「宿は、飯を食う場所だ」
王都は高い。だから出た。
勇者なのに、まず宿代と飯代を見直します。
そして今回は、ベッカーで拠点になる宿を決める話です。
宿場町ベッカーが見えたのは、日が少し傾いたころだった。
王都アルカディアほど白くも整ってもいない。石畳はところどころ欠け、道の端には荷車の轍が残り、風に乗ってくるのは花の香りではなく、干し草と焼いた肉の匂いだった。
田中は町並みを一目見て言った。
「うむ―悪くない。王都よりマシだ」
「褒めているのか、けなしているのか、よくわかりませんね……」
エリュシアが疲れた声で言う。
王都を出てから、田中は転送魔法を拒否し、「足で移動しろ。地形を覚える。それに足腰が鍛えられる」と言って歩かせたのだ。
ネネは町へ入るなり、目を輝かせた。
「おお……店が多いな!」
黒い鎧姿の小柄な少女が、胸を張って堂々と言うものだから、かえって芝居じみて見える。
「最近は、ああいう遊びが流行りなのかねえ」
通りの商人がぼそっと言った。
「知らんよ」
隣の店主が流す。
ネネはふふんと鼻を鳴らした。
「見たか。民が我の存在感に気づいておる」
「違うだろうが」
「む?」
「ただの変わった子扱いだ」
「なっ!」
エリュシアが咳払いをした。
「……その、今の見た目で『我は魔王だ』と言われても、普通は本気にしないかと」
「なぜだ! ちゃんと名乗っておるぞ!」
「見た目だ。常識だろうが」
田中はそれだけ言って、通りの奥へ進む。
(勇者よ。正しいのですよ。正しいのですが、言い方が……!)
エリュシアは内心だけで呻いた。
「RPGでは街についたら、まず宿だ」
田中が言う。
「宿代、飯、風呂、追加料金。全部見る」
「先に冒険者ギルドではないのですか?」
「腹が減った状態で判断するな。ミスる」
「それは、たしかにあるな!」
ネネが元気よく乗った。
*****
最初に入ったのは『寝るだけ亭』だった。
名前からして嫌な予感しかしなかったが、予感は当たった。廊下は狭く、壁は薄い。寝台はきしみ、毛布は薄く、扉の立てつけも甘い。
「一泊いくらだ」
「雑魚寝で十G、個室は十八G」
「飯は」
「朝だけ。夜は別よー」
「風呂は」
「二G追加でーす」
「荷物預かりは、自己責任」
田中は夕飯の皿を横目で見た瞬間、踵を返した。
「次」
「え、もうですか!?」
「安い宿じゃない。高くつく。接客も悪い。」
外へ出ながら、田中は淡々と言う。
「飯が弱い。夜を外で足す。風呂も別。結果、金が飛ぶ」
「……たしかに」
エリュシアが思わずつぶやいた。
(悔しいですが、正しいです……!)
ネネも腕を組んでうなずく。
「なるほど。安い宿は、安い顔をした『高い宿』なのだな」
「そうだ」
田中は次の看板を見た。
『王道亭』。
入口の戸が開くたび、焼いた肉とスープの匂いが流れてくる。
「ここだな」
「まだ何も聞いていないではありませんか」
「匂いで分かる」
「分かるのですか!?」
「飯をちゃんと出す宿だ」
(この方、勇者というより宿の査定士なんかでは……?そんなクラス、この世界に設定してあったかしら......)
*****
宿の中は、騒がしすぎず静かすぎず、ちょうどいい。机はよく拭かれ、店内にも無駄な散らかりがない。
帳場の奥から女が出てきた。腕まくりした三十代後半ほどの女将だ。客を見る目だけは鋭い。
「三人かい?」
「泊まれるか」
「空いてるよ。夕飯つき、朝飯つき。風呂は宿代込み。部屋は二つまでならすぐ出せる」
田中が矢継ぎ早に聞く。
「一泊」
「一人二十八G」
「量は」
「足りなきゃパンとスープは少し足せる」
「追加料金は」
「酒と夜食は別」
「荷物預かり」
「やる」
「連泊値引きは」
「三日目から二G引き」
田中は即答した。
「ここにする」
「まだ部屋も見ていないのですが!?」
「話が早い。まともだ」
女将が少しだけ笑った。
「気に入った。じゃあ宿帳を書きな」
分厚い宿帳がどんと置かれる。
田中は迷いなくペンを取り、さらさらと書いた。
――疾風のソニック・ザ・ヘッジホッグ
エリュシアが固まった。
「……はぁ!?」
「俺の名前だ」
「イヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤ、ぜんっぜん!違いますよね!?」
「初対面の輩に本名を出す必要はない。常識だろうが」
「どこの常識ですか! というか前とも違うではありませんか! またですか、また違う名前なのですか、あなたは……!」
女将は宿帳をのぞき込んで肩をすくめた。
「長いねえ。ソニックさんでいいかい」
「いい」
「いいのですか!?」
「呼ぶ側のコストが高い」
「名前にコスト計算を持ち込まないでください!」
ネネがのぞき込む。
「速そうでよい名だな」
「だろうが」
「そこは誇るところではありません!」
女将は自分の胸を親指で示した。
「あたしはマルタ・マルゲリータ・トマソン。ここの女将だよ」
田中は、少し考えて――
「長い」
「は?」
「トメさんでいいか」
「なんでそれなんだい」
「呼びやすい」
女将は一瞬固まり、すぐに豪快に笑った。
「雑だねえ!ま、いいさ、好きによびな!」
ネネも吹き出す。
「たしかに宿の女将っぽい」
「また勝手に略した……!いや正確には略してない!!」
エリュシアは額を押さえた。
(この方、本当に他人の名前をそのまま覚える気がないのですよ……!)
*****
出てきた夕飯は派手ではなかった。
だが、皿に無駄がない。焼いた肉、豆の煮込み、香りのよいパン、塩の利いた漬け物。腹にたまるものを、きちんと出している。
ネネが一口食べて、目を見開く。
「うまい!」
田中はうなずいた。
「だろうが」
「おぬしはもう食べたことがあるような感想だな!」
「匂いで分かる」
「本当に分かるんでしょうか、それ……」
エリュシアも口をつけ、否定できなくなった。
(……これは、たしかによい宿です)
王都の宿のように、見た目だけ豪華で中身が軽い料理ではない。食べたぶんだけ、ちゃんと力になる味だった。
田中はスープを一口すすって言う。
「宿は寝る場所じゃない。飯を食う場所だ」
ネネが真面目な顔でうなずく。
「覚えた」
「風呂と鍵も大事だがな」
「それも覚えた」
「あと、安い宿は安い顔して高い」
「それもだ!」
マルタが空いた皿を見て鼻を鳴らした。
「どうだい、トメさんの宿は」
「悪くない」
「それは褒めてんのかい?」
「かなり褒めてる」
マルタは満足そうに笑った。
「じゃ、部屋は用意しとくよ。厄介事は持ち込むんじゃないよ」
三人そろって、少しだけ目を逸らした。
「……その顔、持ち込む気だね?」
「予定は未定だ」
「いちばん信用できない答えだよ」
店内に小さく笑いが起きる。
田中は椅子から立ち上がった。
寝床、飯、風呂、値段。どれも悪くない。拠点としては十分だ。
「しばらくここを使う」
その時だった。
外から、子供の叫び声と誰かの怒鳴り声が聞こえた。
「待て、こらっ! それ代金払ってねえだろ!」
ばたばたと走る足音。
ネネが顔を上げる。
「……事件か?」
田中は立ち上がった。
「飯の後に走らせるな。カロリーの無駄だろうが」
そう言いながら、もう外へ向かっていた。
エリュシアは立ち上がり、心の中だけでつぶやく。
(本当に、困った勇者様です)
――――――
一方そのころ、四天王ゾルグの『魔王様奪還作戦・改訂第七案』は、まだ表紙しかできていなかった。
「なぜだ……なぜ救出作戦なのに、必要経費の欄だけが増えていく……!」
「まず予算だろ」「ですね」「水晶で見てたけど、ネネちゃん、楽しそうでよかった!」と、背後から四天王の三方向の声がゾルグへ一斉に飛んだ。
なお、魔王様本人はそのころ、宿の飯をおかわりしていた。
――――――
※おじさん解説!
宿屋のおかみや鍛冶屋が、ネネの「我は魔王だ!」にあまり動じないのは、今のところ本気で信じていないからです。
見た目は小柄な子供寄り。
しかも本人は妙に堂々としていて、田中もエリュシアも普通に流している。
そのせいで周囲からは、
「旅の一座の設定遊びか?」
「ちょっと痛い名乗りか?」
「黒い服が好きな変わった子か?」
くらいに受け取られています。
つまり、怖がられていないというより、
そもそも魔王として認識されていないわけです。
人は案外、目の前に本物がいても、
「そんなはずがない」
のほうを先に選びます。
あと田中が平然としているので、まわりの大人も
「じゃあ大丈夫なんだろう」
で流しています。
大丈夫ではないです。たぶん。
なおネネ本人は、けっこう本気で名乗っています。
でも見た目と空気で損をしています。
威厳にも、たぶん年齢制限があります。
※神界業務日報 第10回
本日の特記事項。
勇者一行は宿場町ベッカーにて宿を確保。
宿の選定基準が「勇者としての格式」ではなく、「飯の量」「追加料金の有無」「風呂代込み」であった点について、神界基準では理解不能です。
さらに勇者は宿帳に本名を記さず、長い偽名を使用。
女将の正式名も即座に省略し、勝手に別名で呼び始めました。
私の所感としましては、
勇者の対人距離感は壊滅的です。
追記。
それでも宿選び自体は、悔しいですが正しかったです。
飯は大事です。非常に大事です。
……認めたくありませんが。
※魔王の家計簿 第10回
本日の支出
・宿代
・夕食代
・たぶん明日の朝食代も込み
・よって悪くない
本日の学び
安い宿は、安く見えて高くつく。
飯が弱い宿は敗北。これは覚えた。
あと、我はちゃんと「魔王」と名乗った。
なのに女将は少しも驚かなかった。
旅の芸か何かだと思われたらしい。
……解せぬ。
だが田中は気にしていなかった。
なので、まあよしとする。




