破
「何だと言うのだ……」
玉座に腰を掛け、国王は呆然と呟いた。
その国王の目の前に居るのは先程召喚された勇者であり、その勇者の手に持った鎖の先には、顔をパンパンに腫らした壮年の魔族の男と、妙齢の魔族らしき女が繋がれている。
「まぁ! その方々が、魔王なのですか?」
「……いや、どちらか片方だろう? しかし、どちらだとしても思っていたより、貧相な魔族だな……」
「此奴等の所為で、我々は……」
最初に質問したのは、勇者召喚で死んだばかりの王女。その横で忌々しげに眉根を寄せている二人の青年は、戦死した王子達である。
結果から言えば、勇者召喚は成功した。王女達が、その命を懸けたのだ、成功してもらわなければ立つ瀬もない所だ。
問題……と、言って良いのかどうなのか……召喚された勇者は周りを見渡すと「フム」と呟き、突然その場から消えたのである。
これには、王も家臣達も大いに慌てた。当たり前だろう、最後の希望として行った勇者召喚の、その勇者が忽然と消えてしまったのだ。
だが、その後起こった事は、国王には正しく認識できる物では無かった。突如として消えた勇者は、また唐突に目の前に現れたのである。
時間としては100も数える間の事だった。当然それだけであれば、国王もここまで困惑などしなかっただろう。
再び勇者が現れた時……その時、文字通り世界が一変したのだ。
召喚儀式を行っていた筈の自分達は、いつの間にか謁見の間へと移動して居り、ましてや、自分の隣には死んだ筈の王子王女達が同じ様に玉座へと腰を掛けている。
見れば、人が少なくなり、やや荒れていた城内も埃一つ無い程に掃除され、その床や壁なども磨き上げられ、照明等も煌々と灯っていた。
それどころか、やはり魔王軍の襲撃により亡くなった家臣や親衛隊、城付きのメイドまでもがその場には参列して居る。
そして、目の前の勇者。彼の手には二人の魔族と思しき者が繋がれているのだ。先程、王子達が言っていたことが本当であるなら、それは魔王であると言う。
(な、何が起こっているのだ!?)
国王の中には今、大量の疑問符と困惑が混在して居たのである。
「……男の方は違うよ? こいつは邪神、今回の黒幕って事かな? 女の方が魔王……ある意味、コイツも被害者ではあるけど、やらかしちゃった事は確かだし一応連れて来た……こう言う事は、本人達で話した方が良いだろ? 各国の首脳陣も必要なら連れて来るけど……どうする?」
勇者が邪神と呼んだ男を蹴りながらそんな事を言った。と、第一王子が「どうしますか? 父上……」と、訊ねて来た……のだが……しかし国王は、何が何だかわからず、困惑の度合いを深めただけだった。
「うん? あー説明して無かったっけ? えっと、そうだな……つまり“なかった事にした”んだ……」
困惑する国王の顔を見た勇者は「ああ」と呟くとそう言った。その勇者の説明に国王は一言だけ口を開く。
「成程……わからん……」
困惑の度合いを深める国王とは対照的に、王子や王女達は仔細承知と言った様子で、むしろ何が分からないのか分からないと言った様に見える。
しかし国王が家臣の方へと視線を遣ると、国王と同じ様に困惑の面持ちの者も数多く居る。見れば宰相もその一人の様であり、国王と視線が合うと「自分にも何が何だか」と言った様に首を傾げて見せた。
そしてその時、国王は唐突に悟った。
(困惑している者達は、あの時最後まで生き残っていた者達では無いか!)
そう気が付き改めて周囲を見回してみれば、成程、納得している表情の者達は、あの戦乱で亡くなった者ばかりである。
それがどう言った理由なのかは知らない。しかし先程の「無かった事にした」と言う勇者の発言と併せて考えてみると、つまりは「この戦争が“無かった”」事に成ったのではないか? と予想が付いた。
だが、だからと言って、その事が納得も理解も出来る類の話では無いのであるが……
国王はコホンと咳払いをすると、威厳を乗せた声色で再び勇者へと訊ねる。
「……つまり、何だ、この戦争そのものを無かった事にした……そなたはそう言うのであるか?」
「あー、はい。そんな所です……まぁ、正確には“起こらなかったら”と言う可能性の世界にシフトさせた……と言うのが正しいんだろうけど……だから、一旦王子達が死んだのも確かだし、この世界に移ったとしても、向こうで寿命を迎えた人とかはこっちに来てないんだけどね」
「そうであるか……」
(うむ、全くわからん)
頷いては見る物の、国王の理解の範疇など軽く超えた話であり、その意味する事など一切分からなかった。だが、王子や王女にはそれで理解できるらしく「確かに」とか「だからか」等と言った言葉が聞こえる。
「この馬鹿がポシビリティーを使い込んで居なければ、最初からやり直す事も出来たんだろうけど、残った分で出来る事が座標シフト位だったからね、その辺は勘弁してもらいたいかな……」
邪神と言われた壮年の魔族を更に蹴りながら、勇者がそう言う。邪神は勇者を忌々しそうに睨みながらも下唇を噛んでそれに耐えている様だった。
「して、勇者殿」
「何です?」
「邪神……と、魔王と言う事ですが……それは?」
気になった為、国王が勇者に訊ねる。魔王は何とか理解は出来る。襲って来た魔王軍の王の事であろう。女王である事には多少驚きは有ったが、それでも魔族で有り、見た所豪奢なマントを羽織っている事を考えれば、分からなくも無い。
しかし、問題は邪神である。邪なる神、魔族の崇める神……上半身裸で、ズボンもズタボロであり、辛うじて局部を隠しているだけの様な状態の魔族の男を指して“邪神”と言われても、あまりにもピンと来ない。
よくよく見れば、両目に青タンが有る上に鼻血の跡が見え、それどころか側頭部……コメカミの場所に角だった物の残骸が残っている。
余程こっぴどくやられたらしい事は理解出来るが、しかし、この姿を見て邪神と言われても納得など出来なかった。
「うん、邪神、今回魔族に『人間を全て血祭りに上げろ』とかって馬鹿言った張本人と、それを真に受けて侵攻した阿呆な女魔王」
勇者はそう言った。
「この邪神は俺と同じセントラルディメイション……まぁ、上の世界から来たんだけど、向こうの世界で手持ちのポシビリティーを賭けでスっちゃったらしくてさ、こうして、こっちの世界まで来て、それを稼ごうとかしたんだ」
国王の横に居た王子や王女が「酷い!」とか「何て奴だ!」と憤る。もちろん国王には何が何やらさっぱり分からなかったのだが、しかしそれでも聞き逃せない言葉がそこにあった。
「ちょっと待って下さい! 勇者殿と邪神は同じ世界から来たと?」
「うん、そう……まぁ、俺は時空管理局の……役所の人間で、コイツはチンピラだけどね」
国王は浮かしかけていた腰を力なく落とし、惚けた様に息を吐く。その話が本当なら――本当であるのだろうが――勇者は神の国から来た……と言う事に成る。
だとするなら……
「ゆ、勇者殿は神使であらせられるのか!?」
そう思い至り、国王は慌てて檀上より駆け降りると、勇者改め神使の足元に膝を着く。その姿に周囲の家臣は慌てる……が、しかし、神使であるとすれば、それも致し方ない事だろう。
なにせ相手は神の使いなのだ。今しがた見せた力の一つを取って見せても、唯人に抗う術など無いのである。
そんな国王の手を取り立たせたのは王子達だった。
「お、お前たち?」
「父上、立って下さい。勇者殿が困っておられるでしょう?」
「ああ、兄上の言う通りだ、勇者殿は殊更そう言った、遜られる事はお好きではないそうだ」
「何……だと?」
まるで、既に話をしているかのような王子達の言葉に、国王は唖然とした表情を浮かべる。神使である勇者の方を見れば、彼は少し困ったかの様な表情で苦笑していた。
その表情から、王子達の言っている事は本当なのだろうと国王は直感する。
「まぁ、そう言う事です」
フッと笑みを浮かべると、勇者はそう言ったのだった。