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図書室に出入りすればいずれ会うだろう、もしくは会っていただろうとは思っていた。けれど、あんな人だとは想像もしなかった。もっと真面目そうな人だと思ってた。予想していた人物像とあまりにもかけ離れすぎていて、その日は『渡辺幸成』がずっと頭から離れなかった。
次の日やっぱり気になってしまって、ずっと校内を歩くときも知らないうちに目で探していた。
そのうち少しずつ『渡辺幸成』を知り始めた。
3年2組。サッカー部。頭の切れる司令塔。女子には結構もてているらしい。うちのクラスの女子も渡辺幸成目当てにサッカー部の練習を見に行ったりしているらしい。今まで私が知らなかったのがおかしいくらいに人気がある。
「人気者ってわけか」
あの日から、どうにも気になって『渡辺幸成』観察をやっていた。毎日友達に囲まれて、サッカーをやって、いつ本を読んでいるんだろう。それが疑問だった。
「高田さん、サッカー好きなの?」
クラスメイトの早川さんに声をかけられる。早川さんは渡辺ファンらしいというのを、ここ数日の観察で知っていた。素直に答えない方がいいかな。
迷っていると、サッカー部の誰かが近づいてくる。
「なつみ、何やってんの?」
声を掛けてきたのは、森山拓巳くんだった。
「あれ、拓巳くん。サッカー部だったっけ?」
「何ぼけてんだよ。今日は兄貴と会う日じゃないのか?」
すっかり忘れていたが、今日は診察の日だった。私はまわりに病気の事を言っていない。拓巳くんは気を遣って診察だって言わないでいてくれた。
「あ、忘れてた。勇造さん待たせちゃったか」
私と拓巳くんの言葉に早川さん呆然としちゃってる。もしかして、誤解したかな。
「待たせとけよ。ゆっくり行ってこい」
急ぐのは禁物。体に悪いからね。
「うん、ありがと。じゃね。早川さんごめんね、じゃね」
拓巳くんに感謝の言葉と早川さんにお詫びの言葉を残して、私はその場を去る。
「ばいばい、高田さん」
少し不思議な顔して、早川さんは手を振っている。きっと勇造さんのことが気になるんだろうなあ。拓巳くん、聞かれるかな?きっと聞かれるだろうね。ごめんね、拓巳くん。うまくごまかしておいてね。
「ねえ、森山君。高田さんって森山君のお兄さんと付き合ってるの?」
「いや、そういうわけじゃねえけど。あ、俺練習の途中だから」
「・・・結局どうなの?」
早川さんの疑問は翌日クラスのみんなに知れ渡ってしまっていた。拓巳くん、頼りにならないなあ。
「ねえ、高田さん。森山くんのお兄さんと付き合ってるって本当?」
さて、どう答えたものだろうか。
「えっと、そういう訳じゃないの」
「じゃあ、どういう関係なの?」
何かいい答えないかなあ。
「俺の兄貴に勉強教えてもらってんだよ。よく学校休むから」
あ、拓巳くん訳考えてくれてたんだ。前言撤回、頼りになるわ。
「なんだ、家庭教師ってこと」
とりあえずみんな納得してくれたみたいだ。
「でも森山くんと高田さんって接点ないよね」
「そうだよね。家も近い訳じゃないし」
それでも話は終わらないか。みんなこういう話題好きなのかな。
「一応幼なじみなんだよ。親同士が仲いいの」
きっかけは私の入院だったけどね。仲いいのは本当だし。最近はうちの両親忙しいから、あまり交流ないけど。
好奇の目にさらされるっていうのは以外に緊張して体力を使う見たい。ちょっときつくなってきた。こんな日に限って一時間目自習なんだ。自習課題そっちのけで話をするから、休む暇がない。話題の渦中だから抜けることができないし。って悩んでる暇ないって。マジやばい。
「ちょっとごめん。お手洗い行ってくる」
むりやり抜けて教室を出る。本当は自習時間中も教室抜けちゃ駄目なんだけど、みんなやってるし。
「おい、なつみ。大丈夫か」
拓巳くんが追いかけてきた。
「うん、何とかね。今日はありがとね」
「いや、俺がうかつに言ったからさ」
少し、照れたように笑う。やっぱり兄弟だ、勇造さんと笑い方そっくり。
「何笑ってんだよ」
「何にも。私、このままどっか行こうかな」
今、教室に戻ってもまた同じ事だし。あんなにも話を聞いてくるなんて思わなかった。みんな暇してるのね。
「ふけんの?保健室か」
「うーん、図書室に行く。司書の先生、融通聞くし」
「ちゃんと2時間目は戻ってこいよ。それでなくてもお前授業おくれてんだから」
「わかってるって。ありがと」
拓巳くんは笑って教室に戻っていく。
授業中だからだろう。廊下には一人として歩いていない。先生の声が時たま聞こえるだけで、静かな空間だ。異空間に迷い込んだかのようだ。私一人が迷い込む。
「こんにちは」
挨拶をしながら図書室のドアを開ける。
「あら、高田さんどうしたの?」
「自習なんで抜けてきました」
笑って言うと、先生も笑って許してくれた。
「あら、悪い子ね。担当の先生は?」
「いないんです。誰も空いてなかったみたいで、最初に課題だけだして」
「課題はやった?」
「ええ、ちゃんと」
嘘だったし、それに先生も気付いてた。でも、後は何も言わないでいてくれた。
図書室はいつもより静かだ。この静寂な空気がとても気に入っている。まあ、授業中に来れる時は限られているのだけれど。
この間、借りれなかったあの本を手に取る。後ろのポケットに入ってる貸し出しカードを見る。やはり、あの名前がある。
「ねえ、先生。渡辺幸成先輩ってどんな人?」
思い切って聞いてみた。
「ん、渡辺くん?この間、見たでしょ、あのうるさかったときに本借りていった子」
「うん、気付いたけど。私の借りる本ほとんど渡辺先輩が借りてるでしょう?だから気になって」
素直にしゃべってると、三積先生は幼子を見る目で私を見て微笑んだ。
「気になって、ねえ」
「何、先生?」
「ううん。渡辺くんのことでしょう。私もそんなにしゃべってるわけじゃないけど」
と、前置きして何が聞きたいと私に問いかけた。
「いつ本を読んでるか知ってます?」
「ああ、それ、私もいつか疑問に思って聞いてみたのよ。夜に読んで授業中に寝てるんですって。それって学校来る意味あるのかしらね」
先生は苦笑する。
「あと、渡辺くんに彼女はいないわよ?」
唐突に先生が笑いながら言う。誰もそんなこと聞いてないのに。
「関係ないですよ?」
「あら、そう。でも、気になるんでしょう?」
返答しづらいなあ。そういえば最近答えにくい事ばかりを聞かれているような気がする。
「気になるは好きの前段階なのよ。頑張りなさい」
そう言って笑った先生の顔が何故かとても素敵だった。
でも、私は頑張ることが出来ない。欠陥品のこの体が頑張ることを許してくれない。色々諦めてきて、諦めることになれたと思ったのに。
意味もなく、泣きそうになることがある。何が悲しいとか、悔しいとかの理由がないのに、目がうるんでくる。ぼーっとしていると泣いていたりする。私自身も気付かないうちに色々泣きたいことがあるんだろうか。泣いてどうなるわけでもないのに。
渡辺幸成観察は意外に続いた。何で観察しているのかわからないけれど、目が追っている。故意に渡辺先輩が借りた本を読んでみたり、わざと残ってサッカー部の練習をのぞいたり。
気になるのは好きの前段階
三積先生の言葉が浮かぶ。もしかして、わたしは『渡辺幸成』が好きなんだろうか。