「この世界、少しだけ悪くない」<一章・完>
廃砦を出た翌朝、田中は宿の外でエリュシアを呼んだ。
「昨日の件だ」
エリュシアの表情が一瞬だけ固まった。
「……規則違反については、後日申請を――」
「そういう話ではない」
田中がエリュシアの腕をつかんだ。
「悪いことをした子は、お尻ペンペンだ。常識だろうが」
「は」
バシッ!
「……っ!」
(な、なんですか今のは)
(ペンペンとは何ですか)
(いや、わかります。わかりますが)
(なぜ今の一発でこんなに――)
バシッ。
(……っ!)
(二回目!?)
(二回目もあるのですか!?)
バシッ。
(……三回)
(三回、受けました)
(私、女神なのですけれど)
(なぜ黙って受けているのですか)
(なぜ逃げないのですか)
(なぜ――)
バシッ。
(……四回)
(…………)
(……あの)
(これは)
「よくやった」
田中がそう言った。
(…………………………!!!!)
「次からは承認を取ってから動け。それだけだ」
それだけ言って、田中は宿の中に向かった。
エリュシアはしばらく動けなかった。
(よくやった)
(よくやった、と言いました、今)
(罰のはずなのに)
(なぜ最後に「よくやった」なのですか)
(この方は本当に――)
(……だめです)
(落ち着いてください、私)
(私は女神です)
(女神、です)
「お前――」
横からネネの声がした。
「なんか、嬉しそうだな」
「そんなわけがありません!!!」
「四回、黙って受けてたが」
「廃砦で疲れていたのです!!!」
「顔が赤い」
「熱です!!!!」
ネネが一瞬だけ目を細めた。
(……あいつ、完全にそういう人だ)
田中が入口から顔を出した。
「腹が減った。来るか来ないか、どっちだ」
「……わかりました」
(「わかりました」ではないのですが)
(なぜか足が動いています)
(……本当に、困った方です)
(困った方なのですが――)
エリュシアはそれ以上、何も考えないことにした。
******
王道亭に戻ると、リッカが待っていた。
「お疲れ様です! 廃砦の攻略報告、ギルドに上げました。……A級昇格推薦、通りそうです」
「ヨシコさん。手数料は」
「ゼロです。今回は功績扱いになります。ってリッカなんですって」
「なら聞く。条件は」
リッカが苦笑した。
「条件を確認してから聞くって言ったのに……まあ、いつものことか」
ネネが腕を組んだ。
「A級になると、何が変わるのだ」
「依頼の規模と報酬が上がります。あと、一部の王都依頼が受けられるようになります」
「王都は高い」
「物価がですか?」
「それもある。移動費もかかる。すぐ動く必要はない」
エリュシア(内心)(昇格推薦が来ても、まず費用計算をする人間が世界に何人いるのですか)
「わかりました。引き続き手続きを進めます」
そのとき、奥からルコが顔を出した。
エプロンをつけたまま、少し改まった顔をしていた。
「あの」
全員が向いた。
「商人ギルドの見習い、申し込んだ」
沈黙が一拍あった。
「そうか」
「教えてくれてありがとうございました」
「金の話をしただけだ」
「それが一番役に立ちました」
「常識だろうが」
ルコが少し笑った。
「……田中さんって、お礼を受け取るの下手ですね」
「下手ではない。いらんと言っている」
「一緒じゃないですか」
リッカが小声でエリュシアに言った。
「ルコ君、最近ずいぶん言い返せるようになりましたね」
エリュシア(内心)(教え方が昭和すぎてむしろ鍛えられたのだと思います)
「……そうですね」
ネネがルコの頭に手を置いた。
「商人ギルドでも、固定費から見直せ」
「……ネネちゃんにそれを言われるとは思いませんでした」
「我は学んでいる」
「はい」
田中「おし。飯、食うぞ」
それで終わった。
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トメさんが食事の膳を運んできた。
四人分。ルコは今日も配膳を手伝っていたが、一度も皿を落とさなかった。
「手元が安定してきたな」
「体で覚えた!」
田中が少しだけ間を置いた。
「やっと言えたな」
ルコが照れたように頭を掻いた。
エリュシア(内心)(……この方、こういうことだけはちゃんと見ています)
(最初から、ずっと)
食事が終わり、ルコが皿を下げて奥に引っ込んだあと、リッカも帰った。
ネネが家計簿を広げたのを、エリュシアが横から覗いた。
「……今日は計算を間違えませんでしたね」
「当然だ。我は学んでいる」
「先週は宿代を三倍に書いていましたが」
「ムー……我は、今日の話をしている」
田中は窓の外を見ていた。
しばらく、誰も何も言わなかった。
「……この世界、少しだけ悪くない」
エリュシアとネネが同時に田中を見た。
田中は窓から目を離さなかった。
説明しない。フォローもしない。
エリュシア(内心)(……そういうことは)
(もう少し先に言ってください)
(……でも)
(……よかった)
声には出さなかった。
ネネも何も言わなかった。ただ家計簿を閉じた。
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夜、田中が外に出た。
ポケットから神タバコを一本取り出して、火をつけた。
煙が夜の空に上がる。
少しして、ネネが来た。
何も言わない。ただ隣に立った。
また少しして、エリュシアも来た。
少し離れたところに立った。
三人分の沈黙が、宿場の夜に溶けた。
「次、削れないのはこれだけだ」 と神タバコを天に掲げる。
二人の返事はなかった。みんな――それでよかった。
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翌朝、リッカが王道亭に来た。
「A級依頼、来てますよ」
「ヨシコさん内容は」
「……王都からです。リッカです。」
田中が少し間を置いた。
「条件を確認させろ」
「やっぱりそこからですか!?」
第一章、完!
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※おじさん解説!(特別版)
第一章のまとめです。
田中は一話から「常識だろうが」と言い続けました。正しいことを言い続けて、誰にも認められなかった男が、この世界で初めて正しいことをして、勝ちました。
なお田中は一話から現代のタバコを持ち込んでいましたが、十四話で切れました。神タバコは「500Gだろうが」と何話も断り続けて、十九話で初めて買いました。
理由は「習慣だから」だそうです。
おじさんには、わかります。
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※神界業務日報 第二十四回(特別版)
ベーカーでの業務を終了します。
勇者・田中剛の現状:B級からA級移行見込み。
同行者:女魔王ネネ、引き続き(見込み)
私:引き続き。
特記事項。
本日、勇者様が「この世界、少しだけ悪くない」と発言しました。
私はもう驚きません。
神タバコを今夜も一本吸っていました。「削れないのはこれだけだ」と言っていた意味が、少しだけわかった気がします。
業務報告書には書きません。
なお、本日の冒頭における私への罰則については、正式な記録には残しません。
理由は書けません。
以上。
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※魔王の家計簿 第二十四回(特別版)
第一章まとめ。
総支出:宿代・食費・装備修繕・神タバコ複数本。
総収益:計算中。
田中の評価:「まあまあ」では、もう足りない気がする。
ルコは商人ギルドへ行った。最初から冒険者とは言っていなかった。言い方の問題だと思う。
この世界が少しだけ悪くない、と田中が言った。
我も今日は、そう思った。たぶん。
追記:エリュシアが朝から顔を赤くしていた。廃砦で熱が出たと言っていたが、夕方には治っていた。なんだったのかは聞いていない。なんとなく聞かない方がいい気がした。
追記2:神タバコの煙は少し濃い、と田中は言っていた。それでも吸っていた。習慣というのは、そういうものなのかもしれない。
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――同刻、魔王城。
「魔王様を迎えに行く! 全員で! 今すぐ!!」
「計画書と予算は」
「…………」
「えっ、みんなで行くの!? よかった!!!」
「俺も行く。……認めたわけではないが」
第一章、真に完。




