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帰宅
玄関の電気は点いていた。
鍵を回す音が、家の中に小さく響く。
靴を揃えて上がる。
床は少し冷たい。
居間の隅に仏壇がある。
朝倉は鞄を置き、真っ先にそこへ向かった。
線香に火をつける。
煙が、細く立ち上る。
手を合わせる。
目は閉じない。
父の遺影は、
今よりずっと若い顔をしている。
何かを言うことはなかった。
しばらくそのまま立って、
線香が短くなるのを見ていた。
台所から物音がする。
母は作業着のままだった。
工場の油の匂いが、
まだ残っている。
「おかえり」
それだけ言って、
また流しに向き直る。
朝倉は頷き、
「ただいま」と返す。
それ以上、
仕事の話はしない。
妹の部屋の前で立ち止まる。
ドアは閉まっている。
中からは、
何も聞こえない。
廊下の電気を消す。
暗闇の中で、
妹の部屋のドアだけが、
輪郭を残していた。
机の上に、
メンタルクリニックの
診察券が置かれている。
日付は、
最近のものだった。
朝倉はそれを裏返し、
元の位置に戻す。
自分の部屋に入る。
取材メモは、
まだ鞄の中だ。
父のようにはならない。
そう決めたのが、
いつだったかは覚えていない。
ただ、
父の書いた記事だけは、
今も捨てられずにいる。
家の中は静かだった。
その静けさが、
壊れないことを、
少しだけ願った。




