「廃砦の依頼は、条件から変える」
依頼書には、条件が足りなかった。
リッカさんには、名前が届いていなかった。
ルコには、もっと根本的な問題があった。
廃砦のクエスト依頼書が届いたのは、翌朝のことだ。
ギルドから派遣された地方官吏が、分厚い書類を両手で持って王道亭の食堂に現れた。テーブルの上に置いて、緊張した顔で口を開く。
「勇者殿。ベッカー郊外の廃砦についての調査・掃討依頼になります。報酬は完了後の成功報酬として——」
「待て」
田中が書類を受け取った。二十秒ほど目を通して、返した。
「条件が足りん」
官吏が固まった。
「……は?」
「成功報酬だけで動く理由がない。準備費用を先に出せ。ポーション代、消耗品代、往復の日数分の宿代。全部算出して前払いしろ」
「そ、それは前例が……」
「失敗した場合の規定もない。書け」
「えっ」
「リスクを負う側が条件を決める。常識だろうが」
(……受け取って二十秒で再交渉に入りました。記録します)
官吏が青くなりながら書類を引き取った。ペンを走らせる手が少し震えている。
隣でネネが熱心にメモを取っていた。
「何してる」
「参考になるから記録している」
「ネネ……成長してるな」
「もっと我をほめるがよいぞ!」
(魔王が交渉術をメモしています。神界への報告は特記事項・多数とさせていただきます)
書き直した依頼書を確認した田中が顔を上げた。
「ヨシコ、異議はないか」
リッカが顔を上げた。
「異議はないですが、リッカです」
「条件は通ったな」
「通りましたけどリッカです」
田中はもう書類を折り畳んでいた。
(……この人、絶対に名前を覚える気がない)
* * *
出発の準備をしているところに、ルコが来た。
「なあ」
田中が振り向く。
「盗賊って……儲かるか?」
全員が止まった。
(今なんと言いましたか)
ネネが「……盗賊」と繰り返した。
「捕まった時のリスクを計算してみろ」
ルコが何かを頭の中で計算し始めた。真剣な顔をしていた。
三分後。
「……赤字だ」
「そうだ」
ルコが少し考えた。
「……じゃあ、商人ギルドにしなければ」
(盗賊志望が「赤字」で消滅して商人ギルドに着地しました。経路が特殊すぎます)
リッカが一歩前に出た。
「ちょっと待ってください! 最初から冒険者になる気なかったんですか!?」
「......俺、数字に強くなりたかっただけだから」
ルコが真顔で言った。
「えーっ!それ最初に言ってください!!」
「ヨシコ、話は済んだか。出発するぞ」
「済んでないですリッカです!!!」
田中はもう興味がなさげに、外を向いていた。
* * *
ベッカーから半日歩いたところで、廃砦が見えてきた。
石造りの古い建物が丘の上に立っている。崩れた塔が二本。周囲の木々は黒ずんでいた。
田中が足を止めた。
「おい、セーブポイントはどこだ」
ネネが溜息をついた。
「……また、その話か」
「ありません」
エリュシアが言った。今度は間を置かなかった。
「何度聞いても、そんなもの!」
「女神のチートスキル、全く使えんな」
「使えないのではなく存在しないのです!!」
(……悔しい。「使えんな」と言われて悔しいのに、なぜか……いえ、違います。絶対に...この感情は違いますわ!)
ネネが小さく笑った。
「毎回思うが、このパーティは普通ではないな」
「……そうですね」
エリュシアはもう驚いていなかった。
廃砦の手前、街道を少し外れた平地で、田中たちは野営の準備を始めた。
「もう(砦は)見えているぞ」とネネが言ったが、
田中は「セーブしてから進む。常識だろうが」と返した。それ以上は誰も何も言わなかった。
――遠く離れた岩の陰に、黒い甲冑が一瞬だけ見えた。
* * *
焚き火に火が入った後、田中が懐から神タバコを出した。
「……もう二本目か」
ネネが横から言った。
「今日だけだ」
「いくらだ」
「五百G」
「……高いな」
「そうだな」
二人とも、それ以上言わなかった。
焚き火の音だけが続いた。パチ...パチ...
エリュシアは少し離れたところに立っていた。
(……明日から、廃砦ですね)
声には出さない。
※おじさん解説! 第二十回
「セーブしてから進む」というのは、田中さんの基本方針です。
廃砦が目の前に見えていても、関係ありません。準備が先です。準備のない突撃でクリアできるのは運がいい時だけで、運に頼るな、セーブしてから進め、これがファミコン世代の基本です。
ルコ君については特記する必要があります。彼は最初から冒険者になるつもりがありませんでした。数字に強くなりたかっただけです。「じゃあ商人ギルドにしなければ」というのは、合理的な判断です。道を変えるより、目的を明確にする方が早い。田中さんはそれを知っています。だから「そうだ」しか言いません。
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※神界業務日報 第二十回
本日の特記事項。
依頼書の再交渉:完了。官吏の手が震えていました。記録します。
ルコ君の進路:確定。経路は特殊でしたが、着地は正確でした。
セーブポイント問題:今回も解決しませんでした。「全く使えんな」と言われました。
追記:悔しくないです。悔しくないのに何かが引っかかっているのは、気のせいです。業務に支障はありません。
追記2:明日から廃砦です。全員無事で帰ってきましょう。記録します。
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※魔王の家計簿 第二十回
本日の支出
・神タバコ 一本 五百G(田中の分)
・野営消耗品 二十G
・ルコのおやつ代 十二G(立替)
田中の評価:まあまあだ。
ルコが商人ギルドにすると言った。「じゃあ商人ギルドにしなければ」という言い方が、なんとなく田中に似ている気がした。田中は「そうだ」しか言わなかった。それで十分だったようだ。
神タバコは今日も「高いな」と言いながら吸っていた。我も「高いな」と言った。田中が「そうだな」と言った。何か会話をしたような気がする。内容は薄い。でも悪くなかった。
明日から廃砦クエストだ。収支は帰ってから計算する。




