「召喚されたが、まず報酬の話をしたい」
◆ 序文 ◆
勇者というのは、たいてい若くて、チートで、世界を救う使命に燃えている。
女神に選ばれ、最強の力を与えられ、感謝と称賛を受けながら魔王を倒す。
そういうものだと、俺も思っていた。
だが現実は違う。
召喚された瞬間、まず確認すべきことがある。
――報酬は、いくらだ?
*****
気がつくと、白い空間にいた。
(……来たわね)
女神エリュシアは、静かに目を細めた。
今代の勇者。召喚の光が収まると同時に、人影が現れる。
(どんな若者かしら。今代の魂は、歴代でも群を抜いていたのだけれど)
光が消えた。
(…………)
エリュシアは、三秒、沈黙した。
(なに、このおっさん)
立っていたのは、中年の男だった。
薄くなりかけの髪。くたびれたスーツに、たるんだ腹。目の下にクマ。
膝が微妙に曲がっているのは、慢性的な腰痛のせいだろう。
(ちょっと……よりによってこの方が今代の勇者……!?)
エリュシアは内心で天を仰いだ。が、プロとして、表情は崩さない。
「あなたが田中剛さんですね。私は天界より遣わされた女神、エリュシアと申します。あなたには勇者として――」
「報酬は?」
(は!?)
「世界を救ったらいくらもらえる?」
(報酬!? 最初の一言が報酬!?)
千年以上、勇者の召喚に携わってきた。
だが報酬を最初に聞いてきた勇者は、一人もいなかった。
「それは……世界の平和という、何物にも代えがたい――」
「換金できるのか、それは」
(…………)
「……チートと若返りを提供いたします。それでは不十分でしょうか」
「若返りの年齢は」
「十六から十八歳ほどを予定しております」
「チートの内容は」
「ステータス全項目、異世界人の上限値の十倍でございます」
田中が、少し考えた。
「やる。ただし条件がある。魔王討伐後の報酬として金貨一万枚。冒険中の経費は全額そちら負担だ。領収書は毎月経費を計上してきっちり出す」
(……この方、本当に何なの。てか領収書って!いらないよ!私女神だよ!チートできるよ!お金いくらでも出せるよ!!)
「……わかりました」
エリュシアは、小さくため息をついた。
*****
「では、若返りとチートの付与を始めますね。まず儀式の準備を――」
エリュシアは呪文書に手を伸ばした。
「遅い」
手が止まった。
「……は?」
「時間の無駄だ。さっさとやれ」
「し、しかし手順というものがございまして……呪文書を開いて、触媒を用意して、詠唱の準備が――」
「後でいい。すぐやれ」
「いえ、儀式なしに付与するのは前例がございませんので――」
「前例を作ればいい。なんでやれないんだ」
(こんな方、初めて……!)
エリュシアは呪文書を閉じ、手をかざした。
光が田中を包んだ。三秒で終わった。
*****
光が引くと、そこに立っていたのは別人だった。
精悍な顔立ち。鍛えられた体躯。推定、十七歳。
くたびれたスーツだけが、さっきのままだった。
(……悔しいけれど、格好いい)
田中は自分の手を開いて、閉じて、また開いた。
「膝が鳴らないな」
「十七歳の体ですので」
「腰も痛くない」
「当然でございます」
「ステータスは」
「全項目、異世界人の上限の十倍です。理論上、魔王を一撃で倒せます」
「……ダメだ」
(は!?)
エリュシアが、固まった。
「な……なにがダメなのですか。数値は完璧でございますよ?」
「数字だけ上がっても意味がない」
「意味が……ない……?」
「体で覚えていない力は、本物じゃない」
「あ、あなたは今、異世界人の十倍の強さが――」
「まずは腕立て、千回からだ」
(…………は!?)
*****
田中に言われて、しぶしぶ私と彼は、天界の修練場に移動した。
(ほんと、なんなのコイツ!?あなたのステータスは10倍以上ですよって何度言っても、「体に覚えさせなきゃ意味がない」って……)
田中は腕立てを始めた。
一回、二回、三回。
(当然すぐ疲れて……)
百回。止まらない。
五百回。まだ続けている。
(チートで体力が無限だから当然だけど……)
千回。田中が立ち上がった。
「……チートのせいで疲れない。時間の無駄だった」
(じゃあなんでやったの!?)
「次は走り込みだ」
「転送魔法がございます。どこへでも瞬時に――」
「――当然、この足で行く。交通費の節約になる」
(交通費!? 異世界に交通費の概念なんてあったかしら!?)
田中は走り始めた。
エリュシアは、それを黙って見ていた。
(魂の質は歴代最高。なのに、この方は……)
走りながら、田中が言った。
「ポーション代がもったいないから、傷の治し方を練習する。場所はどこだ」
「あなたはチートで瞬時に回復するので、傷自体つきません」
「じゃあポーションは一生買わなくていいな。経費が浮いた」
(……この方は)
エリュシアは、じっと田中の背中を見た。
(本当に、なんなの)
不思議なことに、その言葉に
召喚直後とは違う響があった。
*****
三日後。
「では、異世界へ出発いたしましょう」
「待て」
(また!?)
「まだ走り込みが足りない」
「十分すぎるほどでございます。そろそろ――」
「ファミコンのRPGでいきなり魔王城に突っ込む奴はいない。準備してから行く。常識だろうが」
「あなたは既に理論上無敵でございます」
「気持ちの問題だ」
(気持ちの問題なの!?)
――10時間後。
ようやく走り込みが終わった。
「では、異世界へ参りましょう。私は天界へ戻り――」
「お前も来い」
エリュシアの手が止まった。
「……は?」
「チートできるんだろうが」
「それは、支援の範囲で――」
「使える。来い」
(つ、使える!?)
「わ、私は女神ですよ!? 天界に戻って管理業務が――」
「経費削減だ」
「経費!?」
「タダで最強の戦力が一枚増える。断る理由がない。《《常識》》だろうが」
(チート女神が経費削減枠で現地召集されています......)
「……わかりました」
「……では出発前に、異世界での御名をお伝えします」
エリュシアは呪文書を開いた。
「異世界では、勇者には威厳ある名が必要なのですよ。あなたの御名は――」
エリュシアが、厳かに告げた。
「――覇滅の剣聖、黒鉄の意志を持つ者。バル・クロノス・ファルガイア」
沈黙。
「却下。……なんだ、その覚えづらい名前は」
「異世界において広く畏れられる、由緒ある命名でございます」
「長い。田中でいい」
「それでは異世界人に覚えていただけません」
「なんとでも呼ばせろ」
(……この方は)
エリュシアは、じっと田中を見た。
そして口の端が、ほんのわずかに動いた。
「……では、参りましょう」
田中はポケットに手を入れた。
指先に紙の感触。タバコの箱だった。
ライターも残っている。
「待て……一服していいか」
エリュシアの手が止まった。
「……は?」
「出発前だ。段取り八分、常識だろうが」
(段取り八分の使い方が違います!!!!)
煙が神聖な召喚の間に漂った。
エリュシアは黙って待った。
神界史上、出発前に一服した勇者の記録は存在しなかった。
一服後、転移魔法の光が、二人を包もうとした。
そのときだった。
ドーン。
白い空間に、亀裂が入った。
亀裂の向こうから――真っ黒いド派手な鎧の少女が飛び込んできた。
全身から、どす黒い瘴気が漏れ出している。
「勇者よ! 我が来てやったぞ!!」
(…………は?)
エリュシアは、硬直した。
(なんで魔王がここに!?)
田中は、その人物を三秒見た。
「誰だ」
――続く
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第一話 了☆
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※おじさん解説!
【体で覚えていない力は本物じゃない】
昭和の職人・体育会系文化において、
「数字より経験」「知識より体感」という価値観は
絶対的な真理として信じられていた。
田中剛(四十六歳)はこれを骨身に染みて知っている。
チートで数値が上がっても、
「自分で動かした記憶がない」という事実は
彼の昭和魂が許さなかった。
なお腕立て千回の結果、得られたものは何もなかった。
チートで体力は無限なので疲れないし、
数値はもとから最大値なので上がらない。
田中本人もそれを認めている。
それでも走り込みは続けた。
理由を聞いたところ、
「毎朝の習慣だから」とのことだった。
エリュシアは何も言わなかった。




