い位にまんべんなく優矢に蹴られまくっていた。
「あーもう!! 見栄だか何だか、こんなにポシビリティーを使い込みやがって! 何なんだよお前は!!」
苛立ちながら優矢がそう言った。魔族の裏で邪神として糸を引いていた男は犯罪組織でも三下の男だった。曰く「上の者に言われて仕方なく」「借金があったんです!!」「手持ちのポシビリティーが無かったんですぅ!!」等と言い訳を繰り返していた。
何でも余所の犯罪組織との取引に使うポシビリティーをちょろまかしたのがバレ、しかもそれを補填する為に更にちょろまかした分を闇賭博で増やそうとしたが失敗し、どうしようもなくなって辺境に手を伸ばしたのだと言う。
(……本当にチンピラじゃないか!!)
人類が滅亡しかけている上、魔素放出装置などと言う物を稼働させた為、魔素汚染のために魔族ですら奇形でまともに生まれなくなるだろう。
この次元を滅亡させる為なのだから当たり前なのかもしれないが、しかし最悪なのは、このチンピラが、すでにこの次元で発生したポシビリティーを使い込んで居た事だった。
滅亡へのカウントダウンが始まっているこの次元は既にポシビリティーの回収が可能な状態だったのだが、しかし、このチンピラ、邪神として崇められる事に気分を良くし、手持ちのポシビリティーを使って“奇跡”の大盤振る舞いをしたのである。
その為、滅亡させる計画の為に必要なポシビリティーが無くなり、この世界のポシビリティーにまで手を付けていたのである。
このままでは世界の滅亡を止めた所で、次元存続の為のポシビリティーすら足りなくなる。
「……仕方が無い……最後の手段か……」
そう言って優矢は大きく溜息を吐く。この次元を再生するのではなく、分岐点を見極めそこから派生している僅かな可能性の世界「魔族大進行が起こらなかった世界」へ、この次元世界のポシビリティーを注ぎ込み、次元をシフトさせる。
ただし、この方法では優矢の持つポシビリティーも使う事に成り、事後的な消費備品の申請書類が面倒に成る上、備品課のお局様の小言が煩くなるのだ。
だが、それでも、今生きる人達に代えられる物では無い……そう思い、優矢は覚悟を決めた。
「亡くなってる人の意識はアーカイブの方にあるから、説明は不要かな?」
シフトした為に死んで無かった事に成る人達への説明は良いとして、今生きている人達への説明が面倒だなぁ……等と思いながら、優矢は邪神、それと魔王を拘束すると、次元シフトの為の操作を開始したのだった。