「ゾルグ、その計画は赤字だ」
計画書には、必ず予算欄を作れ。
数字のない計画書は、ただの夢だ。
これが管理の基本だろうが。
ギルドに入ると、リッカが書類を持って待っていた。
「――それで。ヨシコさん、昇格の結果は」
「無事、通りました。……リッカです」
「そうか、ヨシコさん」
「一回でいいので名前で呼んでください!!」
(毎回言っています。毎回届いていません......あきらめてください)
エリュシアはそっと目を逸らした。
「正式にB級です」とリッカが言った。
「おめでとうございます……と言いたいところですが、B級から依頼の質が変わります。危険度も上がります。覚悟はありますか」
「覚悟より条件を確認しろ」
「……そうですね。はい。条件の話をします」
(「覚悟より条件」)
(この方らしい言葉です)
ネネが横で帳面を開いた。「条件……確認……」
「お前、毎回書くな」
「大事だぞ」
「それは認める」
ネネが少しだけ顎を上げた。
*****
ギルドの外に出ると、ゾルグが待っていた。
鎧を磨いてきたらしい。傷が一つか二つ新しくなっている。手に計画書を持っていた。
「……来たか」と田中が言った。
「来た! 約束通り、予算を持ってきたぞ!」
ゾルグが計画書を差し出した。田中が受け取って開いた。
一行読んだ。
「論外だ」
「なぜだ! 予算欄を作ってきたぞ!」
「欄はある」
「そうだ!」
「数字がない」
「……」
「空白だ」
「……予算の、出し方が、わからなかった」
沈黙が落ちた。
(予算欄を作ったのに、数字が入れられなかった……)
(それはそれで、正直です。――というか、アホなんですかね......ゾルグさん)
「報連相は基本だ。出直せ」
「また「論外」ですか!!」
「数字が入ったら見てやる」
ゾルグが泣いた。また泣いた。海で泣いて、またここで泣いた。男泣きである。
ネネが腕を組んで眺めていた。
「……ゾルグ」
「ま、、魔王さま——」
ネネが少し間を置いた。
「……我のことは、今後ネネと呼べ。周りにも周知するように」
「ネ、ネネ……様?」
「様はいらん。ネネだ」
「な、なぜ急に」
「田中の名づけだ」
沈黙。
ゾルグがゆっくり田中を見た。田中は計画書を眺めていた。何も言わなかった。
「……勇者が、魔王様に名前を」
「文句があるか」とネネ。
「ありません!!」 気持ちの良い、即答だった。
(今、宣言しました)
(田中の名づけだと、自分から言いました)
(……魔王ネネ)
エリュシアは黙って前を向いた。
―――――
「座れ、ゾ」
田中が言った。
「……は?」
「短い方が呼びやすい」
「三文字ですよ!? ゾルグで三文字ですよ!?」
「長すぎだ」
「どこがですか!!」
ネネがぼそりと言った。
「我は十三ブロックを二文字に削られた。三文字なら恵まれている」
「ネネ様がそれを言いますか!!」
(ゾルグさん、魔王様に比べれば確かに恵まれています)
「ゾ、座れ」
「……わかりました、座ります」
ゾルグが地面に座った。計画書を膝に広げた。
ルコが横からひょいと覗き込んだ。
「予算の欄、数字がないですね」
「今その話をしているんだよ!!」とゾルグが返す。
「三秒でわかりました」
「わかるんじゃない!! むしろなんで分かるんだ!!」
*****
「もう、ゾルグには任せられない」
低い声がした。
全員が振り向いた。
その獣人女は赤髪だった。短く刈り上げたような髪に大きな耳。全身鍛えられた体に傷が入っており、歴戦の勇士であることを隠す気がない。
防具は軽装で飾りがほぼなく、腰に手を当てて立っている。そして目つきが鋭く、嘘がない。
「グレイン……! 貴様がなぜここに」とゾルグ。
「ゾルグが「次は予算書を持っていく」と言い残してここにきたと聞いた。様子を見に来た」
「それだけか!?」
「それだけだ」
田中がグレインを見た。しばらく眺めた。
「お前、名前はなんだ」
「グレイン。四天王第二席、グレイン・ク——」
「グレ」
「縮めるな!」
「じゃあテリーだ」
「なんだそれは」
「餓狼伝説だ。おまえ、狼みたいな顔してる」
「俺の顔が狼か」
「悪い意味じゃない。毛並みがとても良い」
「フォローになってない」とはいうものの、グレインの顔は少し赤くなっていた。
「――で、グレかテリー、どっちがいい」
「どっちもいらない。グレインだ」
「長い」
「四文字だろうが!」とゾルグ。「俺は三文字で削られた!」
「黙れ。お尻ペンペンするぞ」
「グレかテリー、どっちだ」と田中が繰り返した。
「……」
「どっちだ」
「……グレ、でいい」
「わかった」
「今選ばせたよな!?」とゾルグ。
「黙れ」
(グレインさんが気づかないうちに命名されました)
(しかも自分で選びました)
(田中様の命名に抵抗できた人を、私はまだ見ていません)
(あと田中様のお尻ペンペンは本当にヤバイです......)
ネネがぼそりと言った。「テリーの方が良かったと思うぞ」
「魔王様。余計なことを言うな」
―――――
グレインが田中を正面から見た。
「計画書を見たか」
「見た」
「穴がいくつあった」
「数えていない。全部だ」
グレインが少し止まった。
「……なるほど」
(今「なるほど」と言いましたね)
(グレインさんが)
(田中様に対して)
「認めたわけじゃない」とグレインが言った。「ただ計画に穴がありすぎると言っただけだ」
「話が早い」
「褒めるな」
「褒めてない。事実だ」
「……」
(三十秒で意気投合しかけています)
(しかもグレインさん、自分では気づいていません)
グレインが腕を組んだ。少し離れたところに立っている。田中の側に、気づかないまま、半歩近づいていた。
「ゾルグには任せられない。俺が見る」
「それでいい」と田中。
「褒めてないよな」
「褒めてない」
「……ならいい」
「グレ、今どっち側に立ってる」とルコが言った。
「……俺は魔王軍だ」
「でも田中さんの隣に立ってますよ」
「立ってない」
「立ってますよ」
「……黙れ」
ゾルグが遠い目をした。「グレインまで……」
****
田中がゾルグの計画書を机の上に広げた。
「教えてやる」
「……なぜ」
エリュシアも同じことを思った。
(なぜ教えているんですか、この方は)
「計画書のない作戦は作戦じゃない。ただの思いつきだ」
「……それは」
「思いつきで動いて死ぬのは勝手だが、部下が死ぬ」
ゾルグが止まった。
田中の声は低かった。怒っているわけではなかった。ただ、事実として言った。
「まず収入を書け。次に支出を書け。余った分が使える予算だ」
「……それだけか」
「それだけだ。できるか」
「……やってみる」
グレインが少し離れたところで腕を組んで聞いていた。
(……当たり前のことを、当たり前に言っている)
(なのに、なぜこいつに言われると、俺の胸にこんなにも響くのだ)
ルコがゾルグの横に静かに座った。
「手伝います」
「お前も座るのか!?」
「計算が得意なので」
「……頼む」
ゾルグとルコが計画書に向かった。
(ゾルグとルコが計画書を作り始めました)
(田中様が教えています)
(グレインさんが黙って聞いています)
(……何が起きているんですか、今日は)
―――――
しばらくして、ゾルグが鉛筆を止めた。
「……できた」
田中が受け取った。開いた。今度は数字が入っていた。
「赤字だ」
「……」
「だが計算はある」
ゾルグが顔を上げた。
「……赤字は、ダメか」
「赤字は出発点だ。何が無駄かがわかる」
「……そういうものか」
「そういうものだ。次へ行く」
グレインがぼそりと言った。
「……その計画書、俺にも見せろ」
「なぜだ」とゾルグ。
「魔王軍の経費を見直す参考にする」
それを傍らで聞いていたネネが
「出来上がったら我に見せよ」と言った。
(グレインさんが「参考にする」と言いました)
(認めたわけじゃない、と言わなかったのは今日が初めてです)
(……記録します)
ネネが全員を見渡した。それから静かに言った。
「田中」
「なんだ」
「今日は……悪くなかった」
田中は何も言わなかった。
ルコが帳面を閉じた。「俺も今日は勉強になりました」
「お前は何を勉強した」とリッカ。
「計画書の作り方と、名前の付け方です」
エリュシア「後者はいりません!!」
*****
四天王二人が帰還した後の魔王城――
「なぜだ……なぜ俺が勇者に計画書の作り方を教わっているのだ……!」
「自業自得だ」「でも予算欄に数字が入ったのは進歩だよねぇ」と二方向から飛んだ。
ゾルグは計画書を見た。赤字だった。でも数字は入っていた。
「「それは確かに進歩だ」」
※おじさん解説!
計画書のない作戦は思いつきだ。
思いつきで動いて死ぬのは個人の自由だが、部下を巻き込むな。
まず収入を書け。次に支出を書け。余った分が予算だ。
赤字が出たら何が無駄かがわかる。それが出発点だ。
23年間、現場でそれをやってきた。常識だろうが。
※神界業務日報 第18回
本日の特記事項。
B級昇格が正式に確定しました。
四天王第四席ゾルグが計画書を持参しました。
予算欄はありましたが数字がありませんでした。記録します。
ネネが「田中の名づけだ」と自分から言いました。記録します。
「ゾ」という命名が確定しました。三文字が削られました。記録します。
四天王第二席グレインが現れました。
三十秒で「なるほど」と言いました。記録します。
「グレ」という命名が確定しました。本人が選びました。記録します。
勇者様がゾルグに計画書の作り方を教えました。
理由はわかりません。でも正しいです。
グレインさんが「参考にする」と言いました。
「認めたわけじゃない」と言いませんでした。記録します。
※魔王の家計簿 第18回
ゾルグが来た。
計画書に予算欄を作ってきた。数字はなかった。
田中に計画書の基礎を教わっていた。
グレインも来た。「なるほど」と言っていた。
最終的に計画書の経費見直しを「参考にする」と言っていた。
我は今日、「田中の名づけだ」と言った。
言ってから、少し恥ずかしかった。
でも撤回はしない。
ゾルグが初めて数字の入った計画書を作った。
赤字だった。でも少し、よかった。




