「正しいことをするたびに、俺だけ負ける」
今回、笑えるところはありません。
それだけ言っておきます。
先に進むにつれ、廃砦の奥は、静かになっていった。
魔物の密度が上がるにつれて、三人の動きは逆に無駄が消えていった。田中が動く。ネネが抑える。エリュシアが整える。声をかける前に、もう終わっている。
廃砦の核心部、少し開けた場所で、田中が止まった。
壁に背をつけて、前を見ている。
呼吸を整えているのか、考えているのか、判断できない顔だった。
ネネが隣に立った。エリュシアは少し離れた場所にいた。
何でもない声で、田中が言った。
「正しいことをするたびに、俺だけ負ける。それでもやるけどな」
それだけだった。
言葉に続きはなかった。説明もなかった。
田中はすぐ前を向いて、「行くぞ」と言った。
* * *
ネネは黙っていた。
何か言おうとして、言葉が見つからなかった。魔王として千年生きてきて、こういう沈黙の前では、言葉というものが役に立たないことを知っている。
だから黙っていた。
* * *
エリュシアは、動けなかった。
(あなたのことは……すべて記録にあります)
田中が二十二歳の三月に、夜中まで一人でラインを直した記録。
田中が三十一歳の三月に、先輩が死んだ記録。
介入申請:却下。
田中が三十五歳の時、改善提案書の二十三枚目が却下された記録。
田中が四十六歳の時、誰かの後始末で残業して、ソファで倒れた記録。
(私が処理しました)
(全部、書類として処理しました)
四十六年分の記録が、田中の行動と一致した。
(……全部、覚えています。ごめんなさい)
声には出さない。
「……わかりました」と言って、次の指示を聞いた。
* * *
廃砦の奥へ、三人は進んだ。
誰も、何も言わなかった。
※神界業務日報 第二十二回
特記事項。
……照合完了。
以上。
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※魔王の家計簿 第二十二回
今日のことは、書けない。
明日、書く。
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