ある贋作師の日常
「お兄ちゃーん、ただいまー」
戸を開けると、私は家に居る筈の兄を呼ぶ。が、返事は返ってこない。
既にお昼を回ったこの時間帯、居る場所は心当たりがある。
(多分、工房かな…?)
私は玄関から上がらず、この日本邸宅の庭の方に回り込み、庭の片隅にある、兄の工房に足を踏み入れた。
思った通り、作務衣姿の兄が、そこにいた。
「…ん、おう寧々。帰ってたのか、お帰り」
「うん、ただいまー」
そう言って私は、兄の目の前の作業台の上を覗き込む。すると、その光景に思わず顔を顰めた。
「うげ…」
作業台の上には、無数の湯飲みらしき焼き物の器が並べられていた。それも、全て同じ物。
同じと言っても、単に形が同じとか、色が同じとかでは無い。器の塗料の発色具合、細かな成形具合、まるで3Dプリンターでも使って複製したみたいに、寸分狂わず全く同じに見える。
(こういう焼き物のって普通、個体差とか出るもんなんじゃないの…?)
兄曰く、同じ物を作る時の個体差は、経験、作製工程、仕上げ、それらである程度は補正出来る。との事だ。
「俺くらいになると、その差異を一割くらいまで抑えられるな」
いや、そうはならんやろ。相変わらず兄の技術は、私の理解を超えている。
兄は手に持った写真と資料、作業台の上の無数の焼き物を交互に見比べてる。そして、その焼き物の中から1つ手に取った。
「これが1番近いな。仕上げるのはこいつに決まりだ」
手に取った焼き物と、作業台の他の焼き物、一体どこに差異があるのだろうか。少なくとも、私の素人目にはまるでわからない。
因みに、兄は別に陶芸家という訳ではない。
そこで、インターホンが鳴り出す。兄は玄関の方角に目を向けた。
「そうだ、今日依頼主が物を取りに来るんだったな。寧々、応対してきてくれ。ちょっと支度してくる」
兄は焼き物を台の上に戻し、工房を出て行った。
私は来客を応接間にお通しすると、作務衣からスーツに着替えた兄がそこにいた。
「お待ちしてました。どうぞお掛け下さい」
兄がそう言うと、来客の初老の男性は、来客用ソファに腰掛ける。
兄も、その来客と対面する形で腰掛けた。
「いやぁどうも。それでは、早速例の物を…」
「はい、こちらです」
兄が、目の前の宅に置かれた木の箱の蓋を開ける。
箱の中には、白木拵えの日本刀が入っていた。
来客が箱の中からそれを取り出し、その白鞘から抜刀して、刀身を凝視する。
「この刃紋…この輝き…うむ、見事な再現度だ。これなら並の審美眼では、『本物』と見分けがつかないだろうな」
「ええそりゃあもう、契約通りの再現度九割の自信作です」
やり取りからも察せられる通り、この刀は兄自身が作刀したものだ。
因みに、兄は刀匠でもない。
「噂以上の腕前だな…贋作師、九十九創士」
私の兄、九十九創士の職業は贋作師。望む者の為に偽物を作り、売る。それが、兄の仕事だった。
依頼主の男性が帰ると、私はふと、ある問いを兄に投げ掛ける。
「ねぇお兄ちゃん、どうしていつも九割なの?」
兄は仕事で、ある一つのポリシーを決めていた。それは、贋作は再現度を九割までとすることだ。
兄は依頼主と契約を交わす際も、真っ先にそのポリシーを伝え、それを了承して貰った上で仕事に当たる。
「お兄ちゃんなら、完全再現の偽物もつくれるんじゃないかなーって。依頼人の中にも、たまに言ってくる人いるじゃん」
「そうだな」
兄に贋作を依頼する人は数多く、その中でもたまに、完全再現を要望する依頼人は決して少なくない。
しかし、兄は絶対に自分のポリシーは譲らない。兄が再現度九割を曲げた事は、私の知る限りでは一度も無かった。
「確かに、完全再現とまでは行かなくても、再現度九割を超える物は、多分作れなくは無いと思う…けど、それは俺の仕事じゃない」
「? どういう事?」
「その残りの一割を埋めるのは、俺じゃないって事さ」
「いや、さっぱりわからん…」
「それより腹減った。寧々、何か作って」
「えー」
「住まわせてやってんだから、そんくらいしろよ」
「けっ」
「じゃあ、工房にいるから、出来たら呼んでくれ」
そう言って工房へ向かう兄。私は渋々と台所に向かう。
私は今年の春から大学生となり、実家から遠く離れた学校に通っていた。
実家からの通学は不便な為、私はその学校から比較的近い場所にあり、住居スペースに十分余裕のある、兄の家に下宿している。
兄の家は、贋作製作の為の工房や作業場確保の為か、かなり広い。二十後半の独り身の持ち家にしては、不相応過ぎるものだ。
どうやら贋作師とはかなり儲けるらしい。そのくせ、兄はしっかり家賃は毎月請求してくる。
毎月2万円、安定した稼ぎが無い大学生には、些かきつい金額だ。
「こっちもさっきまでバイトで疲れてるっつーのに、あのバカ兄貴…!」
悪態をつきながら冷蔵庫を開けて、中の食材で何が作れるかを思案する。その時、
再びインターホンが鳴る。私は冷蔵庫を閉め、玄関に向かった。
「はーい、今開けますよーっと」
玄関の戸を開けると、そこには、年齢にして七十代程の老紳士といった風体の男性が立っていた。
「すみません、お願いしたい事があるのですが…」
老紳士はそう言うと、私は応接間に案内した。
応接間にて、兄と老紳士が宅を挟んでソファに座る。私も兄の隣のソファに座り込んだ。
そして、最初に兄から話を切り出した。
「まず、話を聞きましょう。えっと…」
「申し遅れました。私は佐川と申します」
「それじゃあ佐川さん、貴方はここがどういう場所で、俺がどういう存在なのか、わかった上でここに来ている…その認識で、間違い無いか?」
「…はい。私は、貴方があらゆる贋作を作れる凄腕の贋作師だと聞きつけ、尋ねて来ました」
「んじゃあ、依頼しに来たって事ですか?」
「そうです。貴方には、ある物を作って貰いたいのです」
いつも同じ流れだ。ここで依頼が、どんな物も贋作を作って欲しいのかのヒアリングを行い、兄がそれを製作する。
陶芸品、刀、絵画、今まで多くの種類の贋作を製作してきた。さて、今日はどんな物を作るのだろうか。
「ほう…、んで、それは?」
「蕎麦、です」
「…は?」
話を聞いていた兄は、ポカンと口を開けて固まる。
隣で聞いていた私もきっと、同じ様な顔をしているのだろう。
「蕎麦って…あの蕎麦、ですか?」
「はい…、貴方が思ってる蕎麦で間違い無いと思います」
老紳士佐川の依頼は、蕎麦を作って欲しい、そういう事らしい。
「こんな事聞いて、さぞ困惑された事でしょう。まず、事情を話します」
「…お願いします」
「私には、幼い頃から仲が良かった親友がいました。その親友と良く食べた蕎麦…私が作って欲しいのは、その蕎麦なんです」
佐川の話はこうだ。
かつて、親友と良く食べに行った蕎麦屋があり、その店の蕎麦をもう一度食べたいと。
佐川は、思い出の味の再現をして欲しい、そういう事だった。
「最近、その親友が亡くなりました。そしたら、無性にその時の蕎麦が食べたくなってしまいましてね…」
「それでうちに依頼を…って訳ですか」
「はい。如何でしょうか…?」
「成る程、ねえ…いいですよ。受けましょう、その依頼」
「!! 本当ですか!?ありがとうございます!!」
「それじゃあまず、こちら依頼の契約書です。了承していただく項目に目を通してから、記入をお願いします。その後は…」
契約後、兄は佐川からその店の蕎麦について覚えている事をヒヤリングした。
わかった事は、その蕎麦がかけ蕎麦で、それに使われた具材の種類。そして、蕎麦屋の名前は『そばのカメ屋』。
佐川の故郷にあった店で、現在は既に閉店済だった。
ヒヤリング後、佐川が帰られると、兄はすぐさま身支度をして、佐川の故郷へ車を走らせる。そして、
「何で私まで…」
私も無理矢理連れて来られていた。
「お前にもちょっと、やって欲しい事があってな。今月の家賃チャラにしてやるから手伝え」
「というかそもそも、妹に家賃請求する事自体がおかしくない?」
「東京に2万で住めるんだから有難いと思え。文句言ってっと、家賃倍にすんぞ」
そんなやり取りをしてる内に、佐川の故郷の街に到着した。
私達が住んでいる東京と隣接する某県、佐川の故郷である街はその中にあった。
「でも、これからどうすんの?佐川さんの思い出の蕎麦屋は、もう無いんでしょ?」
「それなんだけどな…俺、思ったんだ。誰かの心に深く残り続けるような蕎麦を作る店が、そんな簡単に消える事は無いんじゃないかって」
「…何が言いたいの?」
「移転とか、改名とか、もしかしたら何かしらの形で、まだどこかに残ってるんじゃないかって、そう思ったんだ」
「根拠は?」
「無い。そうあって欲しいって、俺が勝手に思ってるだけだ」
「はぁ…」
私は溜息を漏らす。そんな私に、兄は何かを渡してきた。
ペンと、メモ帳だ。
「聞き込み。手分けしてやるぞ」
私は更に大きな溜息をついた。
それから、私達は手分けして、そばのカメ屋について何か知っている事は無いか、街中の人に聞き込みをして回った。
しかし、何か有益な情報を持っている人は一人も現れなかった。
「ねえ…やっぱ無理があるんじゃない?既に潰れた店を探すってのはさ」
「いや、まだ潰れたと決まった訳じゃ…」
「はあ…もう疲れた…お腹も空いた…」
「そうだな、何せ俺も結局昼飯まだ食ってないし…」
「そうだ!ねぇ折角だがら蕎麦屋に行かない?」
「確かに、同業者なら、何か知ってるかもな」
私の提案に兄が頷き、私達は一件の蕎麦屋に入った。
『蕎麦処 流亀』、料亭を思わせるような、小綺麗な店構えだ。
店員に通されたカウンター席に座ると、私達はお品書きを手に取り、注文するものを選ぶ。
私は海老天蕎麦と天ぷら盛り合わせ、兄は掛け蕎麦をそれぞれ注文した。
「そんだけで足りるの?」
「今は油っこい物の気分じゃないんだ」
「おっさん」
「家賃チャラ、やっぱ無しな」
「嘘です、ごめんなさい」
そんなやり取りをしていると、店員が注文の蕎麦を運んでくきた。
「いただきます」と手を合わせて言うと、私は勢いよく蕎麦を啜った。
「んー!美味しい!」
風味豊かな蕎麦の味が、口いっぱいに拡がる。空腹なのも相俟って、尚のこと美味しく感じた。
そうして舌鼓を打っている私の隣で、兄は掛け蕎麦の椀を眺めながら、神妙な表情を浮かべている。
「お兄ちゃん?」
「この出汁…かなり厚く削った鰹節を長時間じっくり煮込んでとったものか…それも、鰹節自体もかなり良い物だ…産地は多分…」
「お、お兄ちゃん…?」
「返しもかなりのものだ…醤油の風味が強く残っている事から、恐らくは生返し…寝かせた時間は恐らく1日やそこらじゃない…1週間は熟成させてるな…」
(あ、やばい…)
周りの店員がめっちゃ見てる。何とも言えない表情で、私達の方を見ている。
店員達の表情から、兄の分析は恐らくほぼ当たっているんだろというのがわかる。企業秘密とも言うべき蕎麦のレシピを、公然と暴露されれば、そりゃそんな顔にもなる。
「そして、この蕎麦も凄いな…二八蕎麦なのにも拘わらす、十割蕎麦にも負けない存在感とコシ、蕎麦粉だけじゃなく、恐らく小麦粉も…」
「お兄ちゃん!もうやめよう!蕎麦、伸びちゃうよ!」
「お、お客さん、凄いですね…ひょっとして、かなりの蕎麦通ですか…?」
苦笑した一人の店員が、話し掛けてくる。
「す、すみません…只の変人でして…それにしてもこの蕎麦、美味しいですね~!あ、お兄ちゃん、もしかしたら、そばのカメ屋の蕎麦も、これくらい美味しいんじゃ…」
「ち、ちょっと待って下さい。今…そばのカメ屋って、言いましたか?」
「? はい。あ!ひょっとして、何か知ってるんですか?」
「知ってるも何も…そばのカメ屋は、私の父が経営していた蕎麦屋です」
「「え?」」
私と兄が、同時に素っ頓狂とした声と漏らした。
「申し遅れました。私は亀山…ここの店主をやっている者です」
「まさか…偶々入った店に、目的の人の血縁者がいたとはね…しかも店長って…」
「えと、亀山さん…俺はこういう者でして、実は…」
兄は自身の名刺を渡して、事の経緯を説明する。そして、亀山も自身の父であるカメ屋店長について話してくれた。
父と同様に蕎麦職人となった亀山だが、その経営方針の違いにより、父とは離れて別で蕎麦屋を経営していた。それがこの『蕎麦処 流亀』である。
その父親も、数年前に既に病気でこの世を去り、そばのカメ屋はその後閉店したという。
「成る程、父の店の味の手掛かりを掴むために、この街に来たという訳ですか…」
「はい。当時の店主か、それに近しい人に話を聞けれればとは思ったんですが…」
「…わかりました。そういう事でしたら、是非協力させて下さい。私も、東京に行きましょう」
「え、いいんですか?こんな店の店主が店を空けるなんて…」
「少しくらいなら大丈夫です。ウチには、優秀な店員達がおりますから。それに…」
亀山は物憂げな表情を浮かべ、壁に掛けてある写真を見る。
この流亀の開店当時の写真だろうか。写真に写るのは、亀山と、その父親らしき男の姿が。
「父の蕎麦を好きだった人、是非お会いしてみたいですからね」
こうして、亀山を協力者に向かい入れ、思い出の蕎麦作りの為動き出した。
1週間後、その思い出の蕎麦を振る舞うべく、自宅に佐川老人をお招きする。
そして、既に自宅に来ていた亀山と対面した。
「おお!貴方がそうですか!」
「はい、息子です。私も父と同じく、蕎麦の店を出しております」
対面するやいなや、佐川も亀山もぱっと明るい表情を浮かべる。そして、今は無きカメ屋店主の思い出話に花を咲かせた。
暫しの談笑後、私達は台所に向かい、いよいよ思い出の蕎麦作りを開始する。
「それじゃあ始めますか。亀山さん、レシピを」
「はい、こちらが父の、当時のレシピです」
亀山が冊子にして纏めた、カメ屋当時のレシピを、兄はざっと目を通す。
調理は、兄1人で行うつもりの様だ。
「…よし。疑問点があればその都度訊くと思うんで、都度教えて下さい」
「わかりました」
蕎麦の、調理が始まった。
「出汁は鰹節と昆布の合わせ出汁…」
そう言って、兄は水を張った鍋に出汁昆布を投入し、火をかける。その間、削り器で鰹節を削る。
「削り方はこんな感じで大丈夫ですか?」
淀みない手捌きで、鰹節が削れていく。それは、透けて見えるくらいに薄い。
「はい。父は、それくらいでやってました」
「流亀のとは違うんですか?」
私の何気ない質問をふと投げ掛けると、それには兄が答えた。
「流亀の出汁は、存在感の強い蕎麦に負けないくらいのスープを作る為に、濃厚なコクを出さないといけない。だから、むしろ鰹節は厚めに削って、長時間煮込むんだ。それに対し、カメ屋の蕎麦は…」
そこまで言って兄は、昆布を煮込んでいた鍋から、菜箸で昆布を取り出す。そして、削った鰹節を鍋の中に投入した。
それを一煮立ちさせた後、火を止めて布で濾しながら別の鍋に移した。
「えっ、もう?早くない?」
思わず、私が言葉を洩らす。
「お吸い物で使うような、あっさり目の出汁だな。カメ屋店主はこれを使っていた…そうですよね?」
「…はい、その通りです」
「次は、返しだな」
「返しって、何?」
「アルコールを飛ばしたみりんと、砂糖と醤油を混ぜたものだ。これを出汁と混ぜてスープを作る」
そう言って、兄は冷蔵庫から大きなボウルを取り出す。
そこには、例の返しであろう黒い液体が入っていた。
「返しの種類は…みりん、醤油、砂糖を全て混ぜて煮立たせた本返し。角が取れてまろやかな味になる」
兄はその返しを、先程とった出汁と混ぜ合わせ、それを火にかける。
それらが良く混ざると、お玉を使ってスープを少し小皿に取り、味見した。
「こんな感じでどうですか?」
そう言って兄は、別の小皿にスープを取り分けて、亀山に渡す。それを亀山は口に運んだ。
「…はい、間違いなく、父の味です。まさか一発でここまで再現するとは…」
私も味見をする。お玉に少しとって、それを直飲みした。
「確かに、流亀とは違うね。なんか、あっさりしてるっていうか…」
「おい、行儀悪いぞ」
兄が後頭部を叩く。
「それじゃあ、次はいよいよ蕎麦だな」
こうして、兄は亀山の見守りの元で蕎麦を打った。
兄は手慣れた手付きで蕎麦を打ち、それを見た亀山は終始驚愕していた。プロ目線でも、兄の蕎麦打ちの腕はかなりのものである様だ。
そして完成した蕎麦を茹で、器にスープと具材と共に盛り付ける。
思い出の蕎麦が、完成したのだった。
完成した蕎麦を、佐川が実食する。
「どうでしょうか?」
佐川が蕎麦を食べ終えると、兄が尋ねた。
そして、佐川はゆっくりと口を開き、こう言った。
「…確かにこの蕎麦は、あの時のに近しい物であると感じました。しかし…やっぱり、どこか、違う…」
「なっ…!?」
亀山は驚きを隠せず絶句する。
私は兄の方を向く。兄は、口に手を当てて、何か考え込んでいる。
「しかし、ここまでの物を作って頂き、私は充分です。皆さん、ありがとうごさいました」
そう言って、佐川は懐から封筒を取り出す。恐らく、依頼金が入った封筒だ。
それを、兄は手を前に出し、静止した。
「悪いが、まだその依頼金は受け取れない…最後のピースが、今わかった」
そう言って、兄は台所に戻る。鍋に火をかけ、蕎麦を一玉、湯の中に入れた。
茹で上がったその蕎麦をお湯から取り出し、充分に湯切りする。そして、
「え!?ちょ、何してんの!?」
湯切りしたそばを皿に載せ、冷蔵庫に入れた。
「これでちょっと待つ。蕎麦を冷やす」
冷蔵庫に入れて、充分に冷やした蕎麦を、再び湯の中に入れる。そして、茹で上がったそれを器に入れる、スープを入れて、具を盛り付ける。
「これが、最後のピースです!」
「いや…何が違うのこれ…?」
一見、蕎麦も、スープも、具材も何も変わらない。変わったことと言えば、茹でた後冷やした位である。
それで何かが変わるとは、とても思えなかった。
佐川がその蕎麦を啜る。そして、
「!!こ、これは!!?」
佐川の表情が変わった。そして、佐川の頬に涙が伝う。
「これだ…この蕎麦だ、ああ、あの時の思い出の味…」
「ええっ!!?」
感涙する佐川を見て、私は思わず声を上げた。
「前に亀山さんが言ってた、お父さんとの方針の違いって話を思い出して、ピンと来たんだ。そばのカメ屋は大衆向けの、それも…立ち食い蕎麦の店だったんですよね」
「…はい、その通りです」
兄の問いに対し、亀山が答えた。
「立ち食い蕎麦は、味以外にも早さが求められる。だから恐らく、当時カメ屋の店主は、時短の為の工夫をしてたんだ。それが、最後のピースの正体だったんだ」
「あの、冷蔵庫で冷やした事?」
「違う、そっちじゃねえ。重要なのはその前の事だ」
私の問いに兄が答えた後、亀山がハッとした表情を浮かべる。
「…そうか、『下茹で』か!?」
「正解です。カメ屋店主は、客に出す蕎麦を予め茹でておいて、客に出す前にちょっとの茹で時間で仕上がる様にしていた。そこで、味の差異が出たって訳」
「そんなに変わるの?」
「単純に、茹でる時間のトータルが増えるから、麺が少し軟らかめになる。味はむしろマイナス要素だ。だけど…」
「ああ、懐かしい…、この感じだ、ううっ…」
「佐川さんにとってどうだったのかは、一目瞭然だろ?」
こうして、佐川老人の思い出の蕎麦は、漸くの完成を迎えたのだ。
「それじゃあ私はこれで。皆さん今日は本当にありがとうございました」
佐川が深々とお辞儀をすると、家の前に呼んでいたタクシーに乗り込み、その佐川を乗せたタクシーは、走り去っていった。
「依頼金、ホントに良かったの?」
私は兄に問い掛ける。
「ああ。元々こんだけしか貰うつもり無かったから」
兄の手の中に握られた小銭、280円。当時、佐川が親友と食べていたという、掛け蕎麦の1杯の値段と同じ金額。これが、今回の金額だった。
「九十九さん、良い仕事をされますな」
兄の隣で亀山が言うと、兄は亀山に頭を下げた。
「亀山さん、今日は本当にありがとうございました。お陰で、今回の仕事をやり遂げる事が出来ました」
「いえいえ、私こそ、お礼が言いたいくらいです。父の蕎麦が、ああして誰かの良い思い出になってるんだと、知る事が出来ましたから…それが、たまらなく嬉しかった」
「…そうですか、それは良かった」
「私も、父の様に誰かの思い出に残るような蕎麦を、作っていきたいものです」
そう言うと、亀山も一礼して、自宅を去って行った。
「さて、終わったな…そういえば、前にお前が訊いてきた、再現度九割の理由だけど…」
「え?」
「残りの一割を埋めるのは俺じゃないって話…今回の依頼で、何となくわかったんじゃないか?」
「え? あ…」
そういう事だったのか。あの時、兄の言った事の意味が今、わかった。
兄が作る再現度九割の贋作。そして、その残りの一割を埋めるもの、それは…思い出だ。
どんな物も、他人が作ればそれは偽物に過ぎない。しかし、関わり深い者の思い出が、それを満たす。
贋作は、その思い出により、本物に負けないくらいに輝くのだ。
兄のポリシーは、その一割を尊重しているから、そういう事なのだろう。
「さて、俺達も食べてみるか。佐川さんの思い出の味を」
「十割蕎麦ならぬ、九割蕎麦、だね」
「…お前、家賃倍な」
「何で!?」
そんなやり取りをしながら、私達は台所にむかった。
完
読み切り『ある贋作師の日常』いかがだったでしょうか?
感想、レビュー、頂けると幸いです。




