「装備ができた。いくらだ」
昼の王都は、朝より少しだけ騒がしかった。
石畳の道には荷車が増え、露店からは焼いた肉と香辛料の匂いが流れてくる。鎧の金具が鳴る音。商人の呼び込み。子どもの笑い声。人の流れは絶えないのに、その真ん中を歩く田中の足取りだけは妙に一定だった。
「昼だ。鍛冶屋に装備を回収に行く」
それだけ言って、田中はさっさと前を歩く。
その後ろで、ネネは腕を組みながらも、どこか落ち着きなく視線を揺らしていた。角の先が、ほんの少しだけぴくぴくしている。
「ふ、ふん。別に楽しみにしているわけではないぞ」
「声が浮いてる」
「浮いておらん」
即答だった。だが半歩あとで歩幅が乱れる。
エリュシアはそのやり取りを横目で見て、静かに息をついた。
(浮いております。すごく浮いております)
「先に申し上げておきますが」
白銀の髪を揺らしながら、エリュシアが少しだけ顎を上げる。
「あまり妙な格好になっていたら、私は拒否しますからね。女神としての品位というものがございます」
「動けて、守れて、高くない。それで十分だ」
「十分で片づけないでください」
「十分だ」
「だから、その言い切りが雑なのですよ」
(女神なのですよ、私……! もう少しこう、響きのある扱いというものが……!)
田中は振り返らない。
ネネは横で、ふむ、と小さくうなずいた。
「動けて、守れて、高くない。たしかに強い言葉だな」
「お前は真面目に受け取るな」
「なぜだ。我は今、学んでいるのだぞ」
エリュシアが黙って目を伏せる。
(魔王が真顔で学習しないでください……)
そうして三人は、朝に訪れたばかりの鍛冶屋――ガンツの工房へと足を踏み入れた。
扉を開けた瞬間、熱気が頬を打つ。
炭火の匂い。焼けた鉄の匂い。油と煤が混じった、鼻の奥に重く残る工房の空気。壁には鈍く光る刃物がずらりと並び、奥ではまだ小さく火が鳴っていた。
ガンツは作業台の前にいた。腕組みをしたままこちらを見て、短く鼻を鳴らす。
「来たか」
「昼だ」
「見りゃわかる」
ぶっきらぼうに言い返しながらも、その声には朝ほどの棘がなかった。
作業台の上には、三つの装備が置かれていた。
田中は一歩近づき、無言でそれらを見る。
ネネは威厳を保とうとしているのか、わざとらしくゆっくり歩いた。エリュシアは平静を装いながらも、視線だけは真っ先に自分の分へ向いている。
「ほらよ。まずはお前のだ」
ガンツが指で示したのは、飾り気のない胸当てと、最低限の補強が入った腕甲、それに腰回りを固めるための革ベルト一式だった。
宝石はない。彫金もない。勇者と聞いて誰も想像しないような、地味な一式だ。
だが、田中はしゃがみ込み、胸当ての裏側を覗き込んだ。指で縫い目を押し、金具を弾き、革の厚みを確かめる。立ち上がって肩を回し、腰をひねり、膝を曲げた。まるで買った道具ではなく、現場に入る前の機械でも点検するような目つきだった。
「映えはしねえが、壊れにくくしてある。間接も殺してねえ。補修も楽だ」
「映えはいらん」
田中は即答した。
ガンツの片眉がぴくりと上がる。
「即答かよ」
「見栄だ。削れ」
「勇者の第一声じゃねえだろ、それ」
ネネが横から装備を覗き込む。
「本当に飾りがないな」
「必要ないからな」
田中はそう言って、今度は腰の革ベルトを外し、留め具を確認した。金具の位置。革の重なり。引っ張った時の遊び。細かく見て、短くうなずく。
「いい」
「それだけかよ」
「十分だ」
短い評価だった。
だが、その一言でガンツの口元がごくわずかに緩んだ。
「……次。魔王サマの鎧だ」
そう言って出された鎧を見た瞬間、ネネの目が丸くなった。
黒を基調にした形は変わっていない。だが胸元と肩にあった過剰な装飾は大幅に減り、無駄に大きかった飾り板も整理されている。重厚さは残しているのに、全体の線が締まっていた。以前よりも、ずっと“戦うための鎧”に見える。
「着ろ」
「う、うむ」
ネネは少しだけ緊張した様子で鎧に手を伸ばした。
数秒後。
「……軽い」
第一声がそれだった。
肩を回す。腕を振る。腰を落とす。踏み込む。二歩、三歩と動いたネネの顔が、目に見えて変わっていく。
「なんだこれは。軽いのに、薄くない」
「削ったのは飾りだ」
田中が即答する。
ネネはもう一度、腕を大きく振ってみた。鎧の継ぎ目がほとんど引っかからない。前より明らかに動きやすい。
「だが……なんというか……」
「なんだ」
「圧が減った気がする」
田中が真顔で答える。
「圧で勝てるなら苦労せん」
「うっ」
痛いところを突かれた顔で、ネネが言葉を詰まらせる。
エリュシアがそっと視線を逸らした。
(毎回きれいに刺しますね、この人……)
「威圧感も大事なのだぞ」
「動けるほうが大事だ」
「それは……そうだが」
否定しきれない声音だった。
ネネはもう一度、踏み込んで、止まる。今度は表情に少しだけ満足が混じる。
「……悪くない」
「だろうな」
「なぜお前が偉そうなのだ」
「注文したのはこっちだ」
「ぐぬ」
ネネが悔しそうに唸った。
その横で、エリュシアが自分の改修服をじっと見つめていた。
白を基調にした色味は残っている。女神らしい清潔感も、完全には消えていない。だが広がりすぎていた裾は整理され、袖も扱いやすい長さに詰められていた。胸元や肩の防護はさりげなく厚くなっている。見た目の印象より、明らかに実務に寄った服だ。
「最後。女神サマのだ。面倒だったぞ」
「面倒、とはどういう意味ですか」
エリュシアが即座に反応する。
「布が多い。飾りが多い。なのに汚れたくない顔してる」
「当然でしょう!」
「着てみろ」
田中が割って入る。
「……命令口調をやめていただけます?」
「確認だ」
「言い換えていないのと同じです」
(でも、気になる……)
不機嫌そうに言いながらも、エリュシアは服を受け取った。
工房の奥で着替えて戻ってきた彼女を見て、ネネが小さく目を見開く。
「ほう」
以前よりずっと動きやすそうだった。裾の流れは美しいままなのに、足さばきを邪魔しない。肩回りは細く見せながら、きちんと守っている。余計な装飾は減ったのに、女神らしい雰囲気は不思議と残っていた。
田中が顎で外を示す。
「動け」
「やはり命令口調ですね」
「確認だ」
「それ、便利な言葉ですね」
言いながらも、エリュシアは工房の前の空きスペースに出た。
まず一歩。次に半身になる。袖を引き、腕を振り、しゃがむ。立ち上がる。くるりと回る。
その一連の動きのあとで、彼女は黙った。
田中が問う。
「どうだ」
「……実用性は、認めます」
「実用で十分だ」
「ですが神聖さというものがございます」
「転んだら終わりだ。布に守ってもらえ」
エリュシアのこめかみがひくりと震えた。
「言い方が最悪です」
「でも正しい」
「……悔しいですが、正しいです」
わずかに視線を逸らしながら、それでも言い切る。
(ぐうの音も出ません……!)
ネネが横から感心したようにうなずいた。
「よいではないか。前よりずっと戦えそうだ」
「戦えそう、ではなく、戦う前提にしないでください」
「補佐に来たのだろう」
「それはそうですが!」
田中は三人の装備を一通り見て、短く息を吐いた。
「いい。これで形にはなった」
「それで終わりじゃねえぞ」
ガンツが作業台の縁に腰を預ける。
「工賃の話がある」
そこでようやく、本題が来た。
田中の視線がまっすぐガンツへ向く。
「内訳」
「……は?」
「まとめて言うな。材料、加工、調整、分けろ」
エリュシアがそっと目を閉じた。
(始まりました……)
ネネは帳面を取り出していた。
「我、今のは少し聞きたい」
「お前は素直に聞きすぎだ」
「学んでいるのだ」
「そこは学ぶな」
ガンツが舌打ちする。
「……っち。材料費はこれだ。で、加工賃がこれ。女神サマの服の調整で手間が増えた」
「私のせいですか!?」
「布が多い」
「またそれですか!」
田中は帳面も見ず、並べられた金額を眺める。
「調整分が高いな」
「だから言ったろ。女神サマの服が面倒だったって」
「神聖価格だな」
「服の調整に神聖もクソもあるか」
ネネが真顔で帳面に書き込む。
「調整分……上振れ……」
「なんでそんなに真面目なのだ、お前は」
「固定費は敵だろう」
ネネが顔を上げもせずに答える。
エリュシアが遠い目になった。
(もう完全に覚え始めていません?)
田中は指先で金額を軽く叩いた。
「仕事はいい」
「……おう」
「だが次から採寸を先に詰めろ。二度手間が減る」
ガンツの眉が寄る。
「お前、客のくせに現場に口出すのか」
「減るだろ」
「……確かに、減るな」
「留め具も共通規格にできる。修理が楽だ」
「そこまで見るかよ」
「見ればわかる」
数秒、沈黙が落ちた。
工房の奥で火がぱちりと鳴る。
ガンツがじっと田中を見た。
「お前、ほんとに勇者か?」
田中は一拍だけ置いて、平然と答えた。
「俺はロックだ」
ガンツの眉間に深い皺が寄る。
「名前を聞いてんじゃねえよ」
「今はそれでいい」
ネネが顔を上げた。
「おぬし、田中ではないのか?」
「今はロックだ」
「“今は”とは何だ」
「今は今だ」
「意味がわからん」
エリュシアがそっと額を押さえる。
(本名を名乗らないのですね、この人……)
(しかも説明を放棄しました……)
ガンツが深く息を吐いた。
「気に食わねえな」
「よく言われる」
「だろうな」
それでも、その声はさっきまでよりずっと柔らかかった。
田中は提示額のうち、削れるところと削れないところを切り分け、最終的な支払い額をさっさと決めた。無理に全部を叩き潰すのではなく、仕事の質に見合う分はきちんと払う。その代わり、次から削れる工程ははっきり削る。
それを見ていたガンツが、最後に小さく鼻を鳴らした。
「値切るだけかと思ったが、ちゃんと見てるな」
「仕事は見ればわかる」
「気に入らねえ言い方だが……まあいい」
「次も持ち込む」
「最初からそのつもりで作ってるよ」
「工賃は次、もう少し削れる」
「最後まで気に食わねえ客だ、お前は」
ネネがくすりと笑った。
「だが少し楽しそうだぞ」
「うるせえ」
ガンツはそう返しつつも、本気では怒っていなかった。
工房を出ると、昼の光が少しだけ眩しかった。
三人は自然と並んで歩いた。
田中が前。ネネがそのすぐ横。エリュシアが半歩後ろから二人を見る。新しい装備はまだ身体に馴染みきっていないはずなのに、三人とも前よりずっと足取りが軽かった。
「で、どうするのだ」
ネネが聞く。
「試す」
「試す、とは?」
エリュシアが問う。
「新品は使って初めて買い物の終わりだ」
「なるほど」
「ギルドに戻る。一番安く済むやつを受ける」
エリュシアが眉を寄せた。
「勇者の初陣の言い方ではないのですよ……」
「高い依頼はいらん」
「名誉とか、見栄えとか、そういう概念はありませんの?」
「無駄だ。いらん。それは邪魔だ」
「本当に容赦がありませんね……」
少し歩いたところで、ネネがぽつりと言った。
「財布の敵だな」
田中が横目で見る。
「……ネネ、わかってきたな」
ネネは一瞬、目を瞬かせた。
それから、ほんのわずかに視線を逸らす。頬にうっすら熱が乗る。
「と、当然だ。我は魔王だからな」
「関係ない」
田中は淡々と言う。
「悪くない」
「……っ」
ネネは咳払いで誤魔化した。
「そ、そうであろう。もっと褒めてもよいぞ」
「調子に乗るな」
「乗っておらん!」
その声だけはいつもより少し高い。
エリュシアが無言で二人を見る。
(今、さらっと褒めましたよね?)
(しかもネネ、露骨に照れてません!?)
(ずるいのですよ、そういうの……!)
「行くぞ」
田中の一言で、三人は再び歩き出した。
冒険者ギルドは、昼を過ぎてもまだ混んでいた。朝より人は少ないが、それでも掲示板の前には何人もの冒険者が集まっている。酒場スペースからは笑い声が聞こえ、受付では書類をめくる音が絶えない。
扉を開けると、カウンターの向こうでリッカが顔を上げた。
「もう来たんですか」
「装備ができた」
リッカの視線が三人を順に見る。田中、ネネ、エリュシア。さっきまでより全体のまとまりが増していた。地味なのに、妙に隙がない。
「で、次は?」
田中は掲示板に近づき、依頼書を一枚抜いた。
「これだ」
リッカが内容を見て、わずかに目を見開く。
「スライム湿地討伐、ですか?」
「報酬は安い」
「はい。初級向けですから」
「だが、拾える」
「……はい?」
「素材が取れる。回収次第では黒になる」
リッカが止まった。
ネネが横から依頼書を覗き込む。
「安いのか?」
「報酬だけ見ればな」
「だが拾える、と」
「そうだ」
エリュシアが小さく息を呑む。
(もう報酬の額だけでは見ていない……!)
田中は依頼書をひらりと振った。
「スライムに、全力で挑むな」
その一言に、ネネが首をかしげる。
「全力ではだめなのか?」
「無駄だ」
田中は即答した。
「削れるものは削る。常識だろうが」
リッカは依頼書を受け取る手を止めたまま、しばらく三人を見ていた。
変なパーティだ、と思う。
勇者なのに地味な装備。女神なのに妙に実務寄り。魔王なのに帳面を持っている。そしてその中心にいる少年は、依頼の額より先に採算を見ていた。
(……変な人たち)
でも。
(ちょっとだけ、気になる)
「受注処理します」
リッカは真面目な顔でそう言った。
「行ってくる――ヨシコ、また来る。」
「お気をつけて。私は、リッカです」
「当然だ、ヨシコ」
田中は短く答える。
「お気をつけて」
その横で、ネネが小さく帳面を開いた。
「スライム……素材……黒字候補……」
「書くな、今そこで」
「大事だぞ」
「わかるが今じゃない」
「今だろう」
エリュシアが目を閉じる。
(始まる前から、もう頭が痛いのですよ……)
――――――
一方そのころ、魔王城では四天王ゾルグが計画書の一枚目を
書き終えていた。
だが、表紙だけだった。
「まず予算だろ」「ですね」「ネネちゃん、元気かなぁ!」と、三方向から声が飛んだ。
ゾルグは拳を握った。「……次こそは」
※おじさん解説!
昔のゲームって、見た目が派手な装備ほど強いとは限らなかったんですよね。
むしろ「軽い」「動きやすい」「安く済む」みたいな実用性が、攻略ではすごく大事でした。
あと、鍛冶屋で装備を整えてから最初の雑魚敵に行くの、あれはもう儀式です。常識だろうが。
※神界業務日報 第6回
本日の特記事項。
勇者が鍛冶屋にて装備一式を受領。その際、完成品を褒める前に工賃の内訳確認を要求。さらに加工工程に改善案まで提示。
鍛冶屋は途中から少し楽しそうでした。意味がわかりません。
また、私の衣装についても「転んだら終わりだ。布に守ってもらえ」との発言あり。
言い方が最悪でしたが、内容は正しかったため反論しきれませんでした。非常に遺憾です。
追記。
勇者は本日も本名を名乗りませんでした。
「ロックだ」と言っていました。
何が“今は”なのか、報告書側としても把握不能です。
※魔王の家計簿 第6回
本日の支出。
装備調整費、加工費、補修費。合計はやや高め。だが内容は悪くなかった。
特に鎧が軽い。動きやすい。少し威厳は減った気もするが、たぶん気のせいだ。気のせいということにする。
本日の学び。
固定費は敵。
財布の敵は、だいたい見栄。
あと、飾りは削っても死なない。
本日の記録。
我が「財布の敵だな」と言ったら、田中に「ネネ、わかってきたな」と言われた。
悪くない、とも言われた。
家計簿に書くことではない気もするが、大事なので書いた。




