待ち続けの街
賑やかな池袋の、少し静かな夜の公園。
前を歩く、男の子と形容したくなる彼氏の後ろを半歩離れて歩いている彼女と思わしき女性。
これが、周りからみた私達なのだろう。
このままではダメだ。
私は立ち止まり、ずっと考えていた言葉を吐き出した。
「スグルくん……ごめんなさい。別れましょう」
頭を下げると同時に、さらりと髪が横で流れる。
顔の横で揺れている髪の毛からは、シャンプーの匂いが仄かに香った。
「長崎先輩、止めてください……そんな……」
慌てたようなスグルくんの声がした。
ここは駅に程近い公園だ。
いくら夜だと言っても、人目は多い。
そんな中で、私は彼に向かって頭を下げている。
二十代女性が、同じく二十代の男性に向かって、だ。
注目が集まってしまうのは想定済み。
スグルくんはきっと、困ったように顔をゆがめているのだろう。
……スグルくんを苦しめているのは、他ならぬ私だ。
「本当に、ごめんなさい……」
スグルくんは、悪くない。
私が、悪い。だから、謝る。
体裁なんて、知らない。
謝らなければいけないから、謝る。
……ただ、それだけだった。
「……お願いです、先輩。顔を…あげてください」
苦しそうな声を出すスグルくん。
申し訳ない思いでいっぱいになり、ゆっくりと顔をあげた。
スグルくんは……今にも泣き出しそうな顔をしていた。
「……長崎先輩。別れようって…どういうことですか?」
「言葉の意味、そのままだよ。
……スグルくんとは、付き合えない」
……スグルくんと私が付き合い始めたのは、たった二週間前のことだった。
『長崎先輩、僕と……僕と、お付き合いしてください』
告白は、スグルくんの方からだった。
会社に勤めていて、初めてできた私の後輩。
嬉しくて、優しく……時には厳しく面倒をみた。
スグルくんは、子犬みたいに懐いてくれた。
いつも、さりげなく私の心配をしてくれていた、心優しい男の子。
『……スグルくん。
私、スグルくんのこと、そういう対象に見れない。
ただの…大事な後輩にしか、思えないの』
『それでも、いいです。
僕に、チャンスをください。お願いします……っ!』
必死に頭をさげて、頼み込んでくるスグルくんに……気づけば、私は首を縦に振ってしまっていた。
『あ、ありがとうございます、先輩!
僕…僕、絶対先輩のこと幸せにしますから!』
目をきらきらとさせて喜んでいるスグルくんを見ていたら
「ごめん、やっぱりさっきのは無しで」
なんて、言えなかったのだ。
「……あの時、ちゃんと断っていれば…スグルくんは、傷つかないで済んだよね。
ごめんね」
スグルくんは、ただ俯いた。
「長崎先輩、教えてください。
……どうして、僕じゃダメなんですか?」
私は……答えられなかった。
自分の口から言うことが、怖かった。
「秋斗さんじゃないから……ですか?」
秋斗……あきと。
私が愛した、この世で一番、大切だった、人。
「何で……秋斗のこと……」
秋斗と別れたのはスグルくんの入社前だ。
『長崎が四年間付き合っていた彼氏と別れた』
という話は、当時は会社内でも流行ったが、秋斗の名前まで知っている人は限られている。
ということは……。
「遠山先輩に、聞きました」
遠山二葉。色々と相談を持ちかけていた、大学からの友人でもあり、同僚でもある彼女だった。
悩むスグルくんを、黙って見ていられなかったのだろう。
彼女を責めることは、できなかった。
「もう、別れてから二年も経つんですよね?
それでも……無理なんですか?」
真っ直ぐな言葉は、真っ直ぐに突き刺さり、痛かった。
「ごめんね。無理なの。忘れられないの。
スグルくんは、何も悪くないよ。私が……ごめんなさい」
涙腺が緩んできてしまっているのを感じた。
泣きたいのはきっと、スグルくんの方だ。
ここで私が泣くのは、ずるい。
「……どうしても、ダメなんですか?」
絞り出すように吐き出された言葉に、私は頷いた。
「今日、デートしていて、思い知らされたの。自分の、秋斗への思いを。
隣にいるのはスグルくんなのに、何度も『秋斗』って名前を呼びそうになった。
こうして、スグルくんに謝っている間も、私は秋斗のことを考えてる。
……最低だよね」
まるで学生に戻ったかのような池袋デート。
秋斗と巡った場所とは全く違ったデートスポットを意図して巡った。
でも、無理だった。
いくら『長崎先輩』と呼びかけられても、ダメだった。
私の思考は『春乃』って、名前で呼んでくれた彼に奪われた。
彼の笑顔ばかりが、脳内に浮かんでは消えたのだ。
……失礼極まりない。
デートで隣を歩いているだけでこれなのだから、きっとこのまま続けても、私は変わることなど無いだろう。
例え、スグルくんに抱かれたとしても、私は秋斗のことを……。
思考回路を断ち切って、真っ直ぐにスグルくんの目を見つめる。
「私なんかにスグルくんは勿体無い。
もっと可愛くて、優しい子と幸せになって」
本心だった。
スグルくんは、大事な後輩だ。
幸せになって欲しいと願うのは当然のことだった。
「……最後の最後まで、冷たくて優しいんですね、先輩は」
どこかで聞いたことのあるフレーズに、冷水を浴びせられたような感覚に陥った。
確かな既視感を感じた。
「さようなら、長崎先輩。
……帰り道、お気をつけて」
スグルくんはそう言うと、私に背を向けて歩き始めた。
駅に向かって、真っ直ぐに。
「最後まで……私の心配、してくれるなんて。
……そんな子を振るなんて……私、最低だ」
倒れ込むようにして、近くにあったベンチに深く腰掛けた。
気がつけば、時刻は午前零時をまわっていた。
「最後の最後まで……か」
ぽつりと呟いた。
秋斗。別れ話。さっきの言葉。
……あの時の風景が、自然と思い出された。
秋斗と別れた、あの日のことを。
そう。あの日は、山手線に乗っていたんだ。
電車に揺られて、秋斗とたわいもない話をして……やっと、言葉を絞り出したんだ。
『……ねぇ。考え直してはくれないんだよね、あの話』
そう。こんな言葉を。
事の起こりは……その日の数週間。
……いや、数ヶ月前だっただろうか?
ブラジルに研修に行くことが決まった秋斗は、私に別れを切り出したのだ。
『何日も、何日も考えたけれど、やっぱり僕たちは……こうするしか、ないんだと思う』
『……うん』
この時の私は、頷くことしかできなかった。
……いや、反論を唱えることならできたはずだったし、しようともした。
でも、彼の話を聞いていて、それさえもする気力が失われていったのだ。
彼に、これ以上は何を言っても伝わらない。
反論なんてしても無駄。頷くことしかできないんだって。
そして……私は……。
「泣いたんだ」
泣きながら、訴えた。
自分は別れたくないんだって。
反論は無理でも、何とかしたかった。
思いだけ、分かってほしかった……。
必死に伝えようとした言葉は……忘れてしまった。
けれど、その後に秋斗が投げかけてきた言葉だけは……しっかりと、焼き付いていた。
『永遠の別れって訳じゃない。いつか僕がこの東京に帰ってきたら、また会えるんだ。だから、今は僕のことは忘れてよ。君は君の幸せを、探すといいよ』
こう言った彼は、研修が終わった今でも連絡をよこさない。
この時、彼は確かに私を手放したのだ。
そして、必死に首を振って思いを訴えた私に、追い討ちをかけた。
『何も僕だけが、君を幸せに出来るんじゃないよ。君は可愛いし、ここにはたくさんの男性がいるさ』
前から、私に他に好きな相手ができたら身を引くと、真面目に言っていた秋斗。
私は、そんな秋斗が嫌いだった。
取り戻してみせる、と。
そう言って欲しかったのだ。
そう。この時も。
……けれど彼は……この時、私を絶望させた。
『君ならきっと、理想の人に出会えるよ』
何を言っても無駄、なのだと、私は思い知らされた。
そして、無理矢理に笑顔を作って、こう言ったんだ。
『――最後の最後まて、冷たくて優しいんだね。君は……』
私なりの皮肉だった。
「スグルくんには、悪い事しちゃったな」
まさか、昔の自分と同じ台詞を言われるとは思ってもみなかった。
スグルくんが何を思って、あの台詞を吐いたのかは分からなかった。
「きっと、秋斗も分からなかったよね」
分かろうともしなかった、の間違いだったかもしれないけれど……。
思いは、いくら伝えようとしても、相手が受取ろうとしない限りは伝わらないのだから。
「どうして……すれ違っちゃったんだろう」
一緒に居たい。特別じゃなくてもいい。
例え、隣にいることが叶わなかったとしても、繋がりが欲しい。
「手放して……欲しくなかったんだよ、秋斗……」
繋がりさえあれば、気持ちさえ途切れなければ、恋は続いていく。
私は、そう信じていたし、彼は、信じられなかったのだ。
だから、私の口から出た言葉は響かなかった。
今、思い返してみれば、ただ……それだけのことだったのだろう。
『私の事は引き摺らないで』
嘘。
あっさり手放して、忘れられるなんて嫌だった。
『私は、待ってるよ。君がここへ帰ってきてくれるのを、いつまでも待ってるから。君が何て言おうが絶対に、忘れたりなんかしないから』
本当。
今だって、待ってる。
……でも、スグルくんと付き合ってしまった。
たった二週間でも、裏切りには違いない。
だからきっと、私から秋斗に連絡をとることはない。
でも……だからこそ。
「秋斗……あきとぉ……」
泣きながら願う。
彼が、私をいつかまた、抱き締めてくれる日がくることを。
名前を呼んで、笑いかけてくれる日がくることを。
ボロボロと涙をこぼしながら携帯を取り出す。
時刻は零時35分。
30分以上の時が経過していた。
何故だか、余計に泣けてきてしまって、祈るようにして携帯を握りしめる。
もしも魔法が使えたら。
私は当たり前だったあの頃の幸せを願うだろう。
もう一度……一緒に……っ
突然、曲が流れた。
私の手の中にある、携帯電話から。
「カノン……?」
この曲に設定してある相手は、一人だけ。
二年間音信不通だったのに……嘘でしょう?
震える手で携帯を開く。
画面に浮かぶ、『着信中』の文字。
通話ボタンを押す。
「秋斗……遅いよ、ばか」
すっかり赤くなってしまった目をこすりながら、私は声を絞り出した。
この物語は、フィクションです。




