第8話「世界が開かれていく音がして(2)」
「は……羽が……」
「羽乃架さん!?」
雨依様が口にする予定の食事に、白フクロウさんの羽が舞ってしまうんじゃないかと心配した私。
けれど、一方の雨依様は、私が部屋に入ってきたことに驚きを感じたらしい。
声は重なったけど、その声を発した意味が互いに違うということを理解する。
「あ……れ……羽……」
あんなに勢いよく白フクロウさんは羽ばたいたのに、部屋には羽一枚すら舞っていなかった。
「ごめん……驚かせて……」
白フクロウさんが、雨依様を目がけて羽ばたいていく。
決して美しい飛び方とは言えないかもしれないけれど、一秒でも早くご主人様の元へと帰ろうとする姿を綺麗に思った。
「雨依様の……使い魔……ですか?」
魔法とは縁のない生活を送ってきた私にとって、使い魔という表現が合っているのか不安だった。
不安は見事に的中して、雨依様は私の発言に対して一瞬驚いて……またいつもの、私を安心させるための笑みを浮かべてくれた。
「今の時代、使い魔って呼ばれる存在がいるのか……俺もよく分からないんだよね」
話をしながら、雨依様は机の上に置かれていた羊皮紙を白フクロウさんの目の前へ翳す。
すると白フクロウさんは羊皮紙の中が自分の帰る場所と言わんばかりに、なんの迷いもなく羊皮紙の中へと体を埋め込んでいく。
「え……溶け……」
まるで羊皮紙が溶けてしまったかのように、紙とは違う柔らかさで白フクロウさんを手招いた。
「人の視界には羊皮紙が溶けたように見えるんだけど……ほら、元の羊皮紙に戻ったでしょ?」
雨依様が手にした羊皮紙には、フクロウの絵が描かれていた。
描かれたフクロウを絵と表現するのも申し訳ないくらい……今にも飛び出してきそうな臨場感と表現力でフクロウが羊皮紙の中へと存在している。
「絵を具現化する魔法……っていうのかな。正式名称とか、よく分からないけど」
魔法と呼ばれている、人間にとって未知なる力は滅びつつある。
その理由は何も難しい理由はなく、魔法使い様の数が減っているから。
そんな数少ない魔法使い様の一人が、目の前にいる雨依様。
「四六時中、羽乃架さんの傍にいられるわけじゃないから」
羊皮紙は丸められて、傍に置いてあった白いリボンで括られた。
「驚かせてごめんって謝りたいんだけど……もう手遅れだね」
何を言葉にすればいいのか分からない。
まだ、世界に魔法が残されていることに驚けばいいのか。
これから私と一緒に暮らすと決めてくれた雨依様が、本当に魔法使いだったことに驚けばいいのか。
「事前に説明しないといけなかった……」
「驚きました」
それとも。
「そうだよね、反省して……」
「凄く驚きました」
新しい環境に身を置く私のことを、常に案じてくれていることに感謝すればいいのか……。
「でも」
分からない。
「これは幸せの驚きだって……」
分からないのに、私の口は勝手に動き出す。
「うまく言葉にできなくて申し訳ございません」
分からないのに、胸にある感情を伝えたい。
「……ありがとうございます」
申し訳ございません。
そのあとに続く、ありがとうの言葉。
支離滅裂で、言語の先生には怒られてしまいそうな言葉の使い方。
そんな言葉使いをしてしまう自分にがっかりしてしまうけど、こんな言葉使いをしてみたいと思った。思ってしまった。
「配膳カートが三台ってことは……今はお昼?」
部屋の入り口で立ち尽くしている私を見かねた雨依様は、私を来客用のソファに座るよう促してくれる。
その際に遠慮した私と、遠慮を取り払う雨依様との間で座るのに時間を要してしまったけれど……結局私は根負けした。
「昨日の夜から……何も口にされていないんですか?」
「んー……何かしらは口にしたような気もするけど」
記憶がない雨依様を心配したくもなるけれど、私も私で人のことを言えない。
私は雨依様のように夢中になれるものがあるわけではないけれど、食事をすることに楽しみをそんなに感じていない。
それが原因で、よく定められたご飯の時間を忘れてしまう。
「いただきます」
「……いただきます」
来客用のテーブルに昼食が並べられて、私は雨依様と一緒に食事することを許可されたことが分かる。
「羽乃架さんは好き嫌いないみたいだけど、好き嫌いとか食べる量とか……食事に関して何かあったら遠慮なく……」
「あ……」
「ん?」
「あの……!」
「……うん、どうしたの? そんなに意気込んで……」
雨依様と、向かい合う。
これから食事をするんだから、それは自然の流れとも言える。
隣に座られる方が不自然だということくらい分かってはいるけれど……。
「……あの、どうしたら……」
「羽乃架さん?」
こんなことを言ったら、変な子だと思われてしまわないか。
こんなことを言ったら、変だと思われてしまわないか。
そんな不安はあったけれど、私が気持ちを言葉にしなければ事態は先へと進まない。
「夜舞病棟の人たち以外と……食事をするのが初めてで……」
正直に、告白する。
たとえ変だとしても、たとえ可笑しいと思われたとしても、気持ちを言葉にしないといけない。
「……昨日の夜は? 母がいたと思う……」
「楽しくお話しているうちに眠ってしまって……あ、お茶とお菓子は用意してもらったのですが……緊張で口にできなくて……」
そして、目が覚めたら昼間だったことを告白する。
私も雨依様と同じで、昨日の夜から食事を摂っていないことを思い出す。
「ふっ」
「ごめんなさい! あの、せっかくのご厚意を無下にしてしまって……」
「ふっ、ははっ、ごめん……」
「……笑うところ……ですか?」
「違う……羽乃架さんは悪くない……ごめんね」
私は謝るべきことをしてしまったのに、どうして雨依様は笑いが止まらなくなってしまったのか。
なんとか理由を絞り出さなきゃいけないと思っても、初めてだらけの夜舞病棟の外での生活は戸惑いが多くて訳が分からなくなる。
「そっか……緊張か」
「はい……すみません……」
雨依様たちには伝えていないけど、私にとっては家族というより……雨依様たちはご主人様のような存在。
だから、きっと、従える側の私がご主人様と食事を共にすることに私は緊張してしまっているのだと思う。
「じゃあ、俺が羽乃架さんの隣に座ろうか」
「…………え」
「隣同士に座れば、羽乃架さんの食事姿を視界に入れることはできなくなるかなって」
「…………」
「そうすれば、羽乃架さんの緊張も解れるかなって」
雨依様が、私の隣に座って食事……。
「ダメです! それはもっとダメです!」
「じゃあ、今のまま食事を進めようか」
想像しただけで、体が可笑しなことになりそうだった。
さっきまで特に暑さを感じていなかったのに、今は体に溜まり始めた熱をどう逃がせばいいのか分からない。
「雨依様……」
「そんなに可愛い顔を見せてくれるなら、隣に座……」
「それは……ダメです……」
隣同士で食事をするってことは、雨依様と私の距離が近いことを示すことになってしまう。
夜舞病棟に寄付いただいた本や漫画の類に出てくる食事場面で、隣同士に座る二人の関係性は家族や友達や恋人……。
「可愛い」
私に向けて可愛いと言葉をくれる人は、夜舞病棟にもいたはずなのに。
可愛いと言葉をかけてくれる人は、雨依様が初めてではないはずなのに。
「……からかうのは、もっと……」
雨依様がくれる言葉だけ。
「もっと、ダメです……」
特別に感じてしまう。




