「天界の書類は、800枚ある」
前回、ガイジンさんが来た。
天界の偉い人らしい。書類が800枚あるそうだ。
無駄だ。
朝。宿の前に光の柱が降りた。
眩い光だった。思わず目を細めるほどの輝きで、金色の粒子が空気の中に溶けていく。荘厳なオーラが周囲に満ちて、道行く人々が足を止めて見上げた。どこをどう見ても、格の違う存在感だった。
田中が宿の入口から腕を組んで眺めていた。
「……誰だ、このぴかぴかする派手なガイジンさんは」
エリュシアが血相を変えて飛んできた。
「ちがいます! 主神ウルダ様です! 天界の! 最高位の!」
「ガイジンさんじゃないのか.....というから朝から近所迷惑だぞ」
「ちがいます!! 失礼なことを言わないでください!!」
光の柱の中心から、白衣に金の装飾をまとった人物が現れた。
齢のわからない顔。穏やかだが、その奥に途方もない重さを持つ目をしていた。
「……我は天界の主神ウルダ。エリュシアの上役に当たる者だ。勇者よ、久方ぶりに——」
「ガイジン」
「ちがいます!!!あと指をささないでください!!」
(主神への呼称が「ガイジン」になりました)
(天界始まって以来の事態だと思います)
(なんで私がツッコんでいるんですか)
ウルダは不思議そうな顔をしていた。怒っているわけでも困っているわけでもない。ただ、純粋に、この状況を分類する引き出しが存在しないような顔だった。
ネネが柱の影から腕を組んで眺めていた。「……なんか来よったな」
田中「お前、このガイジンの知り合いか」
ネネ「天界の偉い人らしい。我にはなーんも関係ない」
田中「そうか」
(二人して完全に他人事です)
(私はどうすればいいんですかぁ)
*****
ウルダは気を取り直した。長年培ってきた威厳と格式が、ようやくその姿を見せ始めた。
「勇者よ。今回参ったのは、ある報告を受けたからだ。君の行動が勇者の格式に著しく反しているとのことでな」
「誰からだ」
「それは言えん。報告者の保護は——」
「つまり根拠が確認できんということだな」
「……そういうわけでは」
「なら話にならん。次の話をしろ」
(報告者保護の制度が一秒で論破されました)
(主神が次の話に進もうとしています)
ウルダが仕切り直した。
「天界設立以来、千年以上続く伝統がある。勇者とは民に夢と希望を与え、格式をもって行動するものだ。君の行動は——」
「その伝統、いつからだ」
「……千年前より」
「それ以前の記録はあるか」
「……天界設立以前の記録は存在しないため——」
「つまり比較ができんということだ。効果の記録はあるか」
「……それは伝統であるから——」
「根拠のない伝統はただの習慣だ。無駄だ。そんなもんは削れ」
ウルダが止まった。
(主神がフリーズしています)
(千年続いた伝統が今、「習慣」と言われています)
(でも正しいんです……! それが一番困ります)
ウルダは止まったまま、何も言わない。
田中も何も言わない。
エリュシアも何も言えない。
ネネがふわぁぁと、大きな欠伸をした。
―――――
しばらく経過し――
ウルダがようやく口を開いた。彼にとってそれは次の手だった。
「それから、勇者には天界への定期報告の義務がある。書類にして800枚に及ぶ。これは神界規定第——」
「800枚のうち実際に読まれているのは何枚だ」
またウルダが止まった。
「……全て読まれておる。当然だ」
「読んでいる人間は何人だ」
「……担当者が——」
「一人が800枚読むのに何日かかる。その人件費は誰が払っている。読まれない書類を書く手間は全部無駄だ。削れる。常識だろうが」
(”勇者”に天界の書類制度を全面的に否定されています)
(でも計算が合っているので何も言えません)
(主神が頭を抱えています)
(私も......本当に頭を抱えています)
(でもそんなにイヤじゃないのは...なぜ......)
ウルダがゆっくり顔を上げた。
「……勇者よ。一つ聞いてもいいか」
「なんだ」
「なぜ、そういう見方をするのだ」
「仕事だからだ。23年やった。常識だろうが」
ウルダが黙った。今度は違う種類の沈黙だった。
「あと名前が長い。ウルさんでいいか」
「よくない!!!」(エリュシア)
「……ウルダだ」(ウルダ)
「ウルでいい」
(主神が自分で略しました)
(なぜ略したんですか)
(でもいちおうさん付けなんですね)
ネネがぼそりと言った。「……毎回そうなるな」
―――――
しばらくして、ウルダが言った。
「……エリュシア」
「は、はい」
「この勇者は、君が選んだのか」
エリュシアが少し間を置いた。
自然に、笑った。
「……そうです」
ウルダが何かを言おうとして、やめた。長い間、田中を見ていた。それから視線をエリュシアに移した。
去り際に一言だけ残した。
「……笑っていたぞ、エリュシア」
「業務上の問題はございません」
「そういうことを聞いたわけではないのだがな」
ウルさんがそういうと、彼の全身に光の粒子が集まって、光柱となり、消えていった――
(……今の顔は、業務報告書に書けません)
(でも)
(……でも、なんだろう。今日は、少しだけ気分がいいです)
*****
夕方になった。
田中が宿の外に出た。空がオレンジから紺に変わっていくのを見ながら、ポケットから煙草箱を取り出した。
昨日「明日にする」と言った、最後の一本だった。
ゆっくり火をつけた。煙が夕暮れの空気に溶けてゆく。田中はそれをただじっと見ていた。
急がなかった。最後だとわかっているから急がない、というわけでもなさそうだった。
そして――吸い切った。
空になった箱をポケットに戻した。ごみのはずなのに、彼は捨てなかった。
ネネがいつの間にか隣に来ていた。
「……切れたか」
「ああ」
「補充は」
「できんな」
少しの間があった。
「……エリ、チートで出せんのか」とネネがエリュシアを見た。
エリュシアが少し考える顔をした。
「技術的には可能です。ただ神界規定では、嗜好品の物質生成は上位申請が必要で——」
「申請しろ」と田中が言った。
「審査に三年かかります」
田中が黙った。
「論外だ 使えんな」
(チートルートが三年という壁に阻まれました)
(私のせいではありません。てか使えんってひどくないですか)
(でも、なんとかしたかったです。少し)
―――――
間が空いた。
「作れんだろうか」と田中が言った。
「タバコをか?」とネネが眉を上げる。
「葉っぱを乾燥させて巻けばいい。素材さえあれば作れるはずだ。この世界にも似たような植物はあるだろうが」
「……鍛冶スキルでは難しいと思いますが」とエリュシア。
「タバコの葉の栽培から加工まで、専門の農業・調合スキルが——」
「追加しろ」
「スキルの追加にも申請が——」
「何年だ」
「……農業スキルの追加申請は、審査が比較的早く、一年ほどで——」
「論外だ さっぱり使えんなお前は」
(チートも、自作も、全部論外になりました)
(また使えんって言われてしまいました......女神なのに)
(申請が早くて一年、という天界の感覚も、今この瞬間に論外になったと思います)
(この方、本当に何者なんですか)
ネネが腕を組んだ。
「……ということは、この世界で手に入る方法が今のところないということか」
「500Gなら手に入る」と田中が言った。
「神タバコか」
「そうだ」
「……買わんのか」
「500Gもするだろうが」
沈黙。
(「500Gもするだろうが」が全ての解決策を封じています)
(でも田中様にとって、それが答えなのです)
(……わかります。それが悔しいです)
―――――
田中が空の箱をポケットから取り出して、手の中で眺めた。
「俺の世界には、タバコミニケーションってのがあってな」
ネネが首を傾げた。「……なんだそれは」
「一服しながら話すと本音が出る。場が和む。距離が縮まる。昭和の常識だろうが」
「……それは本当に常識なのですか」とエリュシア。
「本当だ」
「……根拠は」
「俺が知っている。それが根拠だ」
エリュシアが口を開きかけて、閉じた。
(「俺が知っている」が根拠になっています)
(でも、この方が言うと、なぜか反論できません)
(なんなんですか、本当に)
ネネがしばらく考えてから言った。
「……つまり。お前のタバコが切れると、本音の話ができなくなるということか」
「そういうことだ」
三人とも、しばらく黙った。
夕暮れの風が吹いた。田中の髪が少し揺れた。
(……だから捨てないんですか、空の箱を)
(場所だったんですか、あれが)
(煙が出なくなっても、箱があれば——)
「……わかりました」とエリュシアが言った。「申請を急ぎます」
「三年かかるんだろうが」
「……善処します。なんとか早める方法を探します」
田中が少し間を置いた。
「……まあ、頼む」
エリュシアが一瞬だけ止まった。
「頼む」という言葉が、思っていたより重かった。
(……この方が「頼む」と言うのを、初めて聞きました)
(業務報告書に書きます。絶対に書きます)
ネネは何も言わなかった。
ただ、田中がポケットに空の箱を戻すのを、最後まで見ていた。
―――――
一方そのころ、四天王ゾルグの『魔王様奪還作戦・天界連携版』は、開始前から完全に終わっていた。
「なぜだ……天界の主神が動いたと聞いて好機と思ったのに、ゼフィーラからの報告が"主神が「ガイジン」と呼ばれて帰った"だけなのだ……!」
「情報収集だけは早いな」「把握しました~」と二方向から飛んだ。ゾルグは拳を握った。「……もういい。らちが明かん。俺が行く」
「「「止めはしない(しません~)」」」
※おじさん解説!
タバコミニケーションというのは昭和の文化だ。
一服しながら話すと本音が出る。場が和む。距離が縮まる。
上司も部下も、煙の前では少し素直になった。
灰皿の周りでしか言えなかった話というのが、確かにあった。
今の時代には通じない話かもしれんが、俺には通じた。
箱が空になっても、それは変わらない。
※神界業務日報 第14回
本日の特記事項。
主神ウルダ様の査察が完了しました。
主神の装いが「ガイジン」と評されました。記録します。
報告者保護制度が一秒で無効化されました。記録します。
千年続く伝統が「ただの習慣」と評されました。記録します。
天界の書類制度の見直しを求められました。対応中です。
嗜好品の物質生成申請を急ぐよう言われました。善処します。
農業スキル追加申請も検討します。一年を短縮できるか確認します。
私が笑っていたと主神に言われました。
業務報告書に記録する事項ではないと思い、省きます。
追記:「頼む」と言われました。記録します。
追記2:勇者は空の箱を捨てませんでした。理由は聞けませんでした。
※魔王の家計簿 第14回
田中のタバコが切れた。
それを作るのにチートなら三年。農業スキルで一年。どちらも田中的には論外だった。
神タバコは今日も「500Gだろうが」と断った。
タバコミニケーション、という言葉を初めて聞いた。
本音が出る場所、ということらしい。
我も今日、何か言おうとして言えなかった。
言えなかった、というのが正確かもしれない。
明日から、煙が減る。
それが少し、寂しい。




