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いつものように図書室に足を踏み入れる。学校の中とは思えないくらい、静かだ。微かに野球部のかけ声が聞こえる。
いつものように何冊か本を借りた。貸し出しカードに名前を書く。
「あ、まただ」
本の貸し出しカード。そこにはよく同じ名前が書いてあった。
『渡辺幸成』
どんな人なんだろう。とても気になっていた。でも、探そうとはしなかった。その名を気にしながらも、自分の名前を書いていく。
『高田なつみ』
これが私の名前。もうすぐ消えてしまうだろう、私の名前。
死を宣告されたのは、ずいぶん昔のことだった。もって16歳だと言われた。もうすぐ、私は16になる。お医者様はずいぶん名医だったらしく、予測通り私の体は持たないらしい。
未来を見るかわりに物語を読んだ。将来の夢を見るかわりに、空想の夢を見た。そうして、私は夢を見ながら生きてきた。
森山病院の勇造さんは私の二人目の主治医だ。私の死を宣告してくれた名医森山寛治先生の息子さんだ。
「なつみちゃん、元気?」
これがいつもの一言目だ。最初は、もうすぐ死ぬ人にそんな言葉かけるのって思ったけど、今はこれが結構励みになってしまっている。
「ええ、元気ですよ。勇造さんは?」
小さな頃から会っていたから、呼び名は勇造さん。小さな頃は勇ちゃんって呼んでいたけれどさすがに今は呼べない。
「もちろん、元気だよ。親父の口癖は医者の不養生だからね」
にこやかに笑いながら診察をする。
「寛治せんせ、その様子だと元気そうですね」
「元気が有り余って大変だよ。拓巳も元気だよ」
「知ってるって。同じクラスだよ。行動範囲が違うから、あまりしゃべらないけど」
勇造さんの弟で同い年の拓巳くん。昔はよく勇造さんと3人で遊んでたけど、最近は交流がない。
「ああ、そうだったね」
その後も診察を続けながら、話に花を咲かせた。
「あまり、良くないね」
「やっぱり悪くなってます?」
勇造さんは悲しそうな笑みで答える。この時が一番悲しい。
「僕が治してあげれたらよかったのに」
「寛治せんせが無理なのに、勇造さんに出来るわけないじゃない」
そう言って私はいつものように話をちゃかす。これが診察の定番みたいなものだから。いつも勇造さんが悲しんで、私が話をそらす。
「確かにまだ親父にはかなわないよ。でも、その内追い越すから」
そして、勇造さんもそれに乗ってくれる。二人で笑っておしまい。
「じゃ、今日はこれで終了。久しぶりにご飯食べていく?」
「ううん、お母さん待ってると思うから」
「そっか、じゃまたね」
そうして病院を後にする。
私は確実に死に向かっている。でも、考えてみたら皆死に向かって生きているのだ。人間はいつか死ぬのだ。遅いか早いかは別として。
今日の図書室は少し騒がしかった。何故か人がたくさんいたのだ。いつもならここで本を少し読んで帰るのだが、今日は借りるだけにしよう。
目当ての本を探していたら、ちょうど私の借りたい本の前で騒いでいる。あまり近づきたくはない。仕方ない、別の本を借りよう。
無事別の本を見つけた。いつものように貸し出しカードに名前を書いていると、司書の三積先生が来た。
「こんにちは、高田さん。今日はそれだけ?」
私は常連で顔を覚えられている。今日は1冊だけしか借りていない。いつもは3冊以上借りているから、不思議に思ったのだろう。
「ええ、早く帰ろうと思って」
その言葉でピンと来たのか、騒いでいる方を見てうなずく。
「うるさいわね。ちょっと注意してくるわ」
三積先生は歩いていった。それを私は横目で観察する。
「静かにしなさい。ここは図書室なのよ」
「すんません」
笑いながら謝っている。あまりすまなそうな感じは受けない。
「本を借りない、読まないなら出ていってもらうわよ?」
三積先生はかなりご立腹だ。仁王立ちになっている。
「いや、借りますよ。ほらこれ」
中でも一番騒がしそうな人が手にした本を見て、少しびっくりした。私の借りたい本だったのだ。
「何、マジ借りんの。そんなん読むわけ?」
「あれ、俺本読むの知らなかった?」
「知らないって。ユキにそんな趣味あったんだ」
ユキと呼ばれた人の言葉によって、よけいにうるさくなっている。あの人が本を読むなんて私も信じられないけど。しかもかなり分厚いあの本を。
「静かに。他の人に迷惑でしょう。しゃべるなら外でやんなさい」
って、他の人って私しかいなさそうなんだけど。そんなこと言うから私に視線が来る。さっさと貸し出しカードに書いてしまおう。
「ってな訳でこれ借りてくから先行ってて」
ユキと呼ばれた人が友達にそう言って、私の隣に来た。私はちょうど書き終えたから、さっさと退いて三積先生に会釈をして部屋をでる。
「渡辺君、今度から一人で来なさいね」
扉を閉める前に三積先生の声が聞こえた。思わず振り返って扉を開けようとするのを直前で思いとどまる。
ユキって呼ばれてた。あの本を借りていた。もしかして、あの『渡辺幸成』なんだろうか。