オヒナダ様
君は変質者に出くわしたことはあるか?
ない? まあそうだろうな。君は男だし強そうな顔をしている。君が小学生だったとしても君を狙う理由はあまりなさそうだ。おっと怒らないで、馬鹿にしているわけじゃない、君が勇ましいと言っているんだ。
さて、私も変質者に遭ったことはないんだが……見た目も家もいい方だと自負はしているが……。
そもそも変質者の定義って、君はなんだと思う? 不審な態度を取ること? 不細工? 子供に声をかけたら? 車に乗せたら? 手を繋いだら? 嫌がることをしたら?
意地悪な質問だったかな? 変質者というのはわいせつ物陳列なり誘拐なり犯罪者と同義であるが、街中で普通でもコスプレなんかしていたら不審だと思われるだろう。つまり犯罪者より敷居の低い変な人が不審者とか変質者と言われる存在なのだと思う。
それで、私は変質者か変質者じゃないか凄くきわどい存在に出会ったんだ、その話をさせてもらうよ。
あれは私が小学三年生の時、私がまだごく普通の思考をする女子だった時のことだ。
当時クラスでは『オヒナダ様』という、まあこっくりさんの亜種のようなものが流行っていたんだ。
こっくりさんは知っているか? まず、はい、いいえ、神社のマーク、そして五十音全てと濁点と半濁点を書いた紙を用意するんだ。
次に神社のところに十円玉を置き、数人でそれを指一本で支えて呪文を唱え知りたいことを言う、お決まりの呪文もあってな、オヒナダ様の場合は「オヒナダ様、オヒナダ様、お教えください」と言う。
すると誰が動かすわけでもなく十円玉がすっと動いて、文字を示し、その知りたいことを教えてくれる、というものだ。
こっくりさんは狐の幽霊を呼び出すとかお稲荷様、つまり神様を呼び出すなんてあったが、オヒナダ様が何かは今もよくわからないな。たぶんおひな様にかかっていたんだと思うが……。
それと変質者に何の関係があるかって? それはもう少し待ってくれ。
こういう都市伝説というのは、えてして噂が独り歩きするものでね。知りたいことを教えてくれる名目だったのに、私達がそれをした時には願い事が叶う、と誇張されていたんだ。
そんな都合の良い話があるわけない、というのは当時も思っていたさ。けれど危険があるが、それでも願いが叶うかもしれない、というのは子供特有の冒険心をどうにもくすぐられてね、大した願いもなくお金だけ望んだよ。
……お金に対してツッコミを入れることはないだろう? 欲しいものも超自然的な願いもなかったのだ、とりあえず我が家は貧しかったからな、堅実にお金を祈ったのさ。
さてここからが本番なんだが、その時にオヒナダ様をしたのは苅沢美也と剣凪誠の二人と三人でやったんだ。
美也はよくクラスの中心で騒ぐような明るい女子で、オヒナダ様を私達に誘い掛けたのも彼女だった。彼女には取り巻きがいるからその子達とすると思ったんだが、と私は少し疑っていたよ。
誠は名前の通り男子のような格好をよくしていたが、性格はおとなしくてクラスではよく一人でいたよ。けれどオヒナダ様をすると私が誘われた時は珍しく自分から積極的に参加を申し出ていた。
おとなしい子と派手な子と私、そんな変な組み合わせでオヒナダ様が始まったんだ。
三人で十円玉に人差し指を一本ずつ載せて「オヒナダ様、オヒナダ様、お願いします」と、やはり本来とは違う呪文で私は金をくださいと願ったのさ。
するとどうだ、十円玉が「いいえ」の方に移動したんだ。
信じられるか? 確かに十円玉がひとりでに動いたんだ。他の二人の驚いた顔を見れば、私にだって分かる。
オヒナダ様の信憑性が私の中で上がったと同時にガッカリしたよ。お金くれないんだからな。
私はその結果が出てから二人の顔を交互に見たよ。やはり怖いという思いが強かったからな。けれどお金をくれないと言われて現実を見せられたからデメリットはないだろうと、心のどこかでは安心していたがね。
誠は今にも泣きそうな顔で私以上にきょろきょろしていたよ。けれどそれは続行か中止を決めるためで、決して指を離そうとしなかった。
そして美也は意を決した顔で言った。
「オヒナダ様、オヒナダ様、お願いします! 友達をみんな消してください!」
私も誠もとても驚いたよ。普段クラスの中心にいて楽しそうな美也が、そんな恐ろしいことを神頼みでも願うのだから。
誠を私は顔を見合わせて、けれど指が勝手に動くのを感じてすぐに十円玉に目を戻したんだ。
動いた、ということはつまり「いいえ」から動いたんだよ『はい』の方に。
この時は美也も一瞬おぞましいものを見る顔になったが、美也の顔はすぐに恐ろしい笑顔になったよ。
美也がやった、やった、と言って喜んでいる中で私は恐ろしくなって指を離しかけたが、次の誠の言葉で正気に戻ったよ。
「オヒナダ様、オヒナダ様、私を……クラスのみんなと友達にしてください!!」
誠の声は美也をはっとさせるほど大きかった。
美也がきっ、と睨むと誠は萎縮したようだったけれど、すぐに十円玉がその場でカタカタ震えだして三人一緒に指を離してしまったんだ。
そして三人で動きを止めた十円玉を見た後、顔を見合したよ。
あの十円玉の動きはきっと「はい」を表しているんだろう、って納得し合いながらね。
そして美也が金切声をあげたんだ。
「ちょっと誠! なんであんなお願いするの!? 私のお願いが上書きされちゃったらどうするの!」
「だ、だって……」
誠は友達がいないことをきっと重く気にしていたんだろう。けれど美也は友達が多くて、そのために人間関係で辛い思いをしていたんだろう。そんな二人の願いが真っ向からぶつかったわけだ。
しかもオヒナダ様はどちらの願いも受け入れてしまった。私が怖いのは友達を『消す』というのがどういうことか、だ。
ただ友達じゃなくなる、というのなら良いが、もし死ぬなんてことになったら……ゾッとするだろう?
その場ではみんな恐ろしくなってしまって帰ったんだ。私は美也と友達というほど話したことがなかったから平気だったが、次の日の学校を見てちょっと驚いたよ。
なんにもなっていないんだ。みんな登校してきて、美也が友達の顔を見て驚いて、結局はいつも通りに接していたよ。
誠も同じだ、普段より一層悲しそうな顔で一人で本を読んでいた。
二人ともオヒナダ様の言う通りにはならなかったんだ。オヒナダ様の言う通りになったのは私だけ、そう、お金は増えなかった。……ここは笑いどころだぞ?
それで、話はお金が増えなくて怖いじゃ済まないんだ。
それと殆ど同じ時期から変質者が出るようになった、という話が出始めて一斉下校するようになったんだ。
変質者はおもむろに女生徒に声をかけたり何かをメモしているということで、警察のパトロールが厳しくなったり、外出を控えるように、とまで言われたほどだ。
ところがこの変質者というのがかなり厄介な存在で、どれだけ警備を厳重にしようと、必ず女生徒が一人の時にボディタッチをするんだ。
身長160㎝ほど、黒い髪を垂らしており、ベージュの長ズボンと青いジャケットを羽織っている……そんな特徴がはっきりと出ていて、特に顔も隠してなくてモンタージュもできているというのに、一向に捕まる気配がなく一か月ほど経った。
私も怖いなぁと思っていた警戒はしていたんだが、朝に新聞を取ろうと家を出た時に出会ったよ。
特徴が一致しているなどと思って警戒することもなかった。真っ白な顔は美しいが、どこか人外を思わせるほど蒼白していて、それに比べて赤々とした唇は、物の怪の類と間違えるほどだった。
それを見た瞬間に変質者だ、とは思わずに殺されるとまで思ったんだ。
息が詰まって、それがゆっくり近づいてくるのを私は微動だにできずただ睨むように見ていた。
そして肩を掴まれると……すぐに離した。
そのまま女は何もせずに私から興味を失ったように家から離れていったんだ。
あの瞬間だけは生きた心地がしなかったよ。その日は学校を休んで母に慰められるままに泣いたよ。
そしてその日、クラスメイトが数人でプリントをもってきてくれて、誠と美也もそれに出会って休んだということを知ったんだ。
オヒナダ様を実行した私達が同時に変質者に出会う、そんな偶然があるだろうか?
次の日には私は母の随伴もあって学校に復帰したんだが、美也はダメだった。
彼女はあれでナイーブな子だったからな、あの常軌を逸した存在を見て普通以上の恐怖を覚えるのは仕方がないだろう。
誠は学校に来ても泣き続けていたからみんなに励まされていた。名前と見た目以上に気が弱くて心根の優しい子なんだ、っていう理解もその時にされたよ。
さて、君はもう話のオチは読めたか?
美也は心神を病んで、というほどではなかったが不気味なこの町を過剰に怖がってしまって、遠くに引っ越したんだ。当然この町の友達はみんな彼女にとっては消えてしまった。
一方の誠は、元々可愛い子だったのもあって皆に馴染んだよ。全員が友達になったかどうかは知らないがね。
あの変質者は決して捕まらなかった、捕まったという話は今も聞いていない。
私は……というか君も、あの変質者がオヒナダ様だと思っているんじゃないだろうか? あの変質者がいたからこそ、誠はクラスに友達ができて、美也が引っ越して友達を失くす理由になったんだから。
この国に神様は八百万、つまり途方もない数いる。その中には忘れられた神々というものもいて、信仰を失い名前を失くした神は死んだも同然になってしまう。
私は、オヒナダ様はどんな手を使ってでも残された力で人々の願いを一所懸命叶えようとしたんだと思っている。きっとかつてはまさしく神通力を用いて多くの人々に信仰されていたのだから。
今では変質者と呼ばれ、子供たちに恐怖しか残さなかったがね。
……けれど、今となっては私は信じてあげているよ。オヒナダ様、不器用に頑張っていてなんだか可愛いじゃないか。