~名もなき旅人の見たもの・八~
ブレンでの朝は、肌寒い空気と体の痛さで始まった。
冒険者ギルドの小さな出張所。その玄関口で丸まっていた体を伸ばす。ちょうど奥から出てきた職員に頭を下げた。
「おはようございます。昨晩は眠れましたか?」
「はい、助かりました」
心からの礼を述べる。屋根と壁があり、冒険者ギルドに手を出す愚か者もそういない。
久しぶりにちゃんと寝られたお陰で、頭も冴えている。
モノクルをつけたその男性は、そんな自分に少し目を細め、ただ微笑んだ。
「良ければ、朝食を召し上がっていきませんか?」
こちらも微笑み返す。
「ありがとうございます」
***
街を、歩く。
誰かとすれ違う。ちらと自分へ多少目線を向けてくるが、すぐに自身の作業に戻る。
代わりとばかりに、見回りの鬼人兵たちが鋭い眼光でこちらを睨みつけてくる。
街を、歩く。
土埃混じりの乾いた空気。その中に、炊き出しのスープの匂いが混じる。
思わず涎が出そうな香りが、乾いた空気を少しだけ中和する。
街を、歩く。
言い争う声がする。ちらと目を向けると、大柄な鬼人たちが何かを嘆き、何かを否定していた。
誰かがそれらを肯定し、誰かが彼らの肩を叩いてその体を抱きしめた。
街を、歩く。……歩いていく。
広場が見える場所で、足を止めた。荘厳な何かを見上げるように、空を見た。
レンコウガの街を思い出す。
他者を拒む小さいのに大きな門と、門の化身のような鬼人族。
色とりどりの住民たち。
購入した串焼きと串焼きの店主。
道場という武の学び舎。
中々に奥深い二本の棒――ハシ、というらしい。
強さへの平等さ。
元気な声にふっと目線を下げる。今日も子どもたちは元気に瓦礫の中を走り回っている。そんな子どもたちを、やや翠がかった肌の女性が優しく見つめていた。
整えられた水の張られた畑を思い出す。
向けられた槍と温かいお茶。
ぴょこぴょこ揺れる長い耳。
プルプル震えた筋肉。
恋しくなったお茶。
「……?」
名を呼ばれ、振り返ると少年師匠が手を振っていた。微笑んで手を振り返す。彼の隣には、母親らしい女性の鬼人が立っていた。
駆け寄ってきた彼に、手を引かれる。
「こんなところで何やってんだ? あっちで一緒に御飯食べようぜ」
「いや、しかし私は」
広場を踏んでしまいそうで戸惑っていると、ゆっくりと少年を追いかけてきた女性が口元に手を当てた。
「……ふふ。この子から聞きました。昨日、相手してくださったみたいで。良かったらご一緒にどうぞ。
頭領の方針で、外から来た方にもお配りしてるんですよ。この食料は、外の方のお陰ですから」
「そうだぜ! それにオレらの頭領はすっごいんだ! おねーちゃんに1食渡しただけで怒ったりしないぜ。
ほらっ、行こうぜ! オレ、腹減った」
手を引かれ、広場に足を踏み入れた。
なにかが変わるわけではない。壁に覆われているでもない。漂うのは同じ空気だ。
その中で、少し居心地悪く思いながら、スープを頂く。
特に……幼子の視線には、体が痙攣してしまう。筋肉が、まだ起きていない未来を想像して勝手に震えていた。
鍛練不足を感じている。
「オレ、頭領みたいな強くてでっかい男になるんだ!」
そんな自分の横では、少年がそのために毎日鍛練もしてる、と食事を勢いよくかき込みながら言った。
なんとも頼もしい。少年ならばきっと、自分のように筋肉を震わせずとも幼子の相手ができることだろう。
「こらっ! そんなお行儀悪い食べ方しないの!」
母親に叱られて項垂れていたことは見ないふりで、ただ笑っておいた。
***
歩く、歩く。
ぼこぼことした荒れ果てた道が、次第に美しく整った道へと変わっていく。道の両端には可愛らしい花々が植えられている。
遠くに、堅牢でありながらどこか優美な壁と立派な門が見えた。
レンコウガの小さき門とはまるで違う威容が、離れた場所からでも感じ取れる気がした。
門の前には、入場を求める者たちだろうか。長蛇の列ができている。
まだ距離があってハッキリわからないが、その列に人間は存在しないように見えた。
歩く、歩く。
***
戦士の国ライガイア。
その名前を聞いた時、あなたはどう思っただろう?
力強いイメージ?――正解。
角の生えた鬼人たち?――正解。
排他的で怖い――……それも、正解だ。
しかし……それだけだったろうか?
ここに自分が見たものを記しておいた。
なるべく主観を除いたつもりだが、多少混ざっていたかもしれない。……申し訳ないが、許してほしい。
これを見たあなたの考えが変わったのかどうか。
誰かに語ってもいいし、語らなくてもいい。
これを誰かに渡してもいいし、渡さなくてもいい。……けど、破り捨てたり、燃やさないでもらえると、嬉しい。
この続きを、あなたが書いてもいいし、書かなくてもいい。
ただ、あなたの心に微かにでも残ってくれたら、嬉しく思う。
――『戦士の国ライガイア見聞録』
著者:名もなき旅人・記録補助者
編纂:対和思考・二本情感
***
カタンっと、筆を置く。息を吐き出して、取手のない容器――湯呑に手を伸ばす。
随分とぬるくなっていた中身を飲み干せば、肩に入っていた無駄な力が抜け、体の凝りを感じ取った。
肩をぐるりと回してから、書いたそれを見下ろす。
「……ふむ?」
どこか気に食わないところがある気がした。しかし、それがどこかわからない。
しばらく睨みつけるように見つめた。語尾などの微妙な箇所は気付いたが、根本の違和感の正体はわからず仕舞い。
息を吐く。
気づけないものは仕方ない、とひとまず諦めた。目元を指で押す。
そんな時、部屋の戸が横に動いた。
小さく笑って振り返る。
「ああ。ちょうどいいところに……。ひとまず書き終わったところだよ。
確認してくれないか?」
そして、手にしていた紙束を示した。
「それと……ここに君のことを記そうと思うが、どういう名がいいだろう?」
自分の問いかけに、答えはすぐに返ってきた。それは少し意外なようでいて、そうでもなかった。
笑って頷き、紙束の最後に書き足した。
――『戦士の国ライガイア見聞録』 了
※本記録は、名もなき旅人と記録補助者による共同生成である。




