堕天使先生、スパルタ式教育
魔法の適性診断から、まだ数刻しか経っていないというのに、俺の前に新たな教育係が任命された。
その名は、〈ルア=ザフィエル〉。 元・天界所属の堕天使で、今は魔族として再出発しているらしい。
漆黒の翼と冷たい銀髪、どこか神々しさを残したその姿は、周囲の魔族とは明らかに雰囲気が違っていた。
「私は堕天使ルア=ザフィエル。以後、光魔法の教育を担当させていただきます」
(堕天使ってやっぱりルシファーとかルシフェルとか、そういう名前が多いよな……)
異世界転生モノを愛読していた俺としては、名前を聞いただけでちょっと満足してしまった。
だが、彼女は続ける。
「それでは早速、授業を始めさせていただきます」
そう言って取り出したのは、スキップしたくなるような分厚い教本。
授業は、ひたすらそれを音読するだけだった。
内容は……正直、さっぱり分からない。 精神年齢的には耐えられそうだけど、5歳児の脳には荷が重すぎた。
延々と語られる呪言理論、魔力循環の構造、天界文での詠唱例……。 いや、普通に高等教育だこれ。なんで5歳児にやらせる?
約1時間が経過した頃、ようやく俺が全く理解できていないことを悟ったのか、ルア先生は本を閉じた。
「魔王様、座学はお嫌いでしょうか?」
「嫌いです」
即答してしまった。
すると彼女はくすりと笑い、教本をパタンと閉じる。
「では、実践と行きましょう。聞いているだけで習得できるような“呪言”での授業なんかより、やはりこちらの方がいいですものね」
(え、呪言? なにそれこわ。てか、聞いてるだけで習得できるならそっちのほうがいいよ!)
訂正する前に、ルア先生は静かに手をかざした。
「まずは光属性魔法の基礎、〈浄化の閃光〉です。回避できれば次の段階へ進みましょう」
「ちょ、ちょっと待っ——」
放たれたのは、目を焼くような純白の閃光。 壁に直撃して大穴を穿つそれを見て、俺は確信した。
(あ、これ……完全にスパルタだ……)
続けて放たれる〈加速光槍〉、〈反射の壁〉、〈浮遊球体〉……名前だけは格好いいが、どれも地味に痛そうな攻撃ばかりである。
「ノクス様、実戦は知識よりも速さと感覚です。まずは受け止めてみてください」
(いや、やだよ!? 受け止めるって何!? これほんとに教育なの!?)
俺は、選択肢を間違えたらしい。
それからしばらくして、俺はついに“外の世界”に出ることになった。 魔族の拠点内では育ちきれない実践経験のため、教育の一環として森の村へ訪れることになったのだ。
もちろん、俺一人で行くわけがない。 ロゼリアをはじめとした精鋭の護衛十数名、専用馬車、監視用の空中精霊カメラまで同行するという、完全なる過保護仕様である。
(いや、修学旅行どころか国賓クラスの移動じゃねぇか……)
訪れたのは「フェンリルの森」の奥にある小さな魔族の集落。 人間との接触がほぼない、平和で静かな村だ。 自然が豊かで、川のせせらぎや鳥の声が心地よい。
俺が到着したとき、村人たちは全員集まって歓迎式典を開いてくれた。 演奏隊が太鼓を打ち鳴らし、子供たちが踊りを披露する。 正直、5歳児としては出番もなく見てるだけだったが、 「魔王様が微笑まれた!」といちいち過剰にリアクションされるのには疲れた。
そんな中、俺は一人の少女と出会った。
「ねぇ、あなたが“まおーさま”?」
金色の瞳に、肩までの黒髪。人間にも見えるが、どこか“異質”な雰囲気を持った子だった。
「私はフィア。村長の孫なんだよ」
俺より一歳下くらいだろうか。 物怖じせずに近づいてくる彼女に、護衛たちが警戒するが、俺は首を横に振って制した。
(この子……他の誰よりも“普通”に俺に接してくる)
俺が“魔王様”じゃなく、“ただのノクス”として初めて名前を呼ばれた瞬間だった。
「ノクスって、なんか強そうな名前だね! 一緒に虫取り行こうよ!」
(虫取り!? いや、俺にそんな野性味ないけど!?)
だが――気づけば俺は笑っていた。
魔王でも、社畜でもない。 一人の子供として笑えたのは、きっと生まれて初めてだった。
フィアは活発で、村でもちょっとしたおてんば娘らしい。 その日は一緒に森を歩き、木の実を拾ったり、小川でカエルを見つけたりして過ごした。
途中、護衛の一人が転びそうになった俺を助けようと動いただけで、フィアが怒鳴ったのには驚いた。
「だめ! ノクスは自分で立てるもん!」
あの瞬間、護衛全員が本気で謝ったのを見て、ちょっと笑ってしまった。
この村の空気は、どこか懐かしい。 俺が“魔王様”としてでなく、“子供のノクス”として受け入れられている気がして……
(もしかして、ここなら……)
そんな風に思いかけたそのときだった。
「ノクス様。大変です、人間の偵察隊と思われる影が森の外れに……!」
護衛の一人が駆け込んでくる。
(……外の世界が、ついに俺に干渉してきたか)
俺の、平穏で素朴な“初めての外”体験は、予想よりも早く終わりを告げることになるのだった。
そのころ、遠く離れた王都の一室では、一通の報告書が読み上げられていた。
「……“フェンリルの森”にて、魔族と思われる一団が大規模な動きを見せています。偵察の結果、その中心に“不明の魔力体”を確認」
報告を受けるのは、勇者カイと呼ばれる少年。 まだ若いながらも聖剣を携え、神殿直属の“選ばれし者”として、すでに三度の魔物討伐戦を経験していた。
「不明の魔力体? 魔王の残党か?」
「いいえ、問題はその属性です……“光と闇、両方の波動を持つ”と、精霊の観測が示しています」
一瞬、場が静まり返った。 光と闇の両属性など、神代の伝承にしか存在しないはずの力。
「まさか……再誕したのか?」
その言葉に、側近の神官が小さく頷く。
「可能性は否定できません。伝承の“交差せし魂”……光と闇を併せ持つ、災厄の王が」
勇者カイは、剣に手をかけたまま立ち上がった。 その瞳には、確かな決意と、僅かな困惑が混じっていた。
「真実を確かめに行く。誤解であればそれでいい。だが、もし本当に……」
彼の視線が、地図の上に置かれた“フェンリルの森”の印へと落ちる。
「世界を再び混乱に陥れる存在なら……俺が討つ」
こうして、魔王ノクスと勇者カイ。 未だ交わらぬ二つの運命が、ゆっくりと動き始めていた。




