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~名もなき旅人の見たもの・六~


 耳というものは萎れるものだということを、知っているだろうか。


「まったく。じゃからお前さんはもっと落ち着きを持てと言っておるんじゃ」

「……はい」


 風になる経験をさせてくれた獣人族の青年は、周囲から「オババ」と呼ばれている年配の兎獣人の女性に叱られ、地面に座らされていた。

 森を駆け抜けていた時はピンと張って周囲の音を聞き取っていた頼りになるはずの耳が、しおしおと萎んでいる。


 さすがに哀れに思えてきて口を挟もうとしたが、「オババ」の顔がこちらを向いたので口を閉じた。――まるで捕食者のような鋭い目だった。


「それでお前さんは、『旅人』だったね?」


 彼女は何も武器を持っていなかったが、そのしわがれた手に弓が見えるようだった。

 両手で杖をついている彼女の姿を目は捉えているのに、矢をつがえた状態の彼女が同時に頭に浮かんで、仕方がなかった。


「はい」

 膝をつき、頭を下げ、名を名乗る。武器には……触れない。触れた瞬間、矢は放たれる。

 なんとなく、そんな幻の未来が見える気がした。


 彼女が口元で笑みを作った。

「……ふん。サカキ殿たちのところから来たんじゃろう?」

 やや緩められた吊り上がり気味の目が、ついっと翠角族の村がある方角を見て、それから自分の足元を見た。やや泥がついた靴を。


「あの方たちが信用したなら、問題なかろうよ」

 しばらく彼女を見つめた。その目に恐怖は見えない。熱烈な感情も見えない。

 ただ、その目には信頼の輝きが見える気がした。


「年長者の方々が判断されることは、ある程度頼りになるもんじゃろ?」

 彼女は自分に向かってそう言うと、自分から興味をなくしたように顔を背けた。――もう、彼女の手に弓矢は見えず、杖をついて歩く姿がそこにはあった。


 一方で、青年は未だに肩を落とし続け、周囲の子どもたちに引っ張られたり、上に乗られたりとおもちゃになっている。彼女はそんな青年に呆れ、足を上げて蹴り上げる。


「ったく! いつまで凹んでるんだい、ラル! 情けない」

「いたいっ! ひ、ひどいよオババ」


 蹴られてようやく立ち上がった青年、ラルは、自分に引っ付いている子どもたちを上手に抱えながらバランスを取った。子どもたちは無邪気に笑っていて、ラルが絶対に自身を落とさないと分かっているようだ。


 オババ――と自分が呼ぶのは気が引けるので、やはり彼女と呼ばせてもらおう――彼女は、ラルが立ち上がるのを見ることもなく、そのまま立ち去っていった。

 ラルが肩をすくめながら子どもたちを地面におろし、こちらを見る。


「ふぅ。良かったよ、なんともなくて。でも、外の人って変わってるんだね。後ろ向きだから酔うだなんて」

 ラルはメガネの青い目を不思議そうにまばたかせた。だがすぐに少し恐怖を目に浮かべる。


「なのにあの怖い人達の村にいただなんてすごいね。僕は――無理だな」

 今度まばたきしたのは自分の方だった。ラルの恐怖は心からのものに見えた。

 彼はそんな自分の反応に首を傾げ、それから慌てたように手を振る。


「あっ! 別にあの人達にいじめられたとかじゃないよ? むしろ強い魔物とか倒してくれるし。

 けど……なんか、すごいから」


 ピンクがかった赤い耳が垂れてブルブル震える。ラルはそんな耳を手で押さえた。

 その時、近くを通りがかった他の獣人の大人も、偶然聞こえたらしい鬼人族の話題に耳をすくめていた。


 この彼らの大きな耳で聞こえる世界は、どんなものなのだろうか。


 ふとそんなことが気になったが、自分は彼らのお陰で風にはなれても、耳は伸ばせない。


 そんなことが、少し残念に思えた。




***




 鍛練不足を感じている。


 横に伸ばした腕がプルプルと震えている。バランスを保つため、腰も低く下ろしているが、膝が笑うとはこのことかという有り様になっていた。

 今の自分は非常に不格好である。

 鏡がなくても分かるが、動けない。


 腕を包む柔らかく温かいもの。

 頭に乗って髪を引っ張るもの。

 膝に乗って寝こけているもの。


 要するに――あの時のラルになっていた。今自分は、おもちゃの気分を味わっていた。


 なんと。ラルはこれを平然とこなしていたというのかと、恐ろしい心地になっている。これが獣人族の身体能力の秘訣なのだろうか。


 と、遠くから自分の名を呼ぶ声がした。ピンクがかった赤髪と、メガネ。ラルが自分を見て目を見開き、慌てて駆け寄ってくる。


「わわわっごめん! 弟たちが……こら、ダメだろう、お客さんにそんな事しちゃ」


 兎耳を上機嫌に揺らしていた幼子たちは不満そうで、泣きながら自分に手を伸ばしていた。――ひどい罪悪感。しかし、現実として抱きとめる余裕はなかった。


「このお姉ちゃんを困らせるんじゃない。はぁ……ごめんね?」

 ラルは彼の弟たちを見事に装着――おかしな表現とは分かっているが、そう見えた――して、申し訳なさそうに耳を折り曲げた。

 座り込み、内心ホッとしながら手を振って気にしないように告げる。


「僕んちは特に兄妹多いから、あちこちの家に分けて預けるんだけど……多分、母さん、届けに行くの面倒で君に預けたんだと思う」

「面倒……」


 呆れたラルの声に、あらあらと笑っていたややふくよかな彼の母親を思い出す。

 ラルはそれから弟や妹に声を掛ける。


「いつもの『きょうだい』たちのところに行くよ」


 その『きょうだい』という発音は、なんだか少し違う響きに聞こえた。


 集落を、ラルの後について歩く。


 翠角族の村が整然とした畑と茅葺き屋根の家だったのに対し、彼らの集落はとても自由だ。

 木にひっつくようなこじんまりとした小屋だったり、翠角族を真似したような(それでいてどこか違う)家。半分地下に埋まった家。大木の洞をそのまま利用した家、と個性に溢れている。


 視界の隅で、小柄な兎獣人が身軽に跳んで、木にひっついた家の中に入って行くのが見えた。


 ラルが弟たちを連れて行った先の家は、茅葺き屋根の家で、中には彼らと同じ年くらいの子どもたちが他にも5~6人いた。顔立ちも毛並みも色合いも、似ていない。


「待てー!」

「わー!」

 と、声が聞こえて見てみると、そちらではもう少し年上の子どもたちがかけっこをしている。色とりどりの毛並みを風になびかせながら、楽しそうだ。

 走り回る子どもたちを、大人たちはやや離れたところで見守っていた。


 ふいに、温かなお茶をいただいたあの夜を思い出した。


『必要以上に関わらないようにしている……お互いのためにな』

『私たちは、彼らの生き方を尊重しているんです』


 ラルが弟たちを預け、こちらを振り返る。きょとんとされた。


「おまたせ……って、どうしたの? 何か良い事でもあった?」


 そんなラルに、静かに返した。まるであのお茶を飲んだあとのような気分だった。

 だから微笑んだ。


「いえ――ふと、お茶が飲みたくなっただけですよ」




――『戦士の国ライガイア見聞録』 六日目・了


※本記録は、名もなき旅人と記録補助者による共同生成である。



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