「お前も捨て駒だろうが」
その朝、フィオは石を拾っていなかった。
広場の端に立っていた。石の袋を持っていた。でも地面を見ていなかった。
どこか遠くを見ていた。
田中が来た。グラがその肩の上にいる。フィオが振り向いた。彼と目が合った。
今日は――始まらなかった。
二人とも、動かなかった。
しばらく、そのままだった。
「……今日は投げないのか」と田中。
「……気分じゃない」
「そうか」
田中がフィオの横に立った。同じ方向を向いた。
朝の王都が動き始めていた。荷車の音。露店の声。石畳の上を人が歩いている。
二人とも、しばらく黙っていた。
******
「……なぜ、ここに来た」とフィオが言った。
「お前に会いに来た」
「何の用だ」
「顔を見に来た」
フィオが少し止まった。
「顔」
「そうだ」
田中がフィオを見た。正面から見た。
「……捨て駒の顔だ」
フィオが固まった。
何も言わなかった。
「命令で動いてる。失敗しても続ける。それ以外の選択肢がない顔だ」
「……」
「俺も二十三年、同じ顔をしていた」
フィオが田中を見た。
「……二十三年」
「そうだ」
「負け続けたのか」
「負け続けた」
沈黙。
「……それでも続けたのか」
「続けた。正しいことをするたびに、俺だけ負けた。それでもやった」
フィオが少し目を細めた。
「……なぜだ」
「正しかったからだ」
それだけ言って、田中は前を向いた。
「お前も同じだろうが」
フィオが動かなかった。
(……同じ)
(違う、と言おうとした)
(言えなかった)
(同じだった)
石の袋を持つ手が、少しだけ緩んだ。
******
「……誰に命令されてきた」とフィオ。
「神界だろうが」と田中。
フィオが止まった。
「……なぜわかる」
「顔だ。それとお前のチートが俺のチートと同じだ。同じ型のチートを別世界の勇者に渡して使い捨てにする。神界のやり方だ」
フィオが少し間を置いた。
「……知っていたのか」
「途中から気づいた」
「なぜ言わなかった」
「お前が言う前に言っても意味がない」
フィオが田中を見た。
「……俺は、向こうの世界で失敗した」
「そうか」
「資金が尽きた。神界に見捨てられた。この世界に送られてきた。使い直しだ」
「知ってる」
「知ってて、石を投げ合っていたのか」
「練習になった。収益も出た」
フィオが少し笑った。笑ったのを、すぐに消した。
「……お前は、おかしい」
「そうか」
「普通じゃない」
「そうだな」
「……なんで」フィオの声が少し低くなった。「なんで、そんなに平気なんだ。神界に二十三年、使われ続けて。負け続けて。なんで」
田中が少し間を置いた。
「平気じゃなかった」
フィオが黙った。
「平気じゃなかった。ただ、正しかったから続けた。それだけだ」
沈黙が二人を包む――それは、長い沈黙だった。
フィオが石の袋を地面に置いた。
「……俺も、正しいと思ってやってきた」
「そうだろうな」
「でも負けた」
「そうだな」
「……それでも」
フィオが田中を見た。
「お前は、続けるのか」
「当然だろうが」
フィオが少しだけ俯いた。
肩が、わずかに揺れた。
一度だけ。
すぐに止まった。
(……泣くな)
(泣いてどうする)
(でも)
(十六年分が)
(少しだけ)
グラが田中の肩から飛んで、フィオの肩に乗った。
「グゥ」と鳴いた。
フィオは動かなかった。
グラがもう一度「グゥ」と鳴いた。
「……なんだ、こいつ」
「慰めてるんだろ」と田中。
「翼竜が慰めるのか」
「するらしい、こいつは賢い。使える」
フィオがグラを見た。グラが目を細めた。
フィオが小さく息を吐き、少しだけ、笑った。
******
少し経ってから、田中が言った。
「本当の名前はなんだったか、忘れた」
「……フィオナ・ヴァル・クレスだ」
「やはり長い。フィオだ」
「……短くするな」
「フィオだ」
フィオが少し間を置いた。
「……まあ、いい」
「それと」
田中がフィオを見た。
「SNKさんだ」
「何だ、それは」
「後で説明する。強い。でも資金不足で倒れた。そういう会社だ」
「……会社?」
「昭和のゲームの話だ。気にするな」
フィオが少し考えた。
「……侮辱か」
「最大級の敬意だ」
フィオがしばらく田中を見た。
「……わかった。受け取る」
******
「パーティに入れ」と田中。
「断る」
「そうか」
「俺は俺でやる」
「わかった」
フィオが少し止まった。
「……引き止めないのか」
「お前が決めることだ」
「……」
「ただ、困ったら来い。石はタダだ」
フィオが田中を見た。
「……師匠とは呼ばない」
「どっちでもいい」
「田中と呼ぶ」
「そうしろ」
フィオが石の袋を拾い上げた。
「……またくる」
「来い」
フィオが歩き始めた。
グラが田中の肩に戻った。
「グゥ」と鳴いた。
「……そうだな」と田中が言った。
何に対して言ったのか、グラにしかわからなかった。
******
少し離れた建物の陰で、アルスが見ていた。
今日は、いつもの腹筋をしていなかった。
ただ立って、見ていた。
(……負け続けた)
(それでもやった)
(正しかったから)
アルスが少しだけ俯いた。
『勇者らしくあらねばならない』という言葉が、頭の中にあった。ずっとあった。入団したその日からあった。
(師匠は)
(そんなこと、一度も言わなかった)
(正しければいい、と言った)
(それだけだ、と言った)
アルスが顔を上げた。
田中はもう歩き始めていた。前を向いていた。振り返らなかった。
アルスが小さく息を吸った。
また腹筋を始めた。
ぴょんぴょんしながら、ついていった。
******
エリュシアは、少し離れた場所から全部見ていた。
近づかなかった。
近づけなかった。
(……二十三年分)
(私が処理しました)
(全部、全却下で処理されました)
(私は書類の末端でただ処理していただけです)
(でも処理していた)
(全部)
(……ごめんなさい、田中)
声には出なかった。
出せなかった。
田中が前を向いて歩いていた。
その背中を見ていた。
(……それでもやる、と言いました)
(正しかったから、と言いました)
(私には、その言葉に答える資格がまだありません)
(でも)
(……いつか)
それだけ思って、後を追った。
******
**その頃、神界では――**
ウルダが窓の外を見ていた。
長い間、見ていた。
部下が書類を持ってきた。
「フィオナ・ヴァル・クレス、田中剛と接触。仲間化の可能性があります」
「……そうですか」
「対処を——」
「待ちなさい」
ウルダが部下を見た。
「……今日は、何もしません」
「よろしいのですか」
「寛大に、見守ります」
部下が記録しようとした。
「……記録しなくていいです」
ウルダが再び窓の外を見た。
(……二十三年分)
(私も、知っていた)
何も言わなかった。
書類に一つだけ、小さく何かを書いた。
すぐに閉じた。
**※おじさん解説!**
SNKとは、1978年に創業した日本のゲーム会社だ。
餓狼伝説、KOF、メタルスラッグ。名作を連発した。
強かった。本当に強かった。
でも2001年に経営破綻した。資金が尽きたのだ。
その後、復活した。今も続いている。
強くて、資金不足で倒れて、それでも続けた。
そういう会社だ。
最大級の敬意を込めて言う。SNKさんだ。
これも常識だろうが。
******
**神界業務日報 第25回**
今日は書けません。
一つだけ記録します。
勇者が「正しかったから続けた」と言いました。
以上です。




