「ダンジョンでも、黒字にする」
セーブポイントがない世界で、田中剛は今日も前に進む。
それが不満なのかと言えば、不満だ。
ただそれで止まる男でもない。常識だろうが。
朝、ギルドでリッカが書類を持って待っていた。
「B級昇格の推薦を出したいんですが」
「ヨシコさん、手数料は」
「……無料です。あとリッカです!(いつになったら覚えてくれるんだろう)」
「なら聞く」
リッカが書類をテーブルに広げた。
「D級の依頼をD級の実力でこなしていない、とギルドが判断しました。正式な記録のため、立会人として同行します」
「好きにしろ」
「……あとルコ君を一人で行かせられないので」
「それが本音だろうが」
「……両方です」
ルコが横から言った。
「俺、一人で行けますよ」
「行けません」とリッカ。
「なんでですか」
「直感です」
「……そうですか」
(リッカさん、正しいです)
エリュシアは黙ってそう思った。
*****
古跡の迷宮は、ベッカーの外れにあった。
石造りの入口。苔が壁を覆い、奥からひんやりとした空気が流れてくる。かつて何かの遺構だったらしいが、今は魔物の巣窟になっている。冒険者ギルドが攻略依頼を出してから、すでに三つのパーティが途中で引き返していた。
田中は入口の前で立ち止まった。
「エリ、セーブポイントはどこだ」
「……ありません、そんなもの」
「ちっ、使えんな」
(「使えんな」言いましたね今。しかも舌打ちまで)
(女神に向かって)
(でも確かにありません)
(それが一番悔しいです)
「セーブポイントの代わりに入口付近の宿を確保する。それがセーブポイントだ」
「それはセーブポイントではありません!」
「近いだろ」
「全然近くにありません!!」
ネネが腕を組んで入口を眺めた。
「我の城にはセーブポイントがあるのかのう」
「魔王城にそんなもん、あるわけないだろ」と田中。
「……そうか、セーブポイントを用意しなければいけないのか」
「ラストダンジョンだろ。常識だろうが」
「うむ、帰ったら早速用意させよう!決めた!」
(いや魔王、あなたそれ攻められやすくなりますよ?いろんな意味で、いいんですかそれで)
エリシュアはこめかみに手を当てて、ため息をついた。
リッカが記録用の帳面を開きながら言う。
「あの……セーブポイントの概念、ギルドに提案していいですか」
「ヨシコさんの好きにしろ」
「します。あとリッカです」
ルコがすでに帳面に書いていた。「入口……付近……宿……確認……」
「ルコ君もメモしてる!?」
「参考になるので」
「何の参考ですか!!」
田中は入口を見た。奥は暗い。空気が重い。
「行くぞ」
五人で中に入った。
*****
通路は石畳だった。壁に古い燭台が並んでいるが、火はない。リッカが魔道具のランタンを出した。ネネが指先に小さな灯を作る。
田中が先頭を歩く。
角を曲がった直後、床に妙な石板があった。
田中が手を伸ばしてネネを止めた。
「踏むな」
「なぜわかった」
「光り方が違う。罠は踏んで覚えるな、見て避けろ」
「できればすべてのマップを方眼紙に書いて、ワープや落石などの罠の位置もすべて記せ。回転床もあるから気をつけろ。方角を見失って水と食料をなくせば、待つのは死だけだ」
「……覚えておく」
(昔のゲームの攻略本みたいなことを言っています)
(でも正しいです)
(この方、毎回そうなんです)
ルコが後方から覗いていた。帳面に何か書いている。
「お前、なんで後ろにいる」と田中。
「安全な場所から観察した方が学べると思って」
「それは正しい」
「戦いに来たんじゃないんですか!?」とリッカ。
ルコが顔を上げた。
「俺、戦うより見てる方が向いてると思うので」
「……そういうことですね」
リッカは帳面に何も書かなかった。
―――――
しばらく進むと、通路が広くなった。
天井が高い。中央に石柱が並んでいる。その間に、黒い影が三つ、四つ、動いていた。
魔物だった。犬ほどの大きさで、毛はなく、口だけが異様に大きい。
ネネが魔力を構えた。大きな魔法が来る。エリュシアがそれを感じた。
「待て」と田中が言った。
「なぜだ。倒せる」
「倒せるのと正解は別だ。魔力の回復コストを考えろ」
「…………」
「小分けにしろ。一体ずつ、最低限の魔法で仕留めろ」
「なんと地味な」
「地味なのが強い。常識だろうが」
ネネが渋々、小さな魔法を一体に向けて放った。
魔物が倒れた。
「……倒れた」
「そうだ」
「威厳はないな」
「威厳で回復コストは払えん」
ネネは何も言わなかった。
(……正しい。悔しい)
(魔王が魔力をケチり始めました)とエリュシアは思った。
(でもこれが正解なんです。それが一番困ります。勇者らしさはありませんけど)
―――――
次の通路に出た瞬間、田中が止まった。
十体以上いた。同じ種類の魔物が廊下の奥まで並んでいる。
田中がデコピンした。
先頭の魔物が霧散した。
次を手の甲で軽く振り払った。霧散した。
三体目が田中を見た。逃げた。田中がダンジョンの床に落ちている小石を拾って、下手投げでかるーく放る。逃げた魔物も――霧散した。
沈黙。
「……チートとはいえ」エリュシアが言った。「なんですかこれは」
「普通だろうが」
「普通ではありません!! デコピンで消えました!!」
「気合と根性が違う」
「そういう問題ではないと思います!!」
ネネが静かに言った。
「……我が千年かけて積み上げた魔力とは何だったのだ」
「無駄じゃない。お前は他のことに使え」
「……フォローなのかそうでないのかわからん」
ルコが帳面に書いた。「デコピン……一撃……霧散……」
「書かないでいいですルコ君!!」とリッカ。
「参考になります」
「まったくなりません!!」
*****
中盤、田中の腕に小さな傷が入った。罠の残滓が掠ったらしい。
「その傷」とエリュシアが近づいた。「ヒールします」
「唾でよくないか」
「よくないです!!!」
「昔はそうしていた」
「昔の話をしないでください!! ヒールします!!」
「コストがかかる」
「かかっていいです!!」
「お前、俺の傷は自動回復って言ってなかったか?」
「それはそうですけれど――魔法のほうがすぐ治療できますし」
「なら、唾でいい」
「ぜぇぇぇったいに唾はダメです!!」
(唾を許容したら女神として終わりです)
(そこだけは絶対に譲りません)
田中が渋々ヒールを受け入れた。コストがかかるを10回ほどぶちぶちねちねち言いながら。
ネネが真顔でメモした。「唾……却下……ヒール……強行……」
「お前もメモするな」と田中。
「大事なことだぞ」
「ルコ、お前も書いてるだろうが」
「書きました」
リッカ「……私だけ書いてないです」
「ヨシコさんが一番まともだ」
「そう言っていただけると……複雑です。あとリッカですって」
―――――
さらに奥、石造りの広間に入ったところで、床の一角が光った。
魔道具の罠だった。反応が速かった。エリュシアに直撃した。
田中が瞬時に動いた。
エリュシアの腕を引いて、光の中心から引き離す。
閃光が通路の壁を焼き、石が弾けた。煙が上がる。
数秒の沈黙。
エリュシアの手が、かすかに震えていた。
「怪我は」と田中が言った。
「……大丈夫です」
「大丈夫じゃない顔だ」
「……少し、びっくりしました」
田中が低く言った。
「ここでは神の力が抑制される。お前は死ねる」
エリュシアが止まった。
(死ねる)
(その言葉が、妙に重かった)
「……知っています」
「知ってるなら下がれ。前には出るな」
「……わかりました」
(声が、少し違いました)
(いつもと)
(……記録します。絶対に記録します)
ネネが後ろで黙っていた。
(我も、同じだ)
(この場所では、我も死ねる)
(田中は……わかっているのだろうか)
田中は何も言わなかった。
ただ前に向き直って、また歩き始めた。
*****
奥の広間に、中型の魔物が一体いた。
田中が動かなかった。
「なぜ攻撃しない」とネネ。
「三回見る」
「三回?」
「パターンを読む。動きを見てから攻める。常識だろうが」
「ゲームのボス戦ですか、それは」とエリュシア。
「ゲームも現場も同じようなもんだ」
一回目:見る。
二回目:見る。
三回目。
田中が動いた。
一撃だった。
「……速い」とネネ。
「見てたから速い」
(三回見ている間、私は何もできませんでした)
(でも一撃で終わったので何も言えません)
(毎回そうなんです、この方は)
**:**
ダンジョンの最奥を抜けた。
田中が素材を回収し始めた。魔物の残した素材、壁に生えた希少草、床の亀裂から覗く鉱石の欠片。一つ残らず拾っていく。
ルコが後方で帳面を広げた。しばらく計算していた。
「計算しました」
全員が振り向いた。
「素材の換算込みで、依頼報酬の1.4倍になります」
沈黙。
「お前、戦ってないな」と田中。
「計算の方が向いてると思って」
「……そうだな」
(戦闘中に収支計算をしていた少年がいます)
(しかも田中様が「そうだな」と言っています)
(なぜ驚いていないんですか、この方は)
「ルコ君、冒険者向きじゃないって自分でわかってますよね」とリッカ。
「わかってます」
「じゃあ……」
「でも計算は楽しいので」
「……そういうことですね」
―――――
帰り道、五人で並んで歩いた。
エリュシアが三人の後ろ姿を見た。
田中が前。ネネがその横。今日、二人の間に交わした言葉は少なかった。それなのに、ダンジョンの中で二人の動きは噛み合っていた。田中が前に出れば、ネネが側面を取っていた。エリュシアが下がれば、ネネが自然にカバーに入っていた。
教えていない。言っていない。
(いつの間に、こうなったのでしょう)
(気づいたら、動いていました)
(この方の隣にいると、なぜかそうなるんです)
(……私も、そうなっていました)
リッカが横でこっそり帳面に書いた。
「連携……自然発生……要因不明」
ルコが覗いた。
「俺も書きました」
「ルコ君も!?」
「参考になるので」
「……そういうことですね」
田中は前を向いたまま歩いた。
「今日の収支」
「黒字です」とルコが即答した。「1.4倍」
「よし」
それだけだった。
ネネが小さく笑った。誰も気づかなかった。
エリュシアだけが、見ていた。
*****
一方そのころ、魔王城の壮行会は五日目に突入していた。
「なぜだ……なぜ出発日を決めるだけで五日かかるのだ……!」
「装備がまだ揃っていない」「計画書の予算欄が空のままだ」と二方向から飛んだ。
ゾルグは拳を握った。「……明日こそは」
「「また明日か」」
※おじさん解説!
ダンジョンはゲームと同じだ。
まずセーブ。罠は見て避ける。パターンを三回読んでから攻める。方眼紙にマップをメモれ。
回復は惜しむな、使う時は使え。
ただし黒字で出てくるのが一番大事だ。
あと唾は現代では通じないので素直に回復魔法を使え。もとい病院に行け。
これも常識だろうが。
※神界業務日報 第16回
本日の特記事項。
「セーブポイントはどこだ」から始まりました。記録します。
「使えんな」と言われました。記録します。
デコピンで魔物が霧散しました。記録します。
傷に唾を提案されました。断りました。記録します。
「お前は死ねる」と言われました。
声が、いつもと少し違いました。記録します。
三人の連携が気づいたら成立していました。
私も、その中にいました。
いつからかは、わかりません。
※魔王の家計簿 第16回
本日の収支:黒字。1.4倍。
魔力消費:最小限。地味だった。正しかった。
デコピンで魔物が消えた。田中の横に立つのが少し怖くなった。
少しだけ、である。
「死ねる」という言葉を今日、田中が言った。
我のことも、同じだ。
それを田中が知っているかどうかは、聞けなかった。
帰り道、なぜか笑ってしまった。
理由は書かない。




