第二章:教習、そしてギルドへ
アルカディア大陸(北部)
[リグラードの塔]
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│王都セレディア│───【冒険者ギルド本部】
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【古街道】
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│ミルダン村│──《カートピア・ユウキ》
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│トーリ村(転生地点)│
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朝の霧がまだ村を包んでいた。
トーリ村のはずれ、《カートピア・ユウキ》のガレージには、黒く鈍く光るクラウン・コンフォートが停められ、ユウキとグレンは並んで車体を見上げていた。
グレン︰「…本当に、これに乗るのか?」
ユウキ︰「ああ。まずは“乗る”ってこと自体に慣れたほうがいい。馬とは感覚が違う」
グレン︰「そりゃそうだろうな。こいつには…眼も鼻もねぇ」
ユウキ︰「眼はある。フロントライトといって電気系統があれば夜道も光で照らせる」
グレン︰「それなら松明があれば…」
ユウキは遮って言う。
ユウキ︰「松明とは光で照らせる範囲がまるで違う。松明は周囲の短い範囲内を照らせるが、このフロントライトってやつは進行方向へ長距離で照らすことが出来る」
ユウキ︰「正に眼そのものだよ」
グレン︰「なるほどな…だが周囲を照らせなければ、襲撃者の反応に遅れが出るんじゃないか?」
ユウキ︰「こいつに限ってそんなものは必要ない。スピードも出るし、馬車と違って装甲性もある」
グレン︰「まあ…確かにな」
ユウキ︰「後はハンドルがあって、ペダルがある。まずは乗ってみるんだ」
クラウンのドアがギィと音を立てて開いた。
グレンは恐る恐る運転席へ腰を落とす。
革のシートがしなやかに背中を受け止め、彼は一瞬だけ目を見開いた。
グレン︰「…この椅子、妙に落ち着くな」
ユウキ︰「それが“日本製”…メイドインジャパンってやつだ。贅沢な乗り心地だろう?」
グレン︰「“にっぽん”…?」
ユウキ︰「俺のいた異国だ。まあ、今は関係ないな」
ユウキは助手席に乗り、ダッシュボードから手帳を取り出した。
ユウキ︰「ではこれより——《第一回目クラウン運転教習》を始める」
グレン︰「……は? 今なんて?」
ユウキ︰「深い意味はない。まずはシートベルトを締める」
グレン︰「シート…ベルト?」
ユウキはそう言うと、グレンが座る運転席の肩元から革製のベルトを引き伸ばす。
グレン︰「な…なんだこれ!?」
ユウキは鼻で笑いながら言う。
ユウキ︰「この世界に流通する馬車ってやつには、こんなものはなかったろう? そりゃそうさ、手綱がありゃ走行中の自分の身の安全も保証できる」
ユウキ︰「それにシートベルトなんていう拘束があったら、襲撃者の格好の的にもなるしな」
グレン︰「…それがこの鉄馬に乗るには必要条件ってことなのか…?」
ユウキ︰「ああ。いいか、グレン。ちゃんと教習しないと事故を起こす事になる。それがこの異世界であってもな。自分の身の安全を守る命綱、それがシートベルトってわけだ」
グレン︰「つまり…どういう事だ?」
ユウキは腕を組みながら言う。
ユウキ︰「クラウンの馬力をナメると命をなくす事になる。時速は80km、急カーブでの横転、ブレーキの遅延反応——全部計算しないとならないんだ」
グレン︰「80……キロ……?」
グレンの眉がぴくりと動く。
グレン︰「分からない! なんなんだ、じそく80キロってのは!?」
ユウキ︰「簡単に言うと走る速さだ」
ユウキ︰「時速80km。お前の愛馬の最高速度は…せいぜい、全速で時速20kmくらいだろう」
グレン︰「ならば、俺の馬の4倍は速い。しかも、それがこの4輪で動く」
グレン︰「…この鉄馬は化け物か」
◆ ◆ ◆
午前中は、エンジンの構造やハンドルの操作、クラッチとアクセルの関係を学ぶ講習に費やされた。
当然ながら、グレンはそのすべてに頭を抱えた。
グレン︰「エンジンの点火順序!? 回転数?! なんでこのペダルってやつぁ、三つもあるんだ!?」
ユウキ︰「グレン、知識は命を守る鎧だぞ。馬と違って、クラウンは人の命令がなきゃ動かない。お前の命令が甘けりゃ、それだけ死にやすくなる」
その言葉にグレンは黙り、かつ真剣な眼差しで手帳を握り直した。
ユウキ︰「緊張しすぎてはダメだ。運転者、つまりドライバーは同乗者の命を預かる身だ。水分補給したいのなら、シフトノブ後ろのドリンクホルダーに水筒を置いておく」
グレンは頭をワシャワシャと掻きながら答える。
グレン︰「ああもうッ! 次から次へと異国文化の言葉を出すな!! 頭が混乱する!!!」
◆ ◆ ◆
午後、村の外れの平野で実地教習が始まった。
クラウンのボンネットが唸りを上げ、大地を蹴る。
ガタン。ガタン。
グレン︰「お、おい、本当に俺が今運転してるのか!? これが……鉄馬の走りなのか!?」
ユウキ︰「手を抜くな。カーブが来るぞ! 減速! ブレーキだ、クラッチ踏んでシフトを下げろ!」
グレン︰「シフト!? クラッチ!?? なんで鉄の塊にこんな複雑な手綱がついてるんだよ!?!?」
ユウキ︰「それが俺の世界の馬車、“走る”ってことだ!!」
クラウンは地響きを立てながら、アルカディアの大地を疾走した。
雷鳴のような轟音とともに、平原を駆け抜けるその姿は、まさに“鋼鉄の獣”だった。
その日、クラウンは村の子供たちに「くろがねのりゅう」と密かに名付けられたのであった。
◆ ◆ ◆
夜。村の広場。
ランタンが灯り、集まった村人たちがざわついていた。
ギルド支部の仮設小屋で、ユウキは冒険者登録用紙を見つめていた。
受付嬢・ティアナ︰「こちらが冒険者登録書です。見たところ…この世界の転生者様ですね! 転生者様用の“技能保持”カテゴリで記録されますので、特殊扱いにはなりますが、正式な依頼は受けられます」
ユウキ︰「そっちは問題ない。だが——」
ティアナ︰「鉄馬なる“車”が正式に輸送手段として認可されるか、ですよね?」
ユウキ︰「ああ。今のところ、移動用の動物、まあ馬とかそういった類以外の許可は出てないんだろ?」
ティアナ︰「はい。ですが、一定の“安全性の試験”と“性能の検査”を通過すれば、特例許可が出るかと思います」
ユウキ︰「上等だ。俺の鉄馬は、どんな試験でも通れる」
とそこへ、グレンが入ってきた。
着替えたばかりの軽装鎧。
髪は濡れており、シャワーの代わりに井戸水を浴びたのだろう。
グレン︰「あああぁぁッッ! あの鉄馬、ジャジャ馬過ぎんだろ!! クラッチ操作とアクセルワークのタイミングが全く合わないで、慣れるまでに半刻も掛かったぞ!!」
ユウキ︰「エンストか…初心者にはよくある話だ、気にするな」
グレン︰「だが教習は完了した。お前の“鉄馬”…やっと俺の相棒らしくなった気がするぞ」
ティアナ︰「あの、あなたがあの車の初搭乗者ですか?」
グレン︰「ああ。こいつで依頼に出られるなら、もっと命を守れる気がするんだ。馬じゃ間に合わなかった“あの日”も、こいつなら——」
ユウキ︰「よし、それなら最初の依頼に行こう。俺たちの——“最初の出撃”だ」
そして翌朝。
ギルドの掲示板に貼られた依頼書を、ユウキが引き抜いた。
《緊急依頼:病村サイレの治療薬輸送》
・目的地:山間の隔離村サイレ
・物資:急性瘴気熱の特効薬×12箱
・距離:約210km
・制限時間:48時間以内
・報酬:4000リル+ギルド高等評価点
グレン︰「馬だと往復三日はかかる…でも、この鉄馬なら——」
ユウキ︰「道さえあれば、24時間で帰ってこれる。クラウンはそういうやつだ」
クラウンのドアが開き、エンジンが吼える。
それは、異世界で最初の“任務車両”の出撃。
騎馬でも、飛竜でもない。鋼鉄の轍が、古き大陸の常識を砕こうとしていた。
——《クラウン・ギア》、始動。