「神殿の寄付は、気持ちで決めるな」
拠点は決まった。次は町の仕組みを見る。
……で、神殿に行ったら、やっぱり話がふわっとしていた。
今回は「善意」と「会計」を、勇者がぶった切る回です。
外へ出ると、宿の前の通りを小さな影が駆け抜けていった。
十歳くらいの細い少年だった。腕に抱えているのは、紙に包まれた丸パンが二つ。後ろから、屋台の店主が顔を真っ赤にして追いかけてくる。
「待て、こらっ! それ代金払ってねえだろ!」
ネネが目を細めた。
「追うか?」
「待て」
田中は短く言った。
「腹減ってる走り方だ」
「走り方で分かるのですか?」
「分かる。余裕がない」
(なんでそこまで分かるのです、この人……)
少年は角を曲がろうとして、石畳の段差に足を取られた。パンが一つ、地面に転がる。
店主が追いつくより早く、田中がそれを拾っていた。
「か、返せよ……!」
「その前に確認だ」
田中はパンを見下ろした。
「落とした。土もついた。店は損、お前は腹が減ってる。両方事実だ」
店主が息を切らして追いつく。
「そうだよ! ったく、最近のガキは――」
「で、いくらだ」
「……は?」
「パン二つの値段だ」
「ひ、一つ3Gだが……」
「高くないな」
「そこですか!?」
エリュシアが声を上げた。
田中は少年の前にしゃがみ込む。
「名前」
「……ルコ」
「家族は」
「……いない」
「最後に食ったのは」
ルコは目を逸らした。
「昨日の夜」
ネネの眉がぴくりと動く。店主も気まずそうに頭をかいた。
「いや、俺だって鬼じゃねえんだが……盗られたら商売にならねえだろ」
「そりゃそうだ」
田中は即答した。
「盗るな。そこはルコ、お前が悪い」
ルコの肩がびくっと震えた。
「だが」
田中は店主を見る。
「腹減ったガキが店先まで来てるのに、盗るまで気づかねえのも雑だ」
「なっ……!」
「売れ残りはどうしてる」
「固くなったやつは家畜用だが……」
「なら、雑用一回で一個食わせた方が安い時もある」
店主は口をつぐんだ。
(また始まりました……! でも、間違っていないのが腹立たしいです……!)
田中は6Gを店主に渡した。
「二つ分だ」
「いや、そこまで――」
「貸しだ」
「え?」
「こいつには後で働いて返させる」
ルコが目を見開いた。
「は?」
「盗った分は返せ。常識だろうが」
「でも……」
「空腹のまま説教しても頭に入らん。まず食え」
田中は、土のついていない方のパンをルコに押しつけた。
ルコは固まったまま、それを見た。
ネネがぽつりと言う。
「おぬし、優しいな」
「違う」
田中は即答した。
「空腹は判断を鈍らせる。次また盗れば、手間が増える」
(言い方……! 言い方が最悪です……!)
ルコは震える手でパンを受け取った。
「……なんで」
「腹減ってるガキを見つけたあとで、飯がまずくなるのが嫌なだけだ」
そう言って、田中は店主を見る。
「こういうガキが食える場所はあるか」
店主は少し迷ってから答えた。
「神殿の出張所で、たまに炊き出しみたいなことはやってる。だが、寄付した連中がどうの、順番がどうのって、面倒でな……」
田中の眉がぴくりと動いた。
「……気持ちで飯を配ってるのか?」
「まあ、そんな感じだ」
田中はルコを見た。
「今夜はトメさんとこで皿洗いだ。飯代とパン代、少し返せ」
「えっ、うちでかい?」
宿の入口から顔を出したトメさんが、腕を組んで笑った。
「別にいいよ。手癖が悪いなら、先に手を働かせりゃいい」
ルコはきょとんとしたあと、小さくうなずいた。
田中はそれだけ確認して、宿へ戻る。
「明日、神殿へ行く」
「市場ではないのか?」
ネネが聞く。
「先に神殿だ」
エリュシアが嫌な予感に眉をひそめた。
(ああ、だめです。これは絶対に、ろくでもない流れです……!)
*****
翌朝、王道亭の朝飯は、昨夜と同じくきちんとうまかった。
焼き目のついたパンに、少し塩気の強い卵料理。薄切りの肉と豆の煮込みに、湯気の立つ野菜の吸いものまでつく。派手さはない。
だが、腹が満たされる。食べたぶんだけ、ちゃんと元気に動ける食事だった。
ネネは朝から機嫌がよかった。
「うむ。やはり、この宿は当たりだな」
「だろうが」
「もう我より先に言うのをやめぬか」
文句を言いながらも、ネネの手は二個目のパンに伸びていた。
女将――マルタ・マルゲリータ・トマソン、もといトメさんは、その様子を見て鼻を鳴らした。
「よく食べるねえ、その子」
「我は魔王。まだまだ育ち盛りなのだ」
「誰も信じてないだろうが」
そう田中が言うと、ネネは少しだけ口をへの字にした。
昨夜の時点ではっきりしたが、この町の大人たちは、ネネの「我は魔王だ!」を本気で受け取っていない。小柄な女の子が黒い姿で堂々と名乗っているので、「変わった子だねえ」で処理されてしまうのである。
エリュシアは湯気の立つ椀を両手で持ちながら、疲れた顔をした。
「……慣れてはいけないのですが、少し慣れてきました」
「何にだ」
「この異常な状況すべてにです」
田中はパンをちぎって口へ放り込む。
「拠点は押さえた。次は周辺確認だ」
「市場か?」
ネネが聞く。
「市場もだが、その前に神殿だ」
エリュシアがぴくりと顔を上げた。
「……やはり、行くのですね」
「位置だけでも見ておく。いざって時に迷うのは無駄だ」
そこまではよかった。
だが、田中は次の一言で空気を変えた。
「神殿はだいたい高い」
「また始まりましたね……!」
エリュシアが眉を上げる。
「高いのではありません。寄付と感謝で成り立っているのです」
「それがいちばん危ない」
「なぜだ?」
ネネが即座に食いついた。財布と固定費の話が絡む時の顔である。
田中は当然のように答えた。
「値段が曖昧だからだ」
「曖昧……?」
「相場が分からん。断りづらい。空気で上乗せされる。いちばん金が飛ぶ」
ネネが深くうなずく。
「なるほど。怖いな」
「怖くありません!」
エリュシアが反射で言い返した。
「神殿の寄付は、信仰と善意の表れなのですよ」
「善意と会計を混ぜるな」
田中は一言で切った。
エリュシアは口を閉じた。
その言い方は最悪だ。最悪なのだが、昨夜のルコの件を思い出すと、まったく反論できないのがさらに腹立たしかった。
(やめてください、身内の悪習に真正面から正論を刺さないで……!)
*****
ベッカーの神殿出張所は、町の中央から少し外れた場所にあった。
王都の大神殿ほど大きくはない。だが、白い壁はきれいに磨かれ、窓辺の花も整えられている。入口の前には、旅人や町人が数人並んでいた。軽い怪我をした者、薬を求める者、手を合わせるだけの者。小さな施設だが、人の出入りは多い。
「見た目はまともだな」
田中が言う。
「神殿ですから」
エリュシアが少しだけ誇らしげに胸を張る。
「当たり前だろうが」
「いちいち刺さる言い方をしないでいただけますか?」
中へ入ると、若い神官が柔らかい笑みで迎えた。
「ようこそ。お困りごとでしょうか」
その視線がエリュシアに向いた瞬間、神官の顔色が変わった。
受付の神官が、エリュシアの顔を見てふと息をのんだ。
「ま、まさか……あなた様は」
「違います。今はただの同行者ですので、お気になさらず」
田中が横から口を挟む。
「で、軽傷治療はいくらだ」
空気が一気に現実へ引き戻された。
「え、あ、はい。軽いお怪我であれば、お気持ちの寄付で」
「解毒は」
「皆様の信仰に応じて」
「旅人向けの簡易治療は」
「神の御加護に定まった値はございません」
田中は、嫌なものを見る顔になった。
「……話がふわっとしてる」
「えっ!」
神官の笑顔が少しだけ引きつる。
エリュシアがすかさず前へ出た。
「これは神殿として自然な形式です。神聖な行いに、いちいち値札をつけるほうが――」
「下品か?」
「そこまでは言っていませんが、近いです」
「曖昧請求の方が下品だ」
神官がとうとう眉をひそめた。
「神への寄付を、そのように仰るのは」
「寄付そのものが嫌いなわけじゃない」
田中は受付台を指で軽く叩いた。
「善意に漬け込むやり方が嫌いなんだ」
その一言で、空気が少しだけ止まった。
「漬け込む、とは……」
「払いたい奴が払うのは勝手だ」
田中は淡々と続ける。
「だが、払わないと悪いことをしてる気にさせるやり方は嫌いだ」
ネネが目を丸くした。
エリュシアの喉も、そこで一度詰まる。
田中はさらに言った。
「子供が前に立ってりゃ、かわいいから払うに決まってるだろうが」
「……は?何を言って――」
「だが、それを分かってて前に立たせるやり方は嫌いだ」
神官は何か言い返そうとして、言葉を失った。
ちょうどその時、横の長椅子で旅装の老夫婦が、治療を終えて受付の前で戸惑っていたからだ。
「ええと……このくらいで、足りますでしょうか」
差し出された硬貨を見て、神官見習いらしい少女が困った顔をする。
「いえ、その、お気持ちですので……」
老夫婦の方は、逆にますます不安そうになった。
「少ないのなら、もう少し……」
「いや、でも、こんなに頂くわけにも……」
田中が横から口を挟んだ。
「先に額を出せ」
また空気が止まった。
「額、ですか?」
「目安だ。擦り傷なら3G、打撲なら5G、解毒なら15G。何でもいい。先に出せ。そうすりゃ迷わん」
神官は困惑したまま首を振る。
「神殿は商売ではありません」
「なら慈善で全部無料にしろ」
「それは維持ができません」
「なら最初からそう言え」
田中の声は低いまま、少しも大きくならなかった。
だが、言葉の刃だけははっきりしていた。
「維持費がかかる。人手もいる。薬草も仕入れる。そこまでは分かる」
「でしたら――」
「だったら明朗会計にしろ」
神官が黙る。
「信仰は勝手に積め。寄付は自由でいい。だが、治療の目安額は最初から見えるようにしろ」
老夫婦が、ちらりと田中を見る。
後ろで待っていた旅人たちも、同じ顔をしていた。明らかに、その方が助かると言いたげな顔だ。
エリュシアは、こめかみを押さえた。
(やめてください……やめてください……!
でも、初見の旅人に優しいのは、どう考えてもそちらなのですよ……!)
ネネは真剣な顔で腕を組んだ。
「なるほど。寄付と徴収は違うのだな」
「そうだ」
「威厳にも予算はいるが、曖昧請求はたしかに怖い」
「そうだ」
「財布の話、やはり深い」
「そこへ落ち着くのですね、あなたは……!」
エリュシアがつっこんだ。
神官はしばらく黙っていたが、やがて奥から年配の司祭が出てきた。話は聞こえていたらしい。
「旅の方、いえ勇者様――」
「何だ」
「言い方はどうかと思いますが……一理ございます」
「でしょうね!」
エリュシアは反射で叫んでから、はっと口を押さえた。
司祭は苦笑する。
「最低額ではなく、あくまで旅人向けの参考額として、簡易掲示を出すことは検討しましょう」
「最初からそうしろ」
「はいはい。勇者様は、厳しいお方だ」
田中はそれ以上追わなかった。
満足したというより、当然だという顔で引く。そこがまた厄介なのだ。
*****
神殿を出ると、外の空気は少しだけ温かかった。
田中がポケットに手を入れた。指先が箱の底に触れた。
残り、2本。
田中は何も言わず歩き出した。
ネネは歩きながら、ぶつぶつ繰り返している。
「気持ちで値段を決めるな……寄付と徴収は違う……」
「何だ、その顔は」
「我、魔王城の祝賀費も見直したくなってきた」
「当然だ。すぐに見直せ」
「うむ」
エリュシアは隣で、まだ完全には納得していない顔だった。
「……神殿の慣習にも、意味はあるのですよ」
「あるだろうな」
「でしたら」
「だが、分かりにくい」
田中はそれだけ言う。
「初見に優しくない仕組みは続かん」
エリュシアはしばらく黙った。
そして、小さく息を吐く。
「……最低限の目安だけでも、あるべきなのかもしれません」
「最初からそう言え」
「本当にあなたは、その一言を必ず入れないと気が済まないのですね!」
田中は答えず、通りの先を見た。
「で、エリュシア。次は市場だ」
「……いま、普通に呼べたではありませんか」
「……長い」
「またですか!?」
「もうエリでいいだろうが」
「よくありません!」
「二文字だ。安い」
「人の名前を値札みたいに言わないでください!」
田中はもう歩き出している。
「行くぞ、エリ」
「強行突破しないでください! まだ私は認めていませんからね!?」
エリュシアは抗議しながら追いかけ、三歩あとで小さく咳払いした。
「……まあ、呼びやすいなら、それでも別に、私は――」
「認めてるじゃないか」
「認めてません!」必死にエリが否定する。
ネネが横でうなずく。
「エリ。たしかに短くてよいぞ」
「あなたは黙っていてください、魔王!」
エリュシアの声が通りに響く。
田中は振り返りもしなかった。
(だめです。
雑に呼び方を削られているだけなのに、少しだけ嬉しいのは女神として本当にだめです……!)
―――――
一方そのころ、四天王ゾルグの『魔王城再建計画・救出費併記版』は、すでにどちらが主目的か分からなくなっていた。
「なぜだ……なぜ救出作戦なのに、“寄付の目安額”の欄まで増えているのだ……!」
「やっぱまず予算だろ」「間違いないですね」「ネネちゃん、便りがないのは無事の証拠だよ!」と、背後から四天王の三方向の声が飛んだ。
フィルナ「……よし、私が視察に行ってきまぁーす!」
※おじさん解説!
今回の話のポイントは、寄付そのものが悪いわけではないということです。
田中が嫌っているのは、寄付や善意そのものではありません。
善意に漬け込むやり方、つまり、
・払わないと悪いことをしている気にさせる
・値段が決まっていないので断りにくい
・空気で多めに払わせる
・「お気持ちで」と言いながら、実質的には請求になっている
こういう仕組みのほうです。
田中は冷たいのではなく、むしろ逆で、
「払いたい人が払う」のと
「払わされる空気を作る」のは別だと思っています。
あと、子供が前に立っていたら寄付したくなるのは普通です。
かわいいからです。
でも、その“断りづらさ”まで計算に入っている仕組みは好かん、というのが今回の本音でした。
なお、エリュシアは神殿側の理屈も分かるので、今回かなり胃が痛い回でした。
そして名前は、ついに「エリ」まで削られました。
雑なのに、ちょっと嬉しい。
だいぶ進行しています。
※神界業務日報 第11回
本日の特記事項。
勇者一行はベッカー神殿出張所を訪問。
受付神官が私の存在に気づきかけたため、即座に誤魔化しました。
その直後、勇者は治療費・解毒費・寄付額の目安を確認。
神殿側の「お気持ちで」「信仰に応じて」「定まった値はありません」を、
まとめて「話がふわっとしてる」で切り捨てました。
さらに、
「善意と会計を混ぜるな」
「気持ちで値段を決めるな」
など、聞く側によっては胃痛を催す正論を連発。
結果として、旅人向けの参考額を簡易掲示する流れになりました。
私の所感としましては、
言い方は最悪です。
ですが、初見の旅人に優しいのは、間違いなくそちらでした。
追記。
……あと、名前が削られました。
エリュシア → エリ、です。
意味が分かりません。
分かりませんが、強くは否定しきれなかった自分が一番意味不明です。
※魔王の家計簿 第11回
本日の学び
・寄付と徴収は違う
・気持ちで値段を決めるな
・曖昧請求は怖い
・威厳にも予算はいるが、会計は明確にしたほうがよい
本日の感想
神殿は、もっと神秘的な場所かと思っていた。
だが田中の話を聞くと、たしかに「わからぬまま払う」のは少し怖い。
あと、エリュシアの名前が「エリ」になった。
短くて覚えやすい。
本人は怒っていた。
でも少しだけ嫌そうではなかった。たぶん。
なお我は、魔王城の祝賀費と装飾費を見直したくなった。
これは良い学びである。




