「王都を出る。高いからだ」
王都で大金を得た。
だが、金があるからといって、高い街に居続ける理由にはならない。
節約勇者は、次に使うべき金と、残すべきMPをきっちり分けて考えていた。
初クエストと謁見を終えた翌朝。宿の食堂で朝飯を食い終え、田中はいつものように帳面を広げていた。
昨日の収入。プラチナ硬貨10枚。
昨夜の宿代。食費。今朝の飯代。今後の移動費、補給費、装備修理費。
数字を見て、田中は2人に一言だけ言った。
「......出るぞ」
ネネが焼いたパンをかじりながら顔を上げた。
「……どこへだ」
「王都の外だ」
エリュシアが目を瞬かせる。
「早くございませんか?」
「早くない。高い」
「理由が雑ですわ!」
「雑じゃない。王都は宿も飯も道具も高い。こういう場所に長居すると、金の減り方が鈍く見える」
田中は帳面を閉じた。
「金がある時ほどすぐに動く。損切りだ。次へ行く」
「プラチナが10枚もあるのだぞ?」
ネネが信じられないものを見る顔をした。
「だからだ。あるからって使うのが一番駄目だ」
「……それは、少しわかる」
ネネが真顔でうなずいた。
エリュシアは小さく息を吐く。
「では、次の街まで転送魔法を使いましょう。街道を歩く必要はございません」
「使うな」
「なぜです!?」
「MPを移動で使うな。無駄だ」
エリュシアが固まった。
「無駄……? 転送は効率的でございますよ?」
「歩ける距離を飛ぶな」
「勇者様がそんな徒歩前提で話します!?」
「いざって時に、1でも足りなかったらどうする」
食堂が少しだけ静かになった。
エリュシアが口を閉じる。
「移動で削った、たった”1”が、命取りになる。便利に慣れると判断が鈍る。常識だろうが」
「……」
(言い返せません……! すごく言い返したいのに、言い返せません……!)
エリュシアは悔しそうに目を細め、やがて肩を落とした。
「……わかりました。徒歩で参りましょう」
「よし。旅支度だ」
*****
王都の市場は朝から騒がしかった。
田中は必要な物だけを迷いなく揃えていく。水袋、干し肉、固いパン、塩、紐、油紙、針、予備布。どれも地味で、見栄えはしない。だが、旅で必要になるものばかりだった。
一方で、ネネは別の意味で真剣だった。
「これもいるな」
「それも必要だ」
「旅には甘味が要る」
戻ってきたネネの両腕には、やたら大きな袋がぶら下がっていた。
「……何だその袋は」
「おやつだ」
「多い」
「旅には必要だ」
「いくら使った」
ネネは少しだけ目を逸らした。
「たしか……200Gくらいだ」
「おやつに使う額じゃない」
「ハッ!に、にひゃくGも使ったのか我は!?」
「自分で買ったんだろうが」
袋の口から、蜂蜜焼き菓子、砂糖のまぶされた果実、串焼き、木の実菓子、王都名物らしい包み菓子が見えている。
「だが、これは全部必要で――」
「必要じゃない。欲望だ」
「欲望をそんな顔で言うな」
ネネは少し考え、それから袋の中に手を入れた。
「では一つ食べる」
「減らし方が違う」
ぺし、と田中の指がネネの額を軽く弾いた。
「いたっ」
「返してこい」
「おやつを!?」
「全部じゃない。削れ」
「むう……」
不満そうにしながら、ネネはしぶしぶ店の方へ戻っていった。
エリュシアがその背中を見送りながら、小声で言う。
「千年魔王が、おやつを返品しに行かされております……」
「300Gは多い」
「そこなのですね……」
しばらくして、ネネは袋を少しだけ軽くして戻ってきた。
「……150Gまで減らした」
「まだ多い」
「これ以上は無理だ」
「お前もしぶといな」
「努力した」
田中は袋の重さを持ち上げて確かめ、それからネネを見た。
「次はおしりペンペンだからな」
「なぜおやつでそんな屈辱を受けねばならぬのだ……」
「欲望に負けたからだ」
ネネは納得いかない顔のまま、袋を抱え直した。
その数歩後ろで、エリュシアが小さく肩を震わせていた。
(魔王がおやつで叱られている光景、神界の資料に存在しないのですけれど……!)
*****
「日差しが強うございますね」
街道に出る前、エリュシアが白く輝く細身の神具を取り出した。日傘らしい。金の装飾がついていて、いかにも神聖で、いかにも高そうだった。
「それはやめろ」
「なぜです」
「派手だ」
「派手ではありません。神聖です」
「同じだ。目立つ」
「同じではありません!」
田中は市場の雑貨屋の前で足を止め、無骨な布張りの遮光具を持ち上げた。色は地味な灰色。見た目は農作業用のようで、まったくかわいくない。
「それにしろ」
「えっ」
「軽い。畳める。雨も防げる。壊れにくい」
「だ、ださいのですが」
「機能は足りてる」
「見た目が足りておりません!」
「見栄だ。削れ」
エリュシアは数秒、真顔で固まった。
だが試しに差してみると、妙に涼しい。布の角度もよく、陽射しをきっちり防ぐ。しかも軽い。
(ださい……!)
(ですが軽い……!)
(しかも妙に涼しい……!)
(機能だけ完璧なのがいちばん腹立たしいです!)
「……これで参ります」
「最初からそうしろ」
「言い方ってものがありますわよ!」
*****
王都を出て、街道に入る。
石畳は少し荒くなり、行き交う荷馬車も減った。王都の門が背後でだんだん小さくなっていく。
移動中、田中がポケットを確認した。
また数えている。
「何本だ」とネネ。
「3本」
「……少ないな」
「そうだな」
エリュシアが少し考えてから言った。
「……この世界には、似たようなものはないのですか」
「神タバコというものがあるぞ」とネネ。
「知ってるか」
「城の近くで売っていた。高いが」
「いくらだ」
「……確か500ゴールド本」
「論外だ」
それだけ言って、田中は歩き続けた。
ネネがエリュシアを見た。エリュシアが肩をすくめた。
そんな話をしながら三人が街道を歩ていくと、道端に、水売りの屋台があった。
「水だよー! 冷たい水だよー!」
値札を見て、田中が言った。
「(ためいき)……観光地価格だな」
エリュシアが眉をひそめる。
「やはり、足元を見た商売では?」
「いや、商売としては悪くない」
「え?」
「喉が渇いた奴に、すぐ飲める水を置いてる。値が上がるのは当然だ」
「では問題ないのですか?」
「問題は、そこで買う前提で動く側だ」
「厳しい……!」
「準備してない方が悪い。雨水でも飲んどけ。沸かせばいける」
「いけませんよ!?」
「お前は、いざという時に文句を言ってから死ぬタイプだな」
「言い方が最悪です!」
その横で、ネネが袋を抱えたままぽつりと言った。
「……150Gは、正しかった気がしてきた」
「だろうが」
「だが、甘味は必要だ」
「そこは譲らんのだな」
「譲れぬ」
ネネは真剣だった。フンと鼻をならして腕を組んでいる。
田中は少しだけ呆れたように鼻を鳴らし、それ以上は言わなかった。
(1000年魔王ともあろうものが、子供ですか。いや子供でしたね、中身)とエリが内心思った。
*****
昼過ぎ。街道脇の木陰で、三人は一度足を止めた。
ネネは袋を抱えたまま座り込み、深く息を吐く。
「……重い」
「当たり前だ。欲望を背負ってるからだ」
「うるさい……」
エリュシアは例の灰色の遮光具を差したまま、不本意そうな顔で空を見ていた。
「……ださいですが、実用的ではあります」
「見た目を削ったからな」
「それを誇らしげに言わないでください」
田中は地図と帳面を見比べる。
「次の宿場まで、今日中には着かん。途中で野営か、安い宿を拾う」
「王都に戻る気はないのか?」
ネネが聞いた。
「ない」
「そこまでか」
「王都は住む場所じゃない。金をばらまく場所だ」
エリュシアが少しだけ目を細めた。
「では、次はどういう街へ?」
田中は帳面を閉じた。
「ちゃんと暮らせる街だ。宿代、飯代、修理代がまともな場所がいい」
「基準が徹底しておりますね……」
「当たり前だ。常識だろうが」
そう言って田中は立ち上がる。
ネネも、しぶしぶ重い袋を抱えて立ち上がった。
「次は本当に100Gまでにする」
「ほんとにおしりペンペンだからな」
「なぜそこだけ執行が早いのだ!」
「欲望に甘いからだ」
「甘味だけに、か?」
ネネが少しだけ得意そうに言った。
田中とエリュシアは、同時に無言になった。
「……今のは、少し面白かったのだが」
「黙って歩け」
「扱いが雑!」
王都の喧騒は、もうだいぶ遠かった。
その代わり、先にはまだ見ぬ宿場町と、まともな値段の飯と宿がある。
田中は少しだけ歩幅を広げる。
「行くぞ」
「はいはい、参りますよ」
「待て、袋が重い」
「知らん。自分で買ったんだろうが」
文句を言いながらも、二人はちゃんとついてくる。
それでいい、と田中は思った。
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一方そのころ、ゾルグの『魔王様奪還作戦・転送魔法速攻版』は、
田中が徒歩を選んだことで開始前に詰んでいた。
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※おじさん解説!
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移動で大事なのは、速さではない。
削っていいものと、削ってはいけないものを見極めることだ。
田中剛は、金だけでなくMPまで「使ってよい予算」として見ている。
移動で使った、たった1が、戦闘で足りなくなる。
それは十分にありうる。RPGでも現実でも同じである。
なお、魔王ネネは、おやつに300G使った。
返品後、150Gまで減った。
田中の評価は「まだ多い」であった。
正しい。おやつは、300円(20Gくらい)まで。
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※神界業務日報 第9回
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担当勇者:田中 剛
本日の特記事項:
勇者が移動用転送魔法を却下。
理由は「MPを移動で使うな。いざという時に1でも足りなかったらどうする」であった。
私の所感:
正しいのです。正しいのですが、女神を交通手段扱いしないでください。
追記:
本日、私は妙にださい遮光具を携行させられました。
性能は極めて優秀でした。
非常に腹立たしいです。
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※魔王の家計簿 第9回
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今日の支出:
おやつ 300G
返品後 150G
観光地の水 観光客用ボッタくりなので買っていない
感想:
おやつは必要だと思った。
だが、持つと重かった。
田中に「欲望を背負うと荷物は重い」と言われた。
よくわからぬが、少しだけ納得した。
なお、焼き菓子はうまかった。
次はおしりペンペンらしい。理不尽だと思う。
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第9話 了
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