「安いだけで、買うな」
市場は安い。だが、安いだけで飛びつくと、だいたいやられる。
今回は勇者が市場の罠を避けつつ、魔王の幼馴染まで増える回です。
翌朝、王道亭の食堂には、香草を利かせた焼き魚の匂いが流れていた。
皿の上には小ぶりな川魚、刻んだ芋と玉ねぎの炒め物、酸味のある漬け野菜、そして湯気の立つ薄い麦粥。昨夜の“腹にたまる飯”とは違う。軽いが、手は抜かれていなかった。
田中は魚の骨をきれいに外しながら言った。
「朝飯としては悪くない」
「褒め言葉が地味だねえ」
女将――マルタ・マルゲリータ・トマソン、もといトメさんが肩をすくめる。
「うまい、でいいだろうが」
「それをあんたの口から言わせるのが難しいんだよ」
ネネは木の匙で魚をつつき、眉を寄せた。
「骨が多いな」
「魚だからな」
「もっと食べやすくならぬのか」
「ならん、慣れろ。慣れたら効率が良い」
エリュシアは麦粥をすくいながら、ため息をつく。
「……食事の評価が、味ではなく手間と効率で決まるのですね、この方は」
「朝は特にそうだ」
「きっぱりしていますね……」
その横で、ルコが空いた皿を下げていく。まだ動きは危なっかしい。案の定、がた、と皿が鳴った。
「こぼすんじゃないよ」
「わ、分かってる!」
「分かってるやつは、そこでつまずかない」
「うっ」
田中が一瞥した。
「最低限の器用さはあると思ったが、まだ足りんな」
「褒めてんのか、それ!?」
「事実確認だ」
トメさんが笑う。
「今日は市場へ行くんだろ? 塩と乾物、それから補修糸を頼むよ。鍋の取っ手も少し緩んでてね」
「分かった」
ネネが顔を上げる。
「市場か。屋台もあるな?」
「あるだろうな」
「行くぞ!」
「待て。予算を決めてからだ」
「市場へ行くのに、先に予算を決めるのか?」
「常識だろうが」
ネネは腕を組んだ。
「市場は厳しいな……」
エリュシアが口を開く。
「布も見たいですね。旅用の替えが――」
「値段見てから言え」
「まだ最後まで言っていません!」
(本当に会話の途中で切るの、やめていただけませんか……!?)
田中は最後の一口を飲み込んだ。
「安いからという理由では買うな。必要だから買え」
ネネが真顔でうなずく。
「深いな」
「――いやとっても、浅いです......」
*****
ベッカーの青空市場は、朝からうるさかった。
野菜、干し肉、乾物、布、鍋、雑貨、屋台の煙。通りいっぱいに品物と声が広がり、歩くだけで財布が軽くなりそうな空気がそこにはあった。
ネネは市場に入った瞬間に右を向いた。そこには――
「焼き串!」
次の瞬間には左を向く。
「揚げ菓子!」
さらに正面。
「蜂蜜のやつもあるぞ!」
「全部は買わん」
「なぜだ!」
「腹は一つだ」
「だが食べたい気持ちは三つある!」
「知るか」
田中は乾物屋の前で止まった。
「先に必要品だ。塩、乾物、油、糸」
「屋台は」
「後だ」
「市場はやはり厳しいのだな……」
布屋の店主が、エリュシアを見て笑顔になる。
「おや、銀髪のお嬢さん。旅用に上等な布がありますよ」
エリュシアが手を伸ばしかけた瞬間、田中が切った。
「エリ、それ高い」
「え?」
「観光客価格だ」
「観光客ではありません!」
「お前の顔に書いてある」
「どこにですか!?」
田中は布をつまんで縫い目だけ見た。
「こっちでいい」
「そちらは地味では?」
「地味で丈夫なら十分だ」
「見栄えも必要なのですよ」
「市場でか アホかお前は」
エリュシアは黙った。
(正しい……! 正しいのですが、言い方が毎回最悪です……!てか女神にアホって......アホって......!)
乾物屋では、店主が三袋まとめて安くすると言ってきた。
「今なら三袋で20Gだよ!」
「二袋でいい」
「えっ、三袋の方が得だよ!?」
「使い切れん」
「でも安い!」
「安いは理由にならん」
田中は淡々と言う。
「使い切れないなら高い」
ネネが目を見開いた。
「おお……!」
「同じことでは?」とエリュシア。
「違う。余れば無駄だ。保管して湿気ても無駄だ」
店主が少し感心した顔になる。
「兄ちゃん、買い方分かってるねえ」
「常識だろうが」
その時だった。魔王を呼ぶ声がした。
「……ネネちゃん?」
花の妖精かのような、やわらかい声が飛んだ。
振り向いた先にいたのは、淡い水色と白のローブをまとった少女だった。花飾りの杖を持ち、どう見ても魔王軍には見えない。
だがネネは、はっきりと目を見開いた。
「フィルナ!?」
少女はぱっと笑う。
「やっぱりネネちゃんだぁ!」
「なぜここにおる!?」
「視察だよ~?」
「その格好でか!?」
「人間に溶け込んでるでしょ?」
エリュシアが一歩前に出る。
「この方……誰です?」
「我の幼馴染だ」
「魔王軍四天王が第三席・フィルナだよ。よろしくね」
ふわっと頭を下げたあと、フィルナは田中を見る。
「あなたが田中さん?」
「そうだ」
「ネネちゃん、すごく楽しそうだよ」
「そうか」
「反応が軽いな!?」
ネネが即座につっこむ。
フィルナは気にせず続けた。
「人間界の流れを見てきてって言われたの。神殿とか、市場とか、宿場町の空気とか」
「ちゃんと仕事で来ておるのか」
「うん。半分くらい」
「半分!?」
「もう半分は、ネネちゃんいたらいいなって」
ネネが少しだけ詰まる。
フィルナは次の瞬間、屋台の方を向いた。
「あ、焼き菓子だぁ」
「ぶれるのが早い!」
「視察だから!」
「何の視察ですか!?」
田中が言う。
「市場を一周してから買え」
「なるほど」
「素直すぎません!?」とエリュシア。
フィルナは本当に屋台の前で値段と大きさを見比べ始めた。
「こっちは安いけど小さいね。こっちは少し高いけど、二人で分けられそう」
ネネが真顔でうなずく。
「ちゃんと見ておるな」
「田中さんがそうしろって言ったから」
「やはり深いな」
「だから浅いですって!」エリュシアが言う。
田中は鍋を受け取りながら、フィルナを見た。
「フィルナ。お前の名前はそのまま呼びやすいな」
「えっ、ほんと?」
「短い。覚えやすい」
「やったあ」
「なんだその差は!?」
(私は勝手に“エリ”に削られているのですが!?1文字しか違いませんけど!?)
*****
買い物を終える頃には、荷物は必要なものだけでちゃんとまとまっていた。塩、乾物、油、糸、鍋。それにネネとフィルナの焼き菓子が一つずつ。エリュシアは結局、地味で丈夫な布を買っていた。
帰り道、フィルナがふと笑う。
「人間界、思ってたよりちゃんとしてるね」
「どんな想定だ」
「もっとぎすぎすしてるかと思ってた」
「してるとこはしてるだろうが」
「でも、ネネちゃん笑ってるし」
ネネが少しだけ黙る。
田中は荷物を持ち直した。
「騒がしいのが一人増えたな」
「一人ではありません、二人です!」とエリュシア。
「我まで含めるな!」とネネ。
「えっ、三人じゃないの?」とフィルナ。
「お前だよ!」と、三方向から声が飛んだ。
市場の通りに、朝より少しにぎやかな笑い声が残った。
―――――
一方そのころ、四天王ゾルグの『魔王様奪還作戦・先行視察版』は、開始前から半分終わっていた。
「なぜだ……なぜ視察に出しただけなのに、“ネネちゃん元気だったよ!”という感想だけが先に届くのだ……!」
「まず人選だろ」「当然の結果ですね」「だって本当に元気そうだったんだもん!」と、背後から三方向と一方向の声が飛んだ。
※おじさん解説!
安いものを買うのは悪くない。
ただし、安いことそのものを目的にすると、だいたい余るし、壊れるし、結局高くつく。
今回の田中が言いたかったのは、
「安いかどうか」ではなく「使い切れるかどうか」「本当に必要かどうか」を見ろ
という一点です。
まとめ買い、特価品、おまけつき。
どれもお得に見えますが、使わなければ全部“負け”です。
あと、フィルナはふわふわしていますが、あれでちゃんといろんなところを見ている子です。
ゆるそうに見えて、仕事は仕事でキッチリやるタイプ。
そこがネネの幼馴染らしい強さでもあります。
タバコ、残り1本。
※神界業務日報 第12回
本日の特記事項:勇者一行、市場にて買い出しを実施。
必要物資の調達は極めて合理的でしたが、途中で魔王側関係者一名が自然合流しました。
自然合流とは何なのでしょうか。報告書の分類に困っています。
なお、勇者様は市場においても一切ぶれず、
「安いは理由にならん。使い切れないなら高い」
と断言しておりました。
……その通りです。
その通りなのですが、毎回こちらの価値観を真正面から殴ってくるのは本当にやめていただけませんか。
追記:
フィルナというあの方、警戒すべきなのか、放っておいてよいのか判断に困ります。
あと私はまた自然に“エリ”と呼ばれました。
別に呼びやすいならそれでもよいなどとは、まだ一言も認めておりません。
※魔王の家計簿 第12回
本日の支出。
焼き菓子1個。
以上。
……本当は串焼きも揚げ菓子も蜂蜜のやつも食べたかった。
だが、今日は学びがあった。
安いだけで買うな。使い切れないなら高い。
なるほど。
市場とは、欲望のままに突撃する場所ではなく、一周してから判断する戦場なのだな。
あと、フィルナが来た。
視察と言っていたが、半分くらいは我を見に来た気がする。
あやつは昔からそうだ。
田中は相変わらず遠慮がない。
だが、フィルナのことは名前を省略しなかった。
短いからだそうだ。基準が雑である。
追記:
我は笑っていたらしい。
別にそんなつもりはなかったのだが、幼馴染に言われると少しだけ変な気分だ。




