「懐かしい匂いがする」
道中に、寄り道がある。
Aクエストへの道程は、想定より長かった。
田中剛は黙って歩いていた。グラが肩の上で鼻をひくひくさせている。
「師匠!(ぜえ)Aクエストの(ぜえ)目的地はどこですか!!(ぜえぜえ)」
アルスが腕立てしながらついてきた。追加腕立て1万回は――まだ続いていた。
「ついでがある」
「Aクエストに(ぜえ)ついでがあるのですか!!」
(あります。この方の場合は)
エリュシアは内心で静かに処理した。
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少し前、街道の脇道で、ショウからの伝令が来た。
「田中さん、ちょいとよろしおますか。王都から二日ほど内陸に、妙な集落がおますんや。
住民が古い言葉を使うとか……田中さんが知ってはりそうな言葉でっせ」
田中が止まった。
「……何だと?」
全員が内心で「珍しい」と思った。
「寄るぞ」
「Aクエストはどうするんだ」とグレインが言った。
「そっちが、ついでだ」
「……なるほどね」
(今回は私もわかりません。グレインは何にもわかってません。いつものことです)
エリュシアは内心で正直に処理した。
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街道を外れ、内陸へ二日。
木造の家。引き戸。縁側。軒先に「田」の字の家紋が並んでいる。
田中の足が、一瞬だけ止まった。
「……懐かしい匂いがする」
声に出したのはそれだけだった。
グラが肩の上で鼻をひくひくさせた。
「なぜここの人は変な言葉を使うのだ」とネネが言った。
彼女が言う通り、この集落の人間はネネたちが分からない言葉をしゃべっている。
書かれている文字も、異世界の人間には読めないようだ。――つまり日本語である。
「うるさい」
住民が警戒している。外様を寄せつけない目だ。
集落の代表が出てきた。年のころは二十二ほどの、口下手そうな男だった。
(日本語で)「……よそ者だな。この里へ何しに来た」
「先代に会いに来た」
「先代は死んでいる」
「ならば、この里の記録を見せてほしい」
男が黙った。
「お前……なぜ日本語を知っている」
「同じ出身だからだ」
長い間があった。それから、中に招き入れた。
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田所一郎の日記は、日本語で書かれていた。
「今日も飯を食った。生きている」
それが、ずっと続いていた。
遺言書には、二行だけあった。
「無駄を省け。でも人への投資を惜しむな」
「後半の意味がわからなかった」と男が言った。
「だから我々は、先祖代々、前半だけを守ってきた」
田中が言う。
「後半を読んだことがあるか」
「……意味がわからなかった」
「半分で満足するな。お前ら全員**論外だ**」
グレインが無言で遺言書を読んでいた。「なるほどね」が出なかった。手だけが止まっていた。
(グレインさんが黙っています)
エリュシアは内心で確認した。
(今回は本当に、わかっているのかもしれません)
(でも日本語、読めるのでしょうか......)
田中が日記の最終ページを開いた。
「今日も飯を食った。生きている」
田中は何も言わなかった。
(……よくやった)
声には出なかった。
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食事が出た。
白い飯。味噌に近い香りのする汁。それから、茶色いねばねばしたものが小鉢に盛られていた。
ネネが白い飯を一口食べた。
「……なんだこれは」
「うまいですね!!」とアルスが言った。
腕立ては一時停止していた。しかしすぐに腕立てを再開しはじめた。
腕立てしながら器用に食事を食べている。
「温かい……」とエリュシアが言った。「体に入ってくる感じがします」
全員が汁を飲んだ。
「なんだこれは……うまい」
「なんか、ほっとする」
「……我、もう一杯いける」
田中は無言で器を差し出した。おかわりをする。二回目。三回目。よく食べた。
それから、茶色いねばねばしたものに全員が気づいた。
「……なんだこれ」とネネが言った。
「においが」とアルスが言った。
「ねばねばしています」とエリュシアが言った。
「納豆だ」と田中が言った。「食え」
全員が一口食べた。
ネネが器を置いた。
「……無理だ」
「においがだめです」とエリュシアが言った。
「ちょっと……俺も」とグレインが言った。
「師匠、(ぜえ)これは(ぜえ)……」
「出されたものは黙って食え」
「「「「……」」」」
「給食の基本だ。常識だろうが」
(給食とは何ですか)
エリュシアは内心でつぶやいた。
(でも田中さんが「常識だろうが」と言っています)
(逆らえません)
全員が渋々口をつけた。全員が顔をしかめた。だれも二口目を食べなかった。
田中が全員の小鉢を引き寄せた。
黙って、全部平らげた。
「……馬鹿か。これほどうまいものがあるか」
全員が田中を見た。
「……勇者よ」とネネが言った。「お前は、本当に、何者なんだ」
「田中だ」
(そうです)
エリュシアは内心で静かにうなずいた。
(それだけで、充分なのだと思います)
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「……名前が長い。ハドソンだ」
帰り際、田中が男を見て言った。
「……なぜハドソン」
「北の土地を開いた。北海道だ。ハドソンという、北海道を開いたゲームメーカーがある。桃太郎電鉄を作った。ボンバーマンを作った。お前の先代と同じだ。開拓者だ。だからハドソンだ」
いつもより説明が長かった。
全員が黙った。
(……田中さんが)
エリュシアは内心で一行だけ書いた。
(今日、一番長く話しました)
「……わかった」とハドソンが言った。なぜか、納得していた。
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「森の記録者というエルフがいます。古木の森の。先代の足跡を八百年分、書き残したと聞いています」
田中の歩みが、一瞬だけ止まった。
「……そうか」
それだけ言って、前を向いた。
(田中さんが今日、二度止まりました)
エリュシアは内心で静かに記録した。
(いつもは、止まらない方です)
「また来るのか」とネネが言った。
「飯が安い」
「それだけですか!!(ぜえ)」とアルスが言った。
「……なるほどね」とグレインが言った。今回は少しだけ、顔が違った。
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その頃、神界では―
白衣に技術職の印章をつけた女神が、書類を差し出した。ウルダの同僚だ。
「田中が田ノ里に立ち寄りました。田所一郎の記録を閲覧しています」
ウルダが止まった。
「……田所一郎の記録は、削除済みのはずだが」
「ハドソンが隠し持っていたようです」
しばらく沈黙があった。
「……寛大に、対処します」
(寛大ではない案件が、増えてきました)
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※神界業務日報 第二十九回
本日の業務記録。
田ノ里到着:確認。
田中さんが「懐かしい匂いがする」と言いました:記録しました。
田所一郎の記録閲覧:完了。
ハドソン命名:完了。説明が長かったです。記録します。
納豆:全員が無理でした。田中さんだけ「これほどうまいものがあるか」とのことです。
田中さんが今日、二度止まりました。特記事項として記録します。
以上です。
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※田所一郎の日記 第一回
今日も飯を食った。生きている。




